「あやしい絵展」ポスター
きれいなだけじゃつまらない!ドロリとした美しさ 「あやしい絵」展@東京国立近代美術館
現在、東京国立近代美術館で開催中の「あやしい絵」展が好評だ。老若男女問わず、大勢の人が訪れる大ヒット展覧会になっている。展示の中心となるのは、近代日本を中心とした日本画、洋画、版画や挿絵で、どれもがベクトルの異なる「あやしさ」を放っている。比較的マイナーな作家や作品に焦点をあてた本展が、なぜここまで人気を博しているのか?
企画者である学芸員の中村麗子さんに、その魅力について話を聞いてみた。
「あやしい絵展」会場風景
──本展は3月末に始まりましたが、すごい人気ですね。中村さんは日本画がご専門ですが、今回は日本画のなかでも知名度としてはそこまで高くない、かなり異例なものにフォーカスした展覧会なので、たくさんの人、とくに若い人が多いことに驚きました。
はい。私自身もびっくりしています。出品作は日本画が多く、巨匠である上村松園や鏑木清方の作品もありますが、彼らの作品のなかでも異彩を放っているものを取り上げています。また、近代の洋画や挿絵も若い人にはあまりなじみがないものだと思っていました。ただ、去年の秋に展覧会のウェブサイトをオープンした際、とくに20〜30代の若い女性の反応が大きかったと聞いて。この作家・作品ということではなく、「あやしい」という世界観に惹かれたのかもしれません。
甲斐庄楠音《幻覚(踊る女)》大正9(1920)年頃 京都国立近代美術館
──たしかに、ちょっと毒気のある作品が多いのと、近代、とくに明治大正昭和の前半という時代特有の湿度みたいなものを感じ取っているのかもしれないですね。
日本近代の「じっとり」感というか(笑)。どこか暗さや毒っぽさをもった世界観もこの時代ならではですよね。谷崎潤一郎の小説の挿絵などを手掛けた水島爾保布という作家は私もこの展覧会の調査を通して知りましたが、文学にも漂う湿度や影が出ていますね。
本展は、年齢問わず着物を着て来場してくださるお客様も多いです。『鬼滅の刃』人気とも重なるのかしら?着物の柄も、どこか大正ロマンというか、江戸小紋のように洗練された感じよりは、レトロな印象の柄が多い印象です。
──なぜ今この展覧会を企画しようと思われたのでしょう?
企画展は数年前から準備をするもので、現在のコロナ禍など想定していませんでした。けれど企画を進める中で、時代の大きな転換点や不安な時代に、怪奇ものやエログロ、刺激的なエンターテインメントが流行することを知りました。怖いもの見たさとか、知らない世界をのぞいてみたいとか、そういったものに人々が、一瞬の解放感を求めていたようです。そう考えると、偶然にも、今の状況に重なったのかもしれません。
少女の背中一面に刺られたのは、蜘蛛。足と体に生えた毛が強調されて不気味。
橘小夢《刺青》1923年/1934年 個人蔵
きれいなだけのものはつまらない
──なるほど。今の時代に合わせたわけではないんですね。中村さんご自身は、こういった「あやしい」絵がお好きですか?
すごく好きですね。何かどうしようもなく惹かれてしまうところがあります。そういえば、SNSなどで感想を見かけるのですが、「性癖にささる」って書いている人がわりといて。私もそうなのかなあ…と(笑)。
近代日本画の王道は美人画や花鳥風月で、当時も今も一番人気があります。もちろんそれらも好きですが、どこか、きれいなだけじゃつまらないって思ってしまうんです。一般的な美とは程遠い表現のほうが、人間の奥底にある真実を写し出しているような気がします。
──企画者の言葉にならない愛情がこれだけ説得力のある内容として実ったから、多くの観客に響いたのかもしれませんね。
好き嫌いが圧倒的に分かれるとは思いますよ。受け付けない人は無理!ってなるはず。でも、惹かれる人はどこまでも惹かれるでしょうね……。
中村さんが大好きな甲斐庄楠音からおすすめの一品。ひげを抜くのに集中している青年の微妙な表情というのか、なまめかしさというのか……。
甲斐庄楠音《毛抜》大正4(1915)年頃 京都国立近代美術館
──まさに「沼」なハマり方をする人がいそう(笑)。タイトルの「あやしい絵」は、既存のジャンルでもないですし、どのように決まったのですか?
もともと、甲斐庄楠音が大好きで、フィーチャーしたいと思っていました。そこから肉付けするように同時代の表現を調べていき、展覧会の形にまとめていきました。ただ、さまざまな表現があるので、一言で表すのは難しくて。当初の仮題は「グロテスク・ロマンティック・エロティック」でしたし(笑)。これでは長すぎるし、主に日本のものを扱っているので、いろいろな意味にもとれる「あやしい」に落ち着いたんです。このニュアンスを英訳するのもすごく難しかったですね。
村上華岳《日高河清姫図》(重要文化財)大正8(1919)年 東京国立近代美術館
癖が強いほど人気?
──とくに人気のある作品はありますか?
今回はほとんどの作品を撮影OKにしています。SNSにアップしてくださる人も多くて、見ていると島成園の《無題》や甲斐庄楠音の《幻覚(踊る女)》などの人気が高いですね。《無題》は顔にあざのある、影のある女性ですし、《幻覚(踊る女)》は、着物の裾がはだけるほど踊っていて、やや狂気じみた感じもあります。いわゆる耽美というよりは、癖の強い作品が人気あるのかも。一癖ある美意識をもった方に響いている印象を受けます。
外見のハンディキャップがありながら、自身の運命と世の中を見返してやろうという強い意志が感じられる。
島成園《無題》大正7(1918)年 大阪市立美術館
──たしかに、会場にはロマンティックなものや耽美なものが好きそうな女性だけではなく、若い男性も多かったですね。男性目線で美しい女性を眺めるというよりは、そういった癖のある美に共感しているように見えました。
きれいなものと狂気のきわどいところに関心を寄せる人が多いのではないでしょうか。日本近代は、西洋文化の影響で「個人」や「精神性」といったものが初めて注目された時代でした。美術においても、内面を追求する表現が次々と生まれたのです。今回展示している作品の多くが、西洋美術を模範に人肌の質感などをリアルに描こうというテクニック重視的な側面と、内面や精神といった目に見えないものを表そうとする側面がせめぎ合っている。そのきわどい接点を追求するスリリングさも、魅力のひとつですね。
なぜ女性ばかりが描かれる?
日本の画家たちにも大きな影響を与えたアール・ヌーヴォー。本展には、ミュシャの印刷物に影響を受けた作品も展示されている。
──今回出品されている作品の多くは、女性を描いたものですね。
はい。近代日本はまだまだ男性優位でしたし、作家も男性がほとんど。西洋美術の流入もあって、絵画彫刻のモデルにも女性が多かったです。加えて明治30年代以降は、印刷技術の発展によって広告などのイメージが流布するようになり、大衆的な「美人」のイメージが形成されるようになります。その画一的な価値観に反発する作家も当然ながらいて、今回「表面的な『美』への抵抗」という章で、それら作品を取り上げています。彼らは、描かれる女性の感情や意志、あるいは生々しさといった”えぐみ”のようなものを通して、人間の本質を描こうとしました。
──なるほど。当時の状況はあったにせよ、なぜ女性ばかりモチーフになるのか、そしてその描かれ方の変遷というお話は、興味深いですね。
そうですね。今回の企画や調査をきっかけに、今後は、時代背景や状況も調べながら、こういった作品にみられるジェンダーバランスについても、追及してみたいと思います。
企画を担当した中村麗子さん