10年くらい前に、ライアン・マッギンレーの写真について書いた記憶がある。
当時ライアンと言えば、若干26歳でホイットニー美術館、翌年にはP.S.1/MoMAで個展を開くなど、NYの写真界に現れたニュースターとして日本の雑誌などでも数多く取り上げられていた時期で、ユースカルチャーと写真の系譜の中にあって、2000年代に現れた最もセンセーショナルな才能として注目されていた。
10年くらい前に、ライアン・マッギンレーの写真について書いた記憶がある。
当時ライアンと言えば、若干26歳でホイットニー美術館、翌年にはP.S.1/MoMAで個展を開くなど、NYの写真界に現れたニュースターとして日本の雑誌などでも数多く取り上げられていた時期で、ユースカルチャーと写真の系譜の中にあって、2000年代に現れた最もセンセーショナルな才能として注目されていた。
ライアン・マッギンレーの写真集『Ryan Mcginley』(Flasher Factory)など 。 初期のものは絶版のものも多い
その文章は、とある写真ギャラリーが発行するフリーペーパーのために書いたもので、今思えばあまりに稚拙で思い込みが激しい中二病のような駄文だったんだと思うけど、要約すると、
”90年代にあったユースカルチャーと写真の儚くも幸せな関係(自分の身の回りの恋人や友人、そしてサバイバルすべき日常の生々しさや儚さをストレートに撮ることに「リアリティ」があった)が、00年代になって、その日常そのものが攻撃されるような世界の「リアル」(9.11など)に対抗するには、写真に「フィクション」や「ファンタジー」を導入する必要があり、そうした写真における「リアリティ」の変容をライアンの写真に強く感じた”
ってなことを書いていた気がします(たぶん)。
それから10年経って、実際写真は「リアル」と巧妙な「フィクション」のない交ぜになっている状態(つまりは一見普通に撮っているように見せかけて、実は入念にセットアップして撮影している写真が多い。ヴィヴィアン・サッセンなどが好例。セットアップドキュメンタリーと呼ぶ場合もある。)という方向を走っているとは思うけれど、2010年代も半ばになって、あらためて90年代のユースカルチャーと写真の関係について、そしてその「リアル」と「フィクション」について思いを巡らせてみるのも面白い。
ヴィヴィアン・サッセンの写真集 『IN AND OUT OF FASHION』(Prestel)
ハーモニー・コリンが脚本を書いて、ラリー・クラークが監督をした「KIDS(キッズ)」(1995)という映画の存在は(クロエ・セヴィニーのデビュー作でもある!)、その後のユースカルチャーと写真の蜜月の関係に大きな役割を果たしたと思う。
映画「KIDS」の Trailer
映画であれ写真であれ、ユースカルチャーの「リアル」を撮る、ということを、ある意味「メジャー」な存在に押し上げたと言えるこの映画は、実のところはドキュメンタリー風の「フィクション」なのだが、自分たちのリアルな日常がそこに「写っている(ように見える)」ということに多くの若者が熱狂していたし、スターや芸能人の作り上げられたイメージや物語より、自分たちのサバイバルすべき「日常」の方がよっぽど「やべぇ」というリアルな感性が、その作品には宿っていた。だからこそ、当時みんながそれぞれの「日常」を「撮る」ことに(安いカメラの普及も相まって)「リアリティ」を感じたし、そこから多くの新しい写真家も生まれてきたんだと思う。(補足すると今の「僕らの日常やべぇ感覚」の受け皿は、Instagramが担っていると思う)
この映画の監督である1943年生まれのラリー・クラークは、徹頭徹尾、ユースカルチャーを撮り続けた写真家であり映画監督ではあるが、デビュー作である写真集「Tulsa(タルサ)」(1971)と、この「KIDS(キッズ)」(1996)という映画ではそのスタンスに大きな違いがある。前者は自らドラッグ、SEX、銃などと共にあった70年代の地元タルサのユースカルチャーを当事者(インサイダー)の視線で(というか当事者として)撮っていて、後者は、90年代のユースカルチャーについて「今、何が起こっているか」を観察者(アウトサイダー)の視線で探求しているものなのである。当然といえば当然で「KIDS」の撮影時すでに50代のラリー・クラークは、90年代のユースカルチャーの内側にいるわけではなく、そのアウトサイドで徹底的な観察者として存在していたと思う。(「KIDS」における当事者はむしろ当時19歳のハーモニー・コリンである、とはラリー本人談)。
ラリー・クラーク『Tulsa』(Grove Press)。再版のものは手に入りやすい
そういう意味で、ラリー・クラークという人は、ユースカルチャーにとって、「インサイダー」であり同時に「アウトサイダー」でもあり、時に「リアル」と「フィクション」の間を行き来するようなマージナルマン(境界人)のような存在で、そういうスタンスでいることが「ユースカルチャー」に真摯に愛情をもって向き合えることを知っていたのだと思う。
そんな彼も現在73歳になるが、今東京で少し変わった展示をしている。これもまた「ユースカルチャーと写真」に関しての彼なりのコミットメントの方法のように思える。
Larry Clark 「TOKYO 100」
期間:2016年9月23日(金)〜10月3日(月)
時間:12:00〜19:00
場所:東京都渋谷区神宮前2-32-10 GALLERY TARGET
以下ギャラリーのHPより、要約すると「1992年から2010年までの間に発表した映画の代表的な撮影シーンや、それらの作品のロケーションで撮り下ろした多くのスナップショット、Supremeのカレンダー撮影の際に撮り下ろした貴重なポートレートやセルフポートレートを、薬局や一時間プリントでラリー・クラーク自身が102×152mm (4x6)でカラープリントして、各15,000円で販売」していて、ラリー・クラーク自身は「この展覧会は今まで何度も自分の展覧会に来てくれたけれど、1万ドルや1.5万ドルするプリントを買えなかったファンの子達や、スケーターやコレクター達へのお土産や記念品とし、自分がハッピーに死ぬためのお返しなんだ」と語っている。
当然のことながら、「ユースカルチャー」というのは、一人の人間として、ずっと当事者でいることが原理的に不可能な文化で、そこがユースカルチャーをユースカルチャーたらしめている。その時その瞬間にその場所でしかありえないものがユースカルチャーで、その同時代性やその感覚(「アウラ」と言ってもいいかもしれない)を、イメージとして手元にとどめておくということに関して、90年代〜00年代にかけて「写真」は他のメディアにくらべて大きなアドバンテージがあったし、そこにみんなが熱狂したんだと思う
インターネットやスマホの普及で写真を物質として手に取ることがほとんどなくなったし、実際アート作品や写真集以外でそのモノとして「写真」を感じることは今後、より少なくなっていくと思う。そういう意味では、この展示にある写真群というのは、40年近くユースカルチャーを撮り続けてきたラリー・クラークが最後に僕らに届けてくれたプレゼントで、ある意味その「ユースカルチャーと写真」のアウラを宿った最後の写真達とも呼べるのである
編集者。1978年京都市生まれ。横浜国立大学卒業。主にアートや現代写真の分野の仕事。『美術手帖』コントリビューティング・エディター。過去には、写真雑誌『IMA』の編集やオペラシティアートギャラリーでのRyan Mcginley「Body Loud」展のカタログなどの編集協力など。
Twitter: @shintaromaki