M 若松さんが最初に大滝さんにオファーされたきっかけは?
W 松本隆さんの紹介があって。今でもはっきり覚えていますが、松本さんが「大滝はどう?」とおっしゃったので思わず「え!? 大滝さん、やってくださいますかね」と答えて。『A LONG VACATION』は既に大ヒット中でしたし、伝説のはっぴいえんどのメンバーで才能溢れる方でしたから。
M 松本さんは歌謡界にはっぴいえんどの仲間を誘い込み、大滝さんのことも、もっとメジャーシーンに出るべきだと考えていたようですね。1981年3月に『A LONG VACATION』が出て、大滝さんは5月までに10万枚売れたので一度プロモーションチームを解散。ところが6月から『君は天然色』がCMタイアップで流れだすと、夏には冬の歌である『さらばシベリア鉄道』まで海辺で流れ、『風立ちぬ』が発売される秋頃にはミリオンに手が届く勢いに。
W CBSソニー内でも話題沸騰でしたよ。とてつもなく音楽的なアルバムで内容も良かったし、スタッフみんなが推していた。でもレコード制作を担当したフジパシフィックミュージックの朝妻一郎さん(現会長)に「すごい売れ行きですね」と言ったら「それが若松ちゃん、制作費のほうがすごくて…」と。
M えーー!!? みなさんの夢を壊すので金額は伏せますが、どれくらい?
W 普通のアルバムの3~4倍以上。破格でした。
M 確かにミュージシャンだけでもいったい何人クレジットされているのかと。
W 大滝さんはミキシングも自分でできるから、ずっと一人でスタジオにこもっちゃう。だからスタジオ代もかかるし。スタッフみんな外で待っていましたよ。大滝さんどうしてんのかな? まだかな? 寝てるのかな?なんて言いながら(笑)。
M 聖子さんも、『風立ちぬ』の歌入れの後に大滝さんが何度も何度も自分のヴォーカルを聴き直すのを待ったそうで、おかげで自分の歌がどうやってレコードになっていくのか勉強になったとエッセイで語っています。
W そうでしたね。そもそも大滝さんはデモテープを作らないから、大滝さんのピアノに合わせて曲を覚えていくのだけど、当初それに聖子が戸惑ってね。途中で聖子が間違うと「おっ、それもいいね」と言いながら曲がどんどん変わっていく。
M 『風立ちぬ』は詞が先だったそうですが、聖子さんの声の響きを確認しながら時間をかけて完成させたんでしょうね。大滝さんもコメントで、聖子さんが「いい曲だけれど私に歌えるでしょうか」と言っていたのが、CM用のショートバージョンの録音が2テイクでOKになり「私、歌えました!」と笑顔でスタジオから出てきたと。
W 聖子もやるとなったらやるからね。それも才能です。大滝さんもそんな聖子と真剣に対峙してくださった。
M ちなみにグリコのCMは能登での撮影で国宝級に可愛かったです。あれを見たテレビの前の私たちは一瞬で♪風立ちぬ~と口ずさみ。しかし素朴な疑問ですが、はっぴいえんど後の大滝さんはCMソングやマニアックな作品が中心で、ご本人曰く70年代はヒットチャートに入るようなオーバーグラウンド(アンダーグラウンドの逆)活動はなかったと。だとしたら、どうしてそんなに『A LONG VACATION』に制作費がかけられたのでしょう?
W フジパシフィックの朝妻さんのバックアップはもちろん、大滝さんのマネージャーの前島洋児さんの存在も大きかったと思います。前島さんもこだわり屋でおもしろい人だから、大滝さんの資質を見込んでちゃんとハンドリングしていたんじゃないかな。以前にも話したけど、聖子の『Romance』や『瑠璃色の地球』を作曲してくれた平井夏美も前島さんの紹介。『Romance』はシングル『風立ちぬ』のB面なんだけど、前島さんが全然作曲者の正体を教えてくれなくて。結局、曲が出た後もしばらく不明のまま(笑)。
M 平井夏美こと川原伸司さんは当時ビクターレコードのディレクターでしたからね。
W 川原は大滝さんとも以前から仲がよくて、川原が担当した金沢明子の『イエローサブマリン音頭』も大滝さんのプロデュースでおもしろい企画だった。そう、もう一つの理由は大滝さんのセンスです。CMで実績を積んでいただけあってアイデアがとにかくユニークだし、曲が一瞬で耳に入ってくる。それはロンバケでも大滝さんが自分で詞を書いた『Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語』を聴くとよくわかる。だから、そのセンスにかけようという人がたくさんいたんだと思います。あとは時代もあるよね。
M というと?
W やっぱり当時は一人のアーテイストにかけて売り出そうという機運が今の何倍も強かった。やるとなったらお金をドーンとかけられたから。
M サウンドも贅沢です。ビートルズやロネッツで有名なフィル・スペクターばりの録音で、大勢のミュージシャンが一つのスタジオで同時に演奏する「