壁一面に並ぶ、精巧な昆虫の標本。よく見ると、ピンクや黄色、鳥の羽がついたもの、巨大な芋虫など、現実の世界には見ない虫が混じっている。
そう、これは空想の虫たち。まだ20代のアーティスト川越ゆりえが、ひとつずつ作った造形作品なのだ。
「もともと、人の感情に興味があって。それをなんとか形にできないかと考えていたら、虫が似てるなと思いついたんです」(川越さん)。確かに、標本に添えられた名前は感情の名前ばかり。しかも「嫉妬心」「臆病」といった、普通はできれば持ちたくないと思われるものが多い。
「人の感情や弱さは、ふと自分の気持ちに寄生してきて、知らないうちに膨らんで、自分がそれに苛まれてしまう。じっと潜んでいたさなぎが羽化する瞬間も、押さえていた感情が爆発してしまうのに似ているなって」。
最初に作ったのは「嫉妬の虫」。小さな一粒だったはずの嫉妬が、どんどん増殖していく様子がそのまま虫の形になっている。てっきり“弱虫”という言葉から虫を連想したのかと思いきや、そうではないのが面白い。でも、なぜネガティブな気持ちにフォーカスするのだろう?
「普通の人は嫌な感情を、こんな気持ちになっていたらいけない!って、抑えたり、忘れようとしたりする。ただ、そうするともっと追い詰められて苦しくなりますよね。人には弱いところがあって当然だし、そういう感情も悪いものじゃない。そんな気持ちを形にすることで、見た人が楽になったり、ちょっと笑っちゃったりして肩の力を抜いてもらえたらいいなと思って作っています」。
たとえばこちらの作品、弱虫がテーマだけれど、笑った顔みたいなものがついていて、ユーモラスな見た目をしている。
「八方美人というか、相手によってキャラを変えてしまう弱さの虫です。おちゃらけてその場をしのぐことってありますよね。ピエロのおどける感じがそれに近いと思って、ピエロっぽい色や模様も取り込んでいます。」
そういう感情、作家である川越さん自身もお持ちなのかしら?
「私は人につい合わせちゃって、すぐ相手の顔色をうかがってしまうタイプ。それで自分がないなあって後から落ち込む(笑)。だからこのピエロっぽいものが近いかな」。
こんな素敵な作品をいっぱい作っているアーティストの発言とは思えない、意外な発言。けれど、この作ることで癒される部分が大きいのだとか。
「昆虫標本の形にするために、モチーフとなる感情そのものを細かく丁寧に観察します。時間をかけて見ていくと、不思議と気持ちも整理される。ああこういうことだったのかって。そうやって客観視すると、自分の好きじゃないところも肯定できるようになるんです。」
それはきっと観る人にとっても同じこと。一人でうじうじ考え込んで頭がいっぱいになっている時に、人のちょっとしたアドバイスで我に返る経験は誰にでもあるはず。
この大きな芋虫も、ぎょっとするけど、なんとなくもたついた感じが愛らしい。
「大きすぎる芋虫は、子どものふりをする大人をイメージしています。もう成虫かそれ以上の体をしているのに、あえてあどけなさを装って、ピュアなふりをする。大人になった事で以前のように人から可愛がられなくなる事が怖くて、そうやって自分を偽っちゃう」。
なるほど! この大きさにも納得。そんなふうに一つひとつのモチーフとなる感情を聞いていくと、まさに昆虫の形をした「あるある感情コレクション」に見えてきて楽しい。
「ネガティブな感情ってみんな思っているものも、実は表裏一体。例えばポジティブなはずの愛情が走り過ぎると、嫉妬や独占欲といった狂気にもなる。一方で弱さが人に寄り添う気持ちをもたらしてくれることも。簡単に善悪に分けられないってことも、作品を通して伝えていきたいですね。」
できれば見たくない心も、ユーモラスな虫になると、きちんと見つめることができる。川越さんの作品は、嫌な気持ちにも向き合って乗り越える元気をくれる、魔法の虫たちなのかもしれない。夏休み、金沢の美術館で弱虫採集に興じてみては?
川越 ゆりえ(かわごえ ゆりえ)
1987年富山県生まれ。富山大学芸術文化学部大学院芸術文化学研究科修了。主な個展に「レスポワール展」(銀座スルガ台画廊/2012年)、「弱虫は囁く」(ギャラリーVenere/2013年)、「感情たちは繭を紡ぐ」(銀座スルガ台画廊/2014年)、「それぞれの息遣い」(ギャラリーアートポイント/2015年)、「e.g.g.o0046 川越ゆりえ展」(大雅堂/2015年)、「弱虫博物詩」(ARTBOX152 西田美術館/2017年)、主な受賞にシェル美術賞2011入選、「GEIBUN4」(卒業制作展 都築響一賞/2013年)など。
アペルト07 川越ゆりえ 弱虫標本
金沢21世紀美術館 長期インスタレーションルーム
2017年5月27日(土)~9月24日(日)
開場時間:10:00~18:00(金・土は20:00まで)
入場無料