TOP画像: 《赤い男(カリプソを歌う)》 2017年、油彩・麻、295×195cm、マルグリット・スティード・ホフマン©Peter Doig. Collection of Marguerite Steed Hoffman. All rights reserved, DACS & JASPAR 2020 C3120
これぞ眼福。絵画がもたらす魔法に酔いしれて ピーター・ドイグ展
新型コロナウイルスのため長らく閉まっていたピーター・ドイグ展。満を持して、6月から再開館した。実物を見る眼福とはこれだ~という、ただひたすらに幸せな体験。もしかするとこの状況で待っていたからこそ、喜びもひとしおなのかもしれない。
ピーター・ドイグ(1959-)は、今日、世界で最も重要なアーティストのひとりと言われている。作品は、ロマンティックかつミステリアス。何かがその先にあるような、そんな予感をさせるシーンを描いている。彼は、近代画家の作品の構図やモチーフ、映画のワンシーンや広告、彼が過ごしたカナダやトリニダード・トバゴの風景など、多様なイメージを組み合わせて絵画を制作してきた。
《のまれる》 1990年、油彩・キャンバス、197×241cm、ヤゲオ財団コレクション、台湾
©Peter Doig. Yageo Foundation Collection, Taiwan. All rights reserved, DACS & JASPAR 2020 C3120
例えば、この《のまれる》という作品は、映画『13日の金曜日』などから着想を得ている。そのためかどこか静けさと不穏な気配を帯びている。よく絵画にインスピレーションを得たムービーのワンシーンというのは聞くけれど、その逆のパターンというのはちょっと意外な感じ。目の前の絵にあるシーンの前後の出来事を想像してしまうのは、映画好きがそうさせるのか、それともこのアートに秘密があるから?
よーく見ると、湖の向こうの方に小舟が……。ちなみに、手前にいる二人のうち、左はドイグ本人がモデル。
《ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ》 2000-02年、油彩・キャンバス、196×296cm、シカゴ美術館
©Peter Doig. The Art Institute of Chicago, Gift of Nancy Lauter McDougal and Alfred L. McDougal, 2003. 433. All rights reserved, DACS & JASPAR 2020 C3120
不思議な違和感が生じるのは、異なる絵に同じモチーフが何度も出てくることも影響しているようだ。たとえば、小舟は数多くの作品に登場する。メインのモチーフになっていることもあれば、小さくあまり目立たない形で描かれていることも。そういう絵をまたいだ反復が、やはり少し不穏な雰囲気を醸す。デヴィッド・リンチの映画のような、何が起きたわけでもないのに不思議でほんのり怖い感覚が残る悪夢に近いかもしれない。
画面の真ん中を切り裂くような、塀の水平線と、街灯の垂直線のコントラストが美しい。小津映画「東京物語」の静けさにもヒントを得ているそう。
《ラペイルーズの壁》 2004年、油彩・キャンバス、200×250.5cm、ニューヨーク近代美術館
©Peter Doig. Museum of Modern Art, New York. Gift of Anna Marie and Robert F. Shapiro in honor of Kynaston McShine, 2004. All rights reserved, DACS & JASPAR 2020 C3120
まるで映画のワンシーンのよう、と言っても、ドイグの作品は圧倒的に絵画ならではの魅力をもっている。ゴーギャン、ゴッホ、マティス、ムンクからのインスピレーションといった、アートの知識がある人ならニヤリとしそうなモチーフやタッチ、構図やらが散りばめられているが、それだけではない。画面を大きく3分割するような配置や、目立つところに直線が引かれていたり、背後に積み上げられたビールケースは単なる格子で表現されていたりする。それぞれは、風景の一部である実際のモノをとらえている、ともいえるし、面にラインや色を描く抽象画ともとれるように仕掛けられている。
上から空、海、砂浜というように、画面が3分割に塗り分けられている。女性と同じポーズをとる奥の男性など、モチーフがリズムをつくっている。
《夜の水浴者たち》 2019年、油彩・麻、200×275 cm、作家蔵
©Peter Doig. Collection of the Artist. All rights reserved, DACS & JASPAR 2020 C3120
あちこちに行ったり来たり、ゆらゆらと目が漂う体験は、まさに眼福。大きなサイズが多いことも、影響しているのだろう、視線のリズムが体を包んで、水にぷかぷか浮かんでいるみたいに、いつのまにかすっかり癒されている自分に気づく。ドイグは、2002年に活動の拠点をロンドンからカリブ海のトリニダード・トバゴに移した。移住前後から、彼はビーチの風景を主なモチーフに選ぶようになり、さらに絵具も薄塗に、鮮やかな色彩で構成するようになったという。浜辺を描いた作品は、見る者のたゆたう感覚をますます高めていく。素直に、ものすごく海に行きたくなる。
《ストレンジャー・ザン・パラダイス》(「スタジオフィルムクラブ」より) 2011年、油彩・紙、93.5×61.5cm、マイケル ヴェルナー ギャラリー、ニューヨーク/ロンドン
©Peter Doig. Courtesy Michael Werner Gallery, New York and London. All rights reserved, DACS & JASPAR 2020 C3120
最後のコーナーは、スタジオフィルムクラブという、ドイグがトリニダード・トバゴ出身の友人のアーティスト、チェ・ラブレスと2003年より始めた映画のポスターが、ずらりと並ぶ。これらは、建物を共有している人々や近隣住人に上映会を周知するために掲出されたもの。素早く仕上げたドローイングは、ワンシーンを描いたものもあれば、まったく想像がつかない内容のものもあって楽しい。
「ピーター・ドイグ展」会場風景 Photo: Kioku Keizo
ドイグが注目を集めた時期は、ダミアン・ハーストに代表されるヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBAs)と称される若手の作家たちが台頭し、大型で派手なインスタレーションがアートシーンを席巻していた。そんな中、すでに時代遅れに見られることもあった絵画に真摯に取り組むことから生まれたドイグの作品は、むしろ新鮮なものとして評価されたのだった。
ギンザ読者なら、色々なメディアで表現されたアートが並ぶ複合展に慣れているかもしれない。けれど、これだけ一人の画家にフォーカスし、”絵画だけ”が並ぶ空間にいると作品に宿る底力みたいなものにきっと気づくと思う。古典的でありながら計り知れない魔法をもった絵の世界に、ぜひ飛び込んでみてほしい。
「ピーター・ドイグ展」会場風景 Photo: Kioku Keizo
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ピーター・ドイグ
1959年、スコットランドのエジンバラ生まれ。カリブ海の島国トリニダード・トバゴとカナダで育ち、1990年、ロンドンのチェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインで修士号を取得。1994年、ターナー賞にノミネート。2002年よりポート・オブ・スペイン(トリニダード・トバゴ)に拠点を移す。テート(ロンドン)、パリ市立近代美術館、スコットランド国立美術館(エジンバラ)、バイエラー財団(バーゼル)、分離派会館(ウィーン)など、世界的に有名な美術館で個展を開催。同世代、後続世代のアーティストに多大な影響を与え、過去の巨匠になぞらえて、しばしば「画家の中の画家」と評されている。