あのスーパースターと恋をした。回想録『私のエルヴィス』をベースにソフィア・コッポラ(Sofia Coppola)が脚本・監督を手がけた注目作『プリシラ』はファッションでの表現も見どころのひとつ。〝憂鬱な女の子〟を描き続けてきたソフィアは、「映画を作る上では、物語に共感できるかどうかが大事」と話す。ではプリシラ・プレスリーのストーリーに、彼女はどう胸をつかまれたのだろうか?
『プリシラ』ソフィア・コッポラにインタビュー
「映画を作る上では、物語に共感できるかどうかが大事」
プリシラの物語に驚き
夢中になったソフィア
──この映画の原作は、14歳でスーパースターのエルヴィス・プレスリーと恋に落ちた、元妻プリシラの回想録『私のエルヴィス』(85)です。原作に出合ったのはいつですか?
「もう何年も前、休暇中になんとなくページをめくり始めたのが最初。プリシラの経験した物語には本当に驚かされたし、その生き生きとした世界に思いがけず夢中になったんです。その後、今から2〜3年前にコロナで1週間ほどベッドにいた時、再び手に取ったことで、この本がどう映画として機能しうるか理解しました」
──どういった点で映画にできると思ったのでしょう?
「一人の女性が少女から大人へと成長していく道のりが、とても鮮明に語られていて。誰もが経験する普遍的な人生の過程を描いているのに、設定自体はユニークだというギャップの面白さ。それに、60〜70年代当時の女性の社会的役割についての証言としても興味深い。プリシラは私の母と同世代なんですが、その頃と今とでは、物事がいかに違うかについて考えさせられました。もちろん、変わらない部分もあるけれど」
──映画化に向け、どのように作業を進めていきましたか?
「まずは脚本に着手しつつ、イメージ資料をまとめることに。私自身大好きな写真家のウィリアム・エグルストンがエルヴィスの死後、グレースランド(アメリカ・メンフィスの、エルヴィスが暮らしていた大邸宅を含む敷地の通称)を撮影していて。もちろんプリシラとエルヴィスのポートレートもたくさん残っているので、視覚的にその世界へと入り込んでいきました。あとは当時の音楽も聴いたりしながら、脚本を練っていったところ、プリシラの視点を通して作品を見せたいと思うようになりました」
──エルヴィスとの恋愛関係は、今見れば男性優位でトキシックな面もあります。その点、現代の観客に伝える上で、どう意識していましたか?
「その通りなんですが、時代が違うことははっきりさせておきたかった。その上で、あくまでプリシラ自身の眼を通して二人の関係を表現しようとしました。回想録に描かれていたエルヴィスとの日々は目まぐるしく、高揚感とどん底が代わる代わるやってきて、まるでジェットコースターのようです。特に胸を打たれたのは、彼女が最終的に強さを見出すところ。映画のラストシーンをどうするかは、当初から決めていました。プリシラの決断は、自分に正直にいなくてはならないんだと思い出させてくれます」
──プリシラご本人がこの映画の製作総指揮を務めています。彼女の協力により、何か得られたものはありますか?
「彼女と一緒にこの映画を作れたことは、大きな支えになりました。直接顔を合わせてやりとりする中で、エルヴィスがとても大切な存在だったと伝わってきた。彼はプリシラの初恋の相手です。短気だし欠点も多かったようだけど、二人の間に愛が存在したのは疑いようのない事実。最後に別れてしまうとしても、この物語は心から愛し合った二人のラブストーリーなんだなと実感したんです」
──彼女はどんな人?どういう会話をしたか覚えています?
「ガーリーな空気感の持ち主ですね。お互いにファッションや旅行が好きという共通点もあり、一緒にいて楽しかったです。具体的にどんな話をしたのかはあんまり覚えてないんだけど、一緒にお茶してはプリシラの話に聞き入りました。そういえば彼女、プリシラ役のケイリー・スピーニーにこんな話をしたそうです。ドイツでエルヴィスに初めて会った時、サンドウィッチを差し出されたんだけど、あまりにも怖気づいていて、彼の目の前で食べる勇気が出なかったって。ケイリーはそのエピソードをふまえ、出会いのシーンの撮影に臨んだとのことでした」
──完成した映画を観て、ご本人からどんな感想をもらいましたか?
「プリシラはすっかり感激して、『これはまさに私の人生だし、その時々で抱えていた気持ちを、ケイリーがリアルに演じてくれた』と伝えてくれました。作品を観てもらうのは本当に緊張したけど、彼女自身の物語に忠実に作られていると感じてもらえたことが何よりうれしかったです」
──プリシラのアイコニックなファッションを再現した、衣装の数々も目を引きます。
「有名な瞬間の数々を再現するのは楽しかったです。衣装からヘアメイクまで、その時代らしく見せることが重要でした。その一方で、別にドキュメンタリーを撮っていたわけではないから、自分たちの解釈も取り入れることができた。その点ではいつも、衣装デザイナーのステイシー・バタットがすごく頼りになります。彼女は過去のファッションを現代的な視点で眺めることで、自分なりの解釈を加えるのがうまいから。だからこそ今回の衣装も、今の私たちが見ても奇妙ではなく、魅力的に映るんです。それがステイシーの才能だと思います。それとプリシラによれば、当時は誰もが人前できちんとドレスアップしていたそう。エルヴィスも寝室のある2階から降りる時は、必ずスリーピースのスーツを身につけていたらしいです。ましてや彼らの家には、スウェットなんて存在しませんでした。プリシラは現在もなおドレスアップするのが好きで、素敵だなと感じます」
──盛りに盛ったブラックヘアに、目尻を跳ね上げたキャットライン、フェミニンなドレス。エルヴィスといた頃のプリシラのルックは伝説的ですが、劇中ではその装いが彼の好みによるものだったことも描かれます。その事実をどう思いますか?
