1990年代半ばの「世界同時渋谷化」現象。それは、エディター/ライターの故川勝正幸さんが「発見」したフレーズです。当時「渋谷系」と呼ばれた音楽を軸に盛り上がったカルチャームーブメントは、世界同時多発的に起こっていた現象で、世界中のクリエイターやおしゃれ感度の高い若者たちが「渋谷系的概念」を共有し、「好き!」「わかる!」と共感していたということなのです。「いいね!」ボタンもない、インターネット前夜の奇跡。アナログ時代最後のディケイドだったからこその 「渋谷化」だったのかもしれません。
世界で一番有名になった日本人女子2人組チボ・マットが90年代のNYを振り返る。すべては90年代からはじまった!
90年代はオルタナティヴが存在した時代でした
ニューヨークを拠点に活動するオルタナティヴ音楽ユニット、チボ・マット。本田ゆかさん(左)とハトリミホさん(右)は90年代後期のニューヨークで人気を博して、“世界でいちばん有名になった日本人女子2人組”。10年の活動休止期間を経て15年ぶりの新作『ホテル・ヴァレンタイン』をリリースした彼女たちに、激動の90年代を振り返ってもらいました。
GINZA(以下G) いま90年代ブームを感じますか?
ゆか 最近、破れたジーンズをはいてるコ、よく見かけるかも。
ミホ オープニングセレモニーの店員さんもカート・コバーンのTシャツワンピースを着てた。2年ぐらい前だったけれど。
94年、ニューヨークのイーストヴィレッジで出会ったゆかさんとミホさん。先にニューヨークへやってきたのはゆかさん。フランス留学を経て日本で雑誌ライターの仕事をしていたものの、現状を変えたいと心機一転ニューヨークへ。なんの目的もなくやってきたけれど、ミュージシャンのボーイフレンドがサンプラーとミュージックシーケンサーを持っていたことからそれを使って独学で音楽作りを始めるようになる。一方、ラップやハードコアパンクミュージックが大好きで、ヒップホップグループ「キミドリ」の初期メンバーでもあったミホさん。ストリートカルチャーの本場で「アートの勉強をしたい」とニューヨークへ。意気投合した彼女たちはチボ・マットを結成。
一風変わったユニット名は、イタリア語で「食べもの狂い」の意味。食いしん坊な彼女たちにちなみつつ、B級お色気映画『セッソ・マット』(73年)も掛かっているというから面白い。女性の笑い声とあえぎ声の入った『セッソ・マット』のテーマ曲は、ヤン富田やフリッパーズ・ギター、小西康陽などがサンプリングネタとして使っていた、というのは90年代渋谷系マメ知識。
CHIBO MATTO meaning crazy food in Italian
Yuka C.Honda / Miho Hatori
G 90年代のニューヨークってどんな雰囲気でしたか?
ゆか すごく変化のあったディケイド。80年代のニューヨークって、正直ゲットーみたいな感じだったの。カルチャーはあったけれど、街はゴミだらけ。外を歩くのも怖い。でも94年にジュリアーニが市長になると土地が次々と買い上げられ、街の美化が始まって。いまはきれいになりすぎちゃった。あまりいいことではないと思う。ジュリアーニは治安のためだって言ってたけど、私はそうじゃないって睨んでる。
ミホ 物価が上がったもの。いまは東京のほうが家賃も安い。
ゆか 90年代のニューヨークは物価がすごく安かったんです。ライヴもパーティも入場料は3ドル。だからいろんなことが企画できたし、私の友だちはみんな仕事をしていなかった(笑)。
ミホ 仕事をしても最低限。みんなその日暮らしだもの。
ゆか 私たちもそう。朝からチャイナタウンの雑貨屋を巡って1日が終わって、夜はカフェでおしゃべり。パーティに行ったりジャムセッションをしたり。コレを一緒にやろう、アレも一緒にやろうって、どんどんいろんな人と友だちになって。
ミホ コミュニティ色がすごく強かったと思う。インターネットも普及してなかったから、会って顔を合わせておしゃべりをする。だからこそ、時間を共有したからこそ生まれてくるものがあったもの。90年代からいちばん変わったのはそこだと思う。
ゆか 余裕がないからみんなピリピリしてるし。ミュージシャンもみんなバンドをかけもち。家賃を稼ぐために必死だから。 彼女たちが住むイーストヴィレッジは、80年代は治安が悪かったけれど、90年代はクリエイターが集う街だったとか。
ゆか ミホちゃんの家は、私の家と同じストリートの4ブロック先にあったし、そこの10ブロック以内にはニューヨーク中のミュージシャンが全員住んでたってぐらい。だから、ほとんどみんなご近所付き合いで出会っていったんです。
ミホ 最初のアルバム『ヴィヴァ!ラ・ウーマン』(96年)をデザインしてくれたマイク・ミルズもご近所さんだったしね。
- '96 1st Album VIVA ! LA WOMAN
Designed by Mike Mills
ゆか マイクは昔からの顔見知り。ロドローストリートという通りに私が所属するスタジオがあったので、ミホちゃんと私はいつもたむろしていて。で、そのスタジオの上の階にはギャラリーがあって、マイクはそこに住んでいたんです。
チボ・マットとマイク・ミルズはジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンのラッセル・シミンズらとともにバンド「BUTTER 08」を結成(96年)。ビースティ・ボーイズのレーベル〈グランド・ロイヤル〉からアルバムもリリースした。
- '96 Butter Of 69/Butter 08
→members are Cibo Matto, Russell Simns, Mike Milles and Rick Lee.
with Beastie Boys and Grand Royal Label
- '98 Hello Nasty
→Miho Joined
- ’98 Intergalactic
→Miho Joined
G で、ビースティ・ボーイズとはどうやってお友達に?
