何かを“集める”ではなく、自然と“集まってきたもの”から、いかにシンプルな答えを出すか。スタイリストとして40年の時間を過ごしてきた康一郎さんは、そう静かに一言。偶然の出合いを果たした品々が飾られたアトリエで、それぞれの所縁を聞くと、あるべき人の手元にたどり着いた“必然性”を強く感じる。自分と“もの”との関係をあらためて見つめ直すきっかけになる話です。
山本康一郎にインタビュー「“集まる”の必然」
値段のつけようのないものの中に
自分なりの価値を見出す
「19歳の頃からやってるから。まあ演歌歌手で言ったら〝トリ〟にはなるかもね」と山本康一郎さんはサラリと言って笑ったが、40年という仕事歴はどんな分野でも大ベテランと呼ばれるに十分のキャリアだ。まして、スタイリストとしてその世界の際を歩み続け、多種多様な分野の才人からリスペクトされる存在である康一郎さんならば、当然、所持するコレクションも相当なもの……と信じて疑わない人は多いだろう。
しかしそのアトリエには、オークションで購入した高額の美術品もなければ箱書き付きの骨董品もない。いや、コレクションというものを単に〝蒐集物〟と定義するならば、ここには「何のコレクションもない」ということになるかもしれない。
玄関を入りまず目に留まるのは、大型の木箱。「友人が〈ルイ・ヴィトン〉でベッドをオーダーしたとき、フランスから船便で届いたケースを、『何かに使えるんじゃない』と譲ってくれて」。その蓋を開けると、中には大小さまざまな写真集や作品集などの書籍がどっさり詰め込まれていた。
友人のクリエイターたちの作品集が詰め込まれた木箱。「『スモールクローン』の佐々木一也くんが箱の下に車輪を付けて動かせるようにしてくれました」
「ここに入っているのは全部、友人や知人のクリエイターが作った本。もらったものも自分で買ったものもあるけど、どれもよく知る、深い関わりのある人たちの作品です。だからどの一冊を手に取っても、それを作った人の顔が浮かんでくる。こういうセンスを持った友人たちが自分と同時代に生きていて、周りにいるということが幸せだと思いますね。こういうもので自分はできているみたいなものだから」
親しい人々にゆかりあるもの、ある意味でそれらは、それぞれの人そのものと言ってもいいのかもしれない。こうした身近なクリエイターが生み出す創作物は、常に自らを刺激してくれる存在でもある。
「(平野)太呂くんの写真集『LOS ANGELES CAR CLUB』だったら、車のことを考えたいときに見るわけじゃなくて。何気なくページを開いたときに、目が留まった写真の車の配色から、スニーカーのカラーのヒントが出てきたりする。そういう形で、今まで数え切れないくらい救われてるんです」
先に目的や予断を用意するのでなく、意図せぬ出合いの中から、何かを見つけ出す。それが康一郎さんのやり方だ。このアトリエに並ぶあらゆるものに、そうした何らかの出合いと、そこから生まれたエピソードがある。「普段は人に話すこともない」というその逸話について、野暮を承知で尋ねてみれば、そこかしこに興味深い物語が次々と飛び出す。
壁にかけられた巨大なポスターはファッションイラストレーターのルネ・グリュオーの絵で、青山にあった伝説的レストラン「ダイニズテーブル」が閉店の際にオーナーの岡田大貳さんから譲られたもの。そのすぐそばには、アトリエ近くにありよく通っていた喫茶店「芝生」のメニュー表のボードが。
「マスターが手で描いた字や絵がすごく可愛いなと思って。閉店すると聞いて、娘さんにお願いして譲っていただいたんです」。当たり前だが、メニュー表はアート作品でもなければアンテイークでもない。「値段のつけようのないものに惹かれる」と言う康一郎さんは、〝市場〟には並んでいない、多くの人が見過ごしてしまうようなものの中に魅力を見出していく。
その一例が、「Kurosawa Film Studio」の、撮影の現場で使われてきた〝箱馬〟。長年使い込まれて黒ずみ、ロゴが掠れたその佇まいに強く惹かれて「売ってくれませんかとお願いしたら、『売ることはできないけど、新しい箱馬を200個作ってくれたら、古いものと交換しますよ』と仰ってくださった」。さらに面白いのは、その箱馬を〈スタイリスト私物〉のアイテムとして一般に販売したことだ。
