毎日、制服のように同じものを着る人たちがいる。“ユニフォーム派”として必ず名前の上がるフラン・レボウィッツに、センス・オブ・スタイルとは何かと問いかけた。(聞き手・文_佐久間裕美子)
変わらぬスタイルを持つ人。フラン・レボウィッツ
パンツをはき続けたのは、ただ好きだったってだけのこと
常にめまぐるしくトレンドを循環するこの世界で、時代に流されない独自のルックが“ユニフォーム”と表されるとき、必ず名前が挙がるのがフラン・レボウィッツだ。
作家で、パブリック・スピーカーで、アイコン。サヴィル・ロウで仕立てたジャケットに、ジーンズ(だいたいがリーバイス501R)、そしてカスタムメイドのカウボーイブーツ。けれど、本人からみると、ユニフォームではないのだという。
「だって、実際にはそうじゃない。人は、私がいつも黒を着ていると言うけど、本当はたくさんの色のジャケットを持っている。ただ、他の人にはそう見えるんでしょう。そう考えることをコントロールすることはできないし、それが可能なら他にもっと変えたい重要なことがこの世の中にはたくさんある」
ニュージャージーに生まれ、20歳でニューヨークへ。生計を立てるためにいろんな仕事をするうちに、音楽プロデューサーだったスー・ミンガスが始めた、政治と文化をテーマにした女性誌『チェンジス』で働き始めた。そのうち、アンディ・ウォーホルにインタビュー誌のコラムニストとして雇われ、その後、女性誌に活動を広げた。ドライなユーモアと辛辣だけれどファニーな語り口が特徴だ。
「私の学生時代、女性はスカートをはかせられていた。私がニューヨークに出てきたとき、パンツ姿の女性はレストランに入れてもらえなかった。1970年代に大きな論争が起きて、女性がパンツをはき始めるまでは」
高校時代に寮を抜け出してパーティに行った、学校を退学になった、と若き反逆児を思わせるエピソードが多い。パンツは反抗の象徴だったのですか?と聞いてみた。
「ただ好きだっただけ。挑発的なアクティビストタイプではなかった。でもそれでずいぶん怒られたし、認めてもらえなかった」
なぜ、いまの格好を気に入っているのか、聞いてもストレートな答えは返ってこない。
「服は好き。かつて、服が好きだといえば表層的だと受け止められた時代があった。そのうち服が重要になって、巨大な市場になった。服が重要な場所といえば、ファッションショーだけど、イベント自体が巨大化して、その意義が服ではなくなってしまったから行くのを止めてしまった。自分の服は好き。着るのも好き。人が着るものにも興味がある。私は表層的な人間だから」
反抗的ではない、表層的、という自己評価にはうなずけるところもある。
「私のジャケットとスーツはすべて仕立ててもらっている。私が初めてサヴィル・ロウに行ったとき、女性だからという理由で仕立てを断られたって知ってる?」
いまも、かつて自分を拒否した英国のテイラーにスーツを作ってもらっている。
「服としてベターだから。チャールズ国王が通う世界一のテイラーなんだから。国王を嫌う人は多いけれど、私は違う。なんといっても、彼は何を着ればいいのかを知っている」
Photo_Getty Images Text&Edit_Aiko Ishii