本誌5月号「7人の才媛たちが愛した服」企画にて、知性とスタイリッシュさを兼ね備えた女性をクローズアップした。ginzamagでは8人目の女性、武田百合子を特別にご紹介。彼女もまた、仕事も装いも、信じた確固たる”スタイル”を貫き、時代を超えて輝き続けるひとり。そのおしゃれを紐解けば、知とファッションの関係が見えてくる。
武田百合子の愛した服。知とファッションの関係
Yuriko Takeda
1925-1993
随筆家。代表作は『富士日記』、『犬が星見たーロシア旅行』、『ことばの食卓』など。女学校時代には同人誌『かひがら』で詩を発表。
結構派手だったなあ。
真っ黄色のぴったりしたミニのタイトスカートのスーツとか。
──武田花『インタビュー 母と過ごした日日雑記』
天衣無縫な生活の天才
出版社に勤務したり、作家秘書をしたりしていた若き日の武田百合子。戦後間もなく、文学者達が集まっていた東京・神田の喫茶店「ランボオ」で働き始め、そこで作家・武田泰淳と出会い結婚。
最初の作品は、富士山麓の山荘で泰淳と過ごした13年間にわたる日々をまとめた『富士日記』。その日食べた物から腹の立った出来事までが鋭い観察眼で描かれるなか、彼女のユーモアや天真爛漫さも透けて見える。
娘で写真家の武田花が撮った山荘の写真などで見る百合子は、花柄ワンピースやチャイナドレスといった個性の強い服をさらりと着こなしている。他にも、黄色いスーツによく合わせていたというストライプ柄のハイヒールは、よほど気に入っていたらしく、ボロボロになっても持っていたとか。太陽のようにまわりを照らした彼女の無邪気な魅力を、明るく華のある服は、より一層引き立てていたのだ。
昭和52年頃。グリーン地に白や黄色の柄が入ったブラウスを着て愛猫たまと。たまは娘の花が銀座で拾ってきた三毛トラの雑種。(写真:武田花)
富士山荘にて。更紗の生地で百合子が手作りしたワンピース。夏の普段着は、自分で作ることも多くあったそう。(写真:武田花)
昭和27年頃。左・百合子。右・花。若い頃は、仕立てたチャイナ服を気に入って、いろいろな柄や色で楽しんでいた。
昭和44年、赤坂の自宅にて。左は夫の武田泰淳。オリエンタルな花柄をまとって。