バイクを偏愛する女性ジュリアが、アクロバティックな技を操り、公道を疾走する男性中心主義のバイカー集団の一員となっていく過程を描く『Rodeo ロデオ』。2022年カンヌ国際映画祭で女性審査員らの絶大な支持を受け、新たな賞までが設けられた本作の脚本・監督を手がけるのは、ノンバイナリーを自認するローラ・キヴォロン。現実にある複雑性や多面性を表現したいと語る、キヴォロン監督にインタビュー。
『Rodeo ロデオ』監督ローラ・キヴォロンにインタビュー
固定することなく、変化し動き続けるものを捉える

──本作は、「クロスビトゥーム」という公道で二輪や四輪でアクロバティックなレースをするバイカーの世界が描かれ、実際にバイカーたちもエキストラとして出演するフィクションになっていますが、彼らを撮ろうと思ったきっかけは?
2015年にクロスビトゥームをやっている彼らとの出会いがあったんです。最初、私はカメラマンとしてのポジションで入ったんですが、それから7年をかけて彼らの世界をつぶさに観察し、その過程で彼らと深い友情関係が生まれ、徐々に居場所を獲得していったんですね。脚本には、私自身のさまざまな体験が反映されています。
──日本でも神事や芸能、スポーツなど、女性には閉ざされた世界がありますが、そのようなコミュニティに入っていったのはなぜだったのでしょうか?
これはどの国でも言えることだと思いますが、未だ社会は男性が自分たちを中心に回していて、女性がそこに居場所を見出すためには、激しい戦いの上で勝ち取らなければならない。という現実がありますよね。「クロスビトゥーム」の世界も、女性の存在はなくはないのですが、本当にごくわずかです。昔から、私はそうした閉ざされたシステムや環境に興味があるんです。ジュリアのように、私自身が閉鎖された世界に入っていくことで、彼らの視線を受け止めつつ、枠にははまらない存在として撹乱する。そうして、そこにある秩序や閉鎖性を打破していきたいと考えています。そもそも、女性が男性だらけの世界に入っていくこと自体、現実にはあまりないことなので、すごくフィクション的な題材なんですよね。
──ほぼ男性だらけの社会のシステムの脆弱性とは何だと考えていますか?
男性であること自体が、弱さだと思います。私は、男性であることの特権意識やエゴイズムに対して、脆弱性を見出していますけど、個人的に男性を断罪するつもりはまったくないんです。

──社会的な構造や、そこからくる役割分担意識こそが弱さであると。
はい。私自身は、トランスフェミニズム(トランスジェンダー女性の権利がフェミニズム運動と結びついているという信念を支持する運動で、特に出生時に割り当てられた性別と一致しない性自認を受け入れる権利を支持するもの)という立場で物事を見ているので。例えば、暴力というものをツールとして考えた場合、少数民族の女性が男性からの抑圧に対抗する手段にもなると思いますし、時に荒々しく暴力的になることは、女性が自身の身を守ることにもつながります。なぜそう考えるかというと、優しさと暴力性は表裏一体だと捉えているから。私自身、ジュリアと共通する、暴力性や怒りを自分の中に感じることがあるので。ただ、内なる火のようにそれらを燃やしていると、最終的に、自分自身を焼き尽くしてしまう。だから、暴力とや怒りは、コストが高くつくものだと考えています。
──ジュリアを筆頭に、本作に登場するバイカーたちは、ジェンダーや家族内での役割分担意識による反応は見せても、性的役割分担というものに固定されていないものとして描かれていると感じました。
私はノンバイナリーなので、特に女の役割を演じるということもなければ、女らしさや男らしさという価値観に自分を当てはめることもありません。ジュリアもそうですが、私も男性的な格好をする日もあれば、女性的なスタイルをする日もあって、常に複数的で、 男と女の間にある存在であり、止まることなく変化しているような、カメレオン的な存在でいるんですね。ジュリアはそうやって、スクリーンの中で常に動き回るキャラクターなので、枠組みから常に外れていってしまう。だから、カメラで彼女を捉えるのが大変でした。
──定義付けできない存在なんですね。
決めつけることができないというのは、何よりも自由であることなんですよね。言葉や身体は人を閉じ込めるものですが、それでも閉じ込められないものを題材にすることで、こうしたフィクションが生まれたのだと思います。