「Kurosawa Film Studio」の箱馬。段ボールのデザインは平林さん。「この傷はどんな時についたんだろう?とか想像したりするのも楽しい」
人がそれまで気づかなかった魅力を発見すること、そしてそこに少しの手を加えて新たな価値を生み出すこと。「こんなのも作ったんだけど」と見せてくれたのは、額に入った『週刊文春』の車内つり広告。旧知の同誌スタッフに頼んで譲ってもらったものだという。いつも電車で何気なく見ているおなじみの広告だが、美しく額装されたことで奇妙な魅力を醸し出し、どこかコンテンポラリーアート作品のように見えてくるから不思議なものだ。
『週刊文春』の中つり広告。今年は同誌の目次ページに〈スタイリスト私物〉の広告を出した。「『何の広告かわからない』と言われたけど、『わかりにくいが、自分のドレスコードなんで』とそのまま出しました」
出合ったものに自分なりに手を加えるとは一見、自由で簡単な行為に見えるが、その手を加える〝手つき〟の加減こそが問われるわけで、一歩間違えればそのもの本来の魅力を削ぐことにもなりかねない。その絶妙さこそ、康一郎さんの真骨頂と言える。相手の動きを一瞬で読み取り居合抜きで制する剣豪のように。瞬間の音をつかまえて最高のインプロヴィゼーションを繰り出す熟練のミュージシャンのように。そこには人生の多くの時間をものに向き合うことに費やしてきた人ならではの緊張感が常に漂っている。
「偶然出合ったものを受け入れるのは好きだけど、一方ですごく慎重に見ているんです。何でもパクッと食いついてしまわない。そこで〝秤〟にかけているわけでしょう。常にどこかピリピリしている部分もあって、疲れるときもある。自分と向き合うって面倒くさいことでもあるから」
さまざまな人との関わりの中で、自分を振り返り、感覚を常に磨き上げて創造に向かう。そうした日常を送る康一郎さんにとって、ものと対峙することは自分の過去と向き合うことでもある。
「スタイリストは〝選ぶ仕事〟で、どちらかに決めなきゃいけないというときがある。そんな時、ある時期から自分の親が浮かんでくるようになった。父親だったらどう考えるだろう?って。たくさん会話したわけではないけど、どこかで受け継いでいる部分があると思うから。それからは、親の残したものなんかを部屋に飾ったりすることができるようになった」
実父であり、日本映画を代表する喜劇役者・伴淳三郎。その姿を捉えた写真や残した品々が、室内の一部にそっと配されている。自分のルーツはいつもすぐそばにある。「義父もすごく良くしてくれたんです。これは義父の形見で、趣味で集めていたダンヒルの小型オイルライター。銀座の菊水で買ったみたい」と大切な品を取り出して見せてくれた。
「雑誌のページの切り抜きが入れてあって。真面目な人だったけど、紙の折り畳み方とかも含めて、すべてに義父を感じるんですよね」
〝偶然の出合い〟という言葉があるが、〝あるべき人〟の手元にたどり着いたならば、それはある意味で必然とも言える。長い道のりの中で、〝集める〟のでなく、自然と〝集まってきた〟ものたち。それらのすべてが、康一郎さんにとってなくてはならない重要な欠片としてある。
「ここにあるものそれぞれに、自分しか知らないエピソードがあって。意識/無意識にかかわらず、どこかで自分とつながっている。そういうものを見ることで、『自分って何なんだろう』とか考えるきっかけになる。別に気どった話でなくて、誰でもそういうことを考えることがあるでしょう。生きているというのは、時代の流れの中にいることで。その時々で、パッと下を見たら綺麗な石があって。それを拾っているだけなんだろうね」
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山本康一郎
1961年京都に生まれ、東京で育つ。雑誌や広告でクリエイティブディレクションも手がける。〈スタイリスト私物〉名義で「いま、自分が欲しい」アイテムを展開中。