『20センチュリー・ウーマン』監督マイク・ミルズを想い、連ねた言葉たち「切実さをすくい上げるマイクの目」林 央子

マイク・ミルズが母親を描いた新作映画が完成した、と聞いたとき、それは素晴らしいものになるに違いないと思った。ウーマンリブ世代を生きたガッシリと強い母をもち、クリエイティブな母や姉に影響されて育ったということは、90年代に彼が来日し始めたころから取材のたびに聞いていたからだ。試写会場を出たとき、映画の登場人物たちがあたかも実際に生きているように目に浮かんだところも、さすがマイクだと感じ入った。
男性監督の描く女性、映画のヒロインといえば「いかに自分から遠いか」を思い知ることがよくある。けれども『20センチュリー・ウーマン』は違う。出てくる3人の女性、彼女たちはとても個性的だが、とても「リアル」で、その生き様に納得がいく。それはミランダ・ジュライというとびきりの個性派アーティストを妻に持つ彼ならではの、女性という存在を歪めず、そのままに受け入る愛情深さがなせる技だろう。
映画作りにあたって、多くの女性友達をインタビューしたそうだ。そもそも、私がマイクと出会ったのはパルコミュージアムで行われた『Baby Generation』展を準備していた時だった。女性のクリエイティビティをフィーチャーするこの展覧会のもとの構想は、ソフィア・コッポラの写真を紹介するということだけが決まっていた。ライオットガールのムーヴメントがおこった90年代のアメリカで活躍を始めた若い表現者を、ガーリーカルチャーが注目され始めていた日本に紹介する、という企画を、できるだけ歪みのない形で見せるには、まだ映画を1作も撮っていないころのソフィアをはじめとする若い女性たちのクリエイティビティを、的確に評価できる存在が必要で、マイク・ミルズこそその役に適任だった。
この展覧会の企画を5人の女性のグループ展、生活の中でアートを産み出す女性たちの肖像という方向で舵をとったのは、ソフィアをはじめとする女性アーティストに友達の多いマイクの力だった(当時、グラフィックデザインやミュージックビデオの監督として頭角を現していた彼は、キム・ゴードンやソフィア・コッポラが関わっていたX-girlのブランド創設当初に、ロゴやTシャツをデザインしていた)。「女性たちは生活のなかでアートを産み出す。それはしばしば、誰の目に触れることもないが、とても純粋で素晴らしいクリエイションなんだ」。女性への尊敬の眼差し、ありのままに女性を受け入れ評価するマイクの眼差しは、当時からこの映画へとまっすぐにつながっている。
その時代のファッションや音楽などのポップカルチャー、若者文化を通し時代のエッセンスをつかみ取ることは、表現を産み出す上でとても重要だ。『20センチュリー・ウーマン』を観た人は気付くと思うけれど、パンクミュージックや若者文化が非常に重要な構成要素になっている。来日トークイベントでマイクは「パンクミュージックがアメリカの、郊外の小さな街に届いたのが79年だった。当時までアメリカの主流文化では、個人的な怒りやネガティブな感情は表現されてこなかった。そうした感情にはじめてパンクが形を与えたんだ」と語った。思春期の自分のなかに抱えたもやもやした感情も、パンクミュージックとの出会いによって、「表現してもいいんだ、この気持を外に出していいんだ」という安心を与えられた、という彼自身の実体験がベースにある。
大衆文化には、それが多くの人に受け入れられている理由が必ずある。マイクの才能は、たとえばガーリーカルチャーのときもそうだったのだが、ある文化がその時代に多くの人に受け入れられている切実さを誠実にキャッチすることにある。それを土台に描かれた「リアル・ピープル」の「リアル・モーメント」を「リアル・タイム」に忠実に語る。嘘をつかない誠実さを積み上げ、映画という器に育てあげた作品が、私たちの「リアル」にすとんと届くのだ。
監督・脚本:マイク・ミルズ
6/3(土)丸の内ピカデリー/新宿ピカデリーほか 全国公開
1979年、CA州サンタバーバラ。シングルマザーのドロシア(アネット・ベニング)が、15歳の息子ジェイミー(ルーカス・ジェイド・ズマン)について、間借り人のアビー(グレタ・ガーウィグ)、ジェイミーの幼なじみジュリー(エル・ファニング)に相談したことから物語がはじまる。
提供:バップ、ロングライド/配給:ロングライド
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