──言葉は人を閉じ込めることもある一方で、詩のように開いていく表現もありますよね。元々は現代文学を専攻されていたそうですが、映画というメディアへとシフトしていったのは、映像により自由さを感じたからなのでしょうか。
私はもともと、文字を読むのにすごく時間がかかる人間で、イメージに関わる表現の方が簡単だったんですよね。そして、詩について話すと、文学において詩は境界にある存在だと思うんです。複雑な形の場合もあるけれど、シンプルな形で、言葉の組み合わせによって、イメージをすぐ喚起させる。そういう意味で、私にとって映画は、詩的なものとも言えるかもしれません。
──本作のエンディングも、とても詩的な表現と言えますよね。
そうですね。不死鳥の神話を想起させるような、シンボリックな力の働きを感じさせるものになっています。イメージを詩的に使うことは、物事のルールを飛び越えていく力になるんですよね。そういう表現になったのは、ジュリアがずっと孤独で、どちらかというと一人で過ごし、人を観察する立場になっているという状況も関係していると思います。彼女は、大人の世界とはちょっと違う、子どものような距離の取り方をするような、世界からちょっと外れた言葉の感覚を持った人ですよね。 そのこと自体が持つ美しさみたいなものに私は惹かれるんです。
──ジュリアの言葉のチョイスやあり方が、世間で当たり前とされていることを揺るがしていますもんね。ただ、一般的に、例えばジェンダーひとつ取って考えても、定義しにくいものはまだ疎ましがられがちです。
物事を二つに分けるような、バイナリー的な考え方は、ジェンダーの場面だけでなく、あらゆるところで見られますよね。その理由は、きっと多くの人たちは、規範がある方が楽と考えていて、そこから外れることはしたくないと考えているから。そういう動きは政治や社会の中にも見て取れます。その背景には、インターネットが人々を単純化させているという弊害があるんじゃないかと。バイナリー的な考えはインターネットの元々のコードとしてあったと思いますし、ネットが登場して以後の約30年で、人間の脳や神経細胞の働きにも影響しているのではと私は考えています。インターネット以前だったら、議論、討論が成立したことも、どちらが正しいか、どちらが論破できるかというふうに単純化していき、白か黒のどちらかしかないという見方になっている。でも、現実にある社会は複雑なもので、考えだって、今日と明日では違うものになるかもしれない。

──確かに。本作は観る者の中に本来ある複雑性、多重性に気づかせてくれる作品とも言えますね。
やっぱり、私にとって複雑性はとても大切なものです。本作も、何層にも折り重なった物語に、様々な神話が潜んでいて、様々なものが結びついています。登場する男性にしても、もちろん暴力的な人もいるけれど、優しさを持った人も描いている。そういう人の多面性や多様性、動き、エネルギーを集めて、キャラクターたちを描きたいと考えていました。テクニカルな側面を見ても、複雑な現実に沿うようにしようとすると、編集も複雑になっていくんですよ。
──カットが増えていくという意味ですか?
そうですね。私にとって、ワンシーン・ワンカットはシンプルすぎて、現実に即していないと感じてしまう。やっぱり、現実のわからなさを表現しようとしたら、編集でかなり組み合わせを工夫する必要があると考えています。それぞれが全く違う、ひとつ一つの素材を組み合わせることによって、何か怪物的なものを作りたいなと。私はモンスター的な作品が好きなんです(笑)。
──現実のディテールを詩のように重ねて、何か神話的な、怪物的なものを作っているということですね。
そう思います。先ほども触れたように、私にとっては常に動いているということがすごく重要で。止まってしまったり、固定されてしまったりすることは、思考停止につながると思う。だからこそ、動きが多いという私の作品の性質は、とても意味があると考えています。
『Rodeo ロデオ』
短気で独立心の強いジュリアは、ある日、ヘルメットを装着せずに、アクロバティックな技を操りながら公道を全速力で疾走する、バイカー集団「クロスビトゥーム」と出会い、組織のメンバーとなるが、次第にエスカレートする彼らの要求に直面し、自分の居場所に疑問を持ち始めるー。
監督・脚本:ローラ・キヴォロン
出演:ジュリー・ルドリュー、ヤニス・ラフキ、アントニア・ブレジ
配給:リアリーライクフィルムズ+ムービー・アクト・プロジェクト
2022年/105分/フランス/2.39/5.1ch
2023年6月2日(金) ヒューマントラストシネマ渋谷、アップリンク吉祥寺、K's cinema(6/3公開) 他全国順次公開
© CG CINEMA/ ReallyLikeFilms
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Lola Quivoron
ローラ・キヴォロン
1989年5月6日パリ生まれ。映画監督、脚本家。現代文学を学んだ後、映画の修士課程に進む。2012年、映画学校フェミス(Fémis)の監督コースに入学。彼女の中篇作品『Son of the Wolf』(2015)は、ロカルノで開催されたPardi di domani – Concorso internazionaleで賞を獲得。初の長編映画である本作『ロデオ』は、バイクを偏愛し犯罪の世界に生きる若い女性の姿をハードに描き、2022 年のカンヌ映画祭「ある視点」部門で審査員特別賞を受賞。『チタン』のジュリア・デュクルノーに次ぐ次世代の女性監督として、大きな期待を集めている。
Photo:Eriko Nemoto Text:Tomoko Ogawa