時間が経つと、腑に落ちることってありますよね。この前も、そんな出来事がありました。冬の終わり、笙を習っていたころの友人に会って、久しぶりにゆっくりお茶をしたのです。
私はすっかり離れてしまいましたが、彼女は亡くなった先生の活躍の場を継承して、初夏の京都で演奏すると言います。
10年くらい前に先生の演奏を聞きに2回ほどお邪魔したことがあります。「わかった、行くね!」と約束して、その日が来たのです。
場所がお茶のイベント会場で、演奏までの間に2つ茶席に参加したこともあり、「茶酔いしてしまったから」とその時は思ったのですが、あとから「音が違うからだ」と気づきました。
先生はもういない。改めて気づいて、心が浮遊してしまったのです。わざわざ新幹線に乗って駆けつけたのに、最後まで聞かないって何事なのだ? ですが、「喪失」には逆らえません。
きっと、泣けちゃったら、ラクなのでしょうけれど、泣けないものですね。