青山・骨董通りの一本裏手。バショウが茂る庭を眺める一軒家が今日の目的地。身を置くだけでパワーをもらえる、ある芸術家のアトリエ空間です。
多くのクリエイションを生み出したアトリエ「岡本太郎記念館」:東京ケンチク物語 vol.24
岡本太郎記念館
THE TARO OKAMOTO MEMORIAL MUSEUM
渋谷駅のコンコースを飾る巨大壁画[明日の神話]や大阪・万博記念公園の[太陽の塔]など、ひと目見ると忘れられないインパクトを持つ力強い作品が今も各地に残る大芸術家・岡本太郎。若い時期をパリで過ごした彼は、日本へ戻って以降の20世紀後半にかけて、絵画・彫刻などの創作はもちろん、家具やプロダクトのデザイン、アートディレクションや執筆……と、ジャンルをまたいで猛烈な勢いで活躍する。それら多くのクリエイションを生み出した拠点こそ、現在「岡本太郎記念館」となっているスペース。1954年の完成時から逝去の96年まで太郎が住まい、創作を続けた旧自邸・アトリエだ。
さてその建物は、コンクリートブロックを積み上げた箱型の構造体に、凸レンズの形をした屋根を載せた2階建て。敷地の南側に庭を置き、1階のサロンや2階のリビング(非公開)はこの庭に向かって気持ちよく開いたオープンなつくりに。一方で、1階奥にある吹き抜けになったアトリエでは南面を閉じ、北面に大きな曇りガラスを入れている。北側からの間接光が部屋全体に均一にまわる、創作にはうってつけの空間だ。
設計を手がけたのは、後に日本のモダニズム建築の巨匠へと躍進していく坂倉準三。もともと実家のあった土地に根城を持ちたいと願った太郎は、パリ時代に親交があった坂倉にプランニングを依頼したそう。潤沢には予算がないなかでの仕事だったというが、シンプルだけど理に叶った間取りや、螺旋階段、バルコニーの木製手すりなどの気の利いたディテールなど、さすがは後々まで名を残す2人の出会いで生まれた建物といったところだ。
記念館は、太郎の死後に生涯のパートナー・岡本敏子の尽力によって98年に開館。カフェや展示スペースの入る棟を増築したが、坂倉建築部分がインテリアも含めて生前のままに残されているのはとてもうれしいことだ。床に飛び散る画材の跡、使い込まれた絵の具や巨大な筆、棚を埋め尽くす創作途中の絵画……。偉大な芸術家は確かにここに生きたのだなあ!アトリエを隅から隅まで眺めていると、そんな実感が染み込んでくる。太郎の痕跡を追いかけるうち、底知れないエネルギーを受け取れるはずだ。