「エルヴィスはプリシラを自分の理想とする姿に変身させました。彼女も最初のうちは、エルヴィスからファッションを学んだり、ほめられたりすることに喜びを感じていたんだと思います。でもそのうちに彼から離れ、自分自身のアイデンティティを見つけなければならないと気づいた。女性が男性のために着飾る習慣は過去の産物ではあるけれど、ある種の文化でもあると思う。つまり、好きな格好をするのが一番だけど、外からの影響ももちろんあるということ。そういう意味ではプリシラは常に、自分が正しいと思うアイテムを選んで身につけていたのかなと」
──劇中、エルヴィスがどんどん華美な格好になるにつれ、プリシラの装いは逆に落ち着いていきます。その移り変わりは、ストーリーテリングと密接に関わり合っていますね。
「そう思ってくれてうれしいです。衣装やセットを決める上では、まさにキャラクターのことを第一に考えているから。ドイツパートは殺風景で物悲しい色彩だけど、メンフィスパートは強烈に鮮やかです。そして、エルヴィスがラスベガスでかの有名なコンサートを行う時代に入っていくにつれ、プリシラはキャットラインをやめ、自然な髪色に戻し、よりナチュラルな姿になっていく。エルヴィスの着せ替え人形のようだった彼女が、自分らしさを取り戻していくさまを、衣装で表現しようとしたんです」
──プリシラは当初、ずっとハートモチーフのチョーカーをつけていますが、グレースランドで暮らし始めてからは外しているのもどこか象徴的です。
「あれはプリシラが実際に持っていたチョーカーをもとにしていて。ハートのロケットの中に、彼女がまだ幼い頃に事故で亡くなった、実のお父さんの写真を入れていたというビハインドストーリーがあるんです。あのチョーカーをいつから外しているか、私自身は明確には覚えていないんですが、たしかにステイシーはかなり意識して考えていましたね」
──劇中のウェディングドレスは〈シャネル〉によるオリジナルだそうですが、ぜひ詳しく教えてください。
「素敵なプロセスでしたし、大いに助けられました。この映画は何せ小規模のプロジェクトだったから、ステイシーが一からウェディングドレスを作り上げるとなると、予算を大幅にオーバーしかねません。シャネルの素晴らしい伝統と技術があればこそ、単なるレプリカではなく、彼らの解釈で作ってほしいとお願いしました。あの美しいドレスが大きな木箱に入って届いた時は、ものすごく興奮しました。さらに、それを着たケイリーを見た時の気持ちといったら。結婚式の場面は、二人の物語においても特に象徴的な瞬間ですから」
──監督はデビュー以来、若い女性の葛藤を描き続けています。ただ『ヴァージン・スーサイズ』などの初期作では、その葛藤の理由はあえて曖昧にされていたように思いますが、近年の『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』や、今回の『プリシラ』では、主人公が何と闘っているのかが明確になってきています。この変化をご自身としてはどう思いますか?
「すべて意識しているわけじゃないけど、いい指摘ですね。作品をあるテーマに沿って発展させるためには、新しい観点を取り入れるようにしています。『プリシラ』では若い女性の視点のみならず、10代の娘を持つ母親の視点にもフォーカスしていて、私にとって初めての試みでした。それはおそらく、私自身にも今10代の娘がいるから。自分の人生の現在地に基づいたアプローチをしたんです」
──女性の眼差しで描かれた映画は増えつつありますが、監督はそのパイオニアです。女性の映画を撮り続ける理由は?
「それが自分の経験でもあり、興味を持てるから。映画を作る上では、物語に共感できるかどうかが大事です。でもそれとはまた違う形で、男性キャラにシンパシーを感じることもできます。『SOMEWHERE』(10)のスティーヴン・ドーフや、『ロスト・イン・トランスレーション』のビル・マーレイには、自分の欠片を見つけられましたから」
──監督は以前から「メインストリームよりも、オルタナティヴなカルチャーに共鳴する」と公言しています。大作映画の監督オファーを断った過去もあるそうですが、「共感できる物語を伝える」という姿勢を貫くことで、何を得たと思いますか?
「私にとって、自由にクリエイトできることは本当に重要なんです。思い通りの作品に仕上げるためには、むしろ小規模のプロジェクトの方が都合がいい。もちろんクリエイティブな解決策を見つける必要があるけれど、それも腕の見せどころというか、楽しみのひとつなんです。無限に予算がある場合、直球で物事を進められるという意味では楽かもしれないけど、ビジネス性が強くなり、表現面でどうしても妥協せざるをえないし、芸術としての意味合いが薄れてしまう。だから、これまで歩んできた道になんら後悔はありません。やりたいように仕事ができていることを幸運に思いますし、思い描いた通りの作品を撮ってきたと感じています」
Text_Milli Kawaguchi