ゆか 私たちをワーナー・ブラザースで契約してくれたA&Rが、元キャピタル・レコードのA&Rで、ビースティーズの担当だったので、「会いたい!」って言ったら私たちのライヴにマイクDを連れてきてくれたんです。
ミホ その後アダム・ヤウクにも会って。すぐ友だちになって。
ゆか チボ・マットのライヴがロサンゼルスであったとき、アドロックにベースを弾いてもらったこともあったよね。
ミホ 彼らから電話があって急に呼ばれたこともあった。「いまレコーディングしてるんだけど、歌ってくれない?」って。
G 普段のビースティーズってどんな人たちですか?
ミホ すごいチルアウトだよね。
ゆか 好青年。礼儀正しくて謙虚ですごく気が利く。うちでパーティをやったとき、たくさん人が来ちゃって、座るところがなくなったら、真っ先に床に座っていたのが彼らだったの。
G ミシェル・ゴンドリーもチボ・マットのビデオを監督していますよね(「シュガー・ウォーター」96年)。
- MV SUGAR WATER
Directed by Michel Gondry
ゆか エヴリシング・バット・ザ・ガールと一緒にイギリスツアーを回ったとき、たまたま彼が私たちのライヴを観てくれて。で、「チボ・マットを撮りたい!」と言ってくれたんです。
「世界同時渋谷化」ならぬ「世界同時チボ・マット化」。ほかにも、『チベタン・フリーダム・コンサート』(96年)に出演したり、ベックと一緒にツアーを回ったり、豪華エピソードは満載。ここまでチボ・マットが愛された理由って何だろう?
- ’96 Tibetan Freedom Concert
→with Beastie Boys, Red Chili Peppers, Smashing Pumpkins, Bjork, Beck...etc.
ゆか 「狙ってなかった」からだと思う。自然体で勝手なことをやっていたから、面白がられたんじゃないのかなって。
ミホ 90年代の時代の空気にもマッチしてたと思うし。
G では、90年代のいちばんの収穫って何でしたか?
ゆか それはやっぱりオノ・ヨーコさんに出会えたこと。ヨーコさんのリミックスアルバム(『ライジング・ミックス』96年)に参加したことで知り合って。ヨーコさん、すごく気に入ってくださって。ダコタハウスに呼んでいただいたんです。
ミホ あの部屋に行くことになるなんて信じられなかったね。
ゆか 印象的だったのは、男性アシスタントがお茶を入れてくれたこと。ヨーコさんがフェミニストなのは知っていましたが、女性ボスに男性アシスタントというのは初めての体験で開眼したんです。で、そのときにショーン・レノンと出会ったんです。
その後、ショーンはチボ・マットのメンバーとなり、チボ・マットのセカンドアルバム『ステレオタイプA』(99年)に参加。ゆかさんはショーンのデビューアルバム『イントゥ・ザ・サン』(98年)をプロデュース。チボ・マットとヨーコ、そして、ショーンの絆はとても深いものになったのだ。
- ’96 Rising Mixes
→ remixed
"Taking to the Universe" Yoko Ono
- '98 into the sun
→ Sean's 1st album
Produced by Yuka Sean Lennon
- '99 2nd Album Stereo Type A
→ with Sean, Duma Love and Timo Ellis
→SMASH HIT! - ’13 Take Me to the Land of Hell
Bad Dancer→Cibo Matto Joined
G なぜいま90年代が求められていると思いますか?
ミホ 90年代が終わってからの10数年、ニューヨークでは9・11、日本では3・11の大震災が起こって。社会が揺らぐとシステムを疑うようになりますよね。だから、90年代なのかもしれない。90年代は、既存のシステムを壊してオルタナティヴが存在した時代。それをいまの人は求めているんじゃないかしらって。
ゆか 90年代はオルタナティヴで、インディーズなカルチャーがたくさん出てきた時代。レベル・スピリットがあった時代なんです。それは、いまも失いたくないと私は思っているし、人間はシステムを壊すことで進化するんだって信じていますから。
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チボ・マット
本田ゆかとハトリミホによる音楽ユニット。1996年、アルバム『ヴィヴァ!ラ・ウーマン』でメジャーデビュー。2枚目のアルバム『ステレオタイプA』(99年)発表後、2001年より活動休止。11年より活動を再開し、2014年に15年ぶりのオリジナルアルバム『ホテル・ヴァレンタイン』(commmons ¥2,000*発売中)を発表。
- ’14 Reunion!
3rd Album HOTEL VALENTINEReleased from Chimera Music
Art Direction & Design: Toshimasa kimura, Photo: Kyoji Takahashi(MILD Inc.), Styling: Daisuke Iga(band), Hair Make-up: Hiromi Chinose(Cirque), Illustration: Naoki Shoji, Text&Edit: Izumi Karashima
Cover:本田ゆかさんの服: カギアミニット ¥2,800 ハトリミホさんの服: ストライプジャケット ¥3,000(共にサンタモニカ渋谷店)/その他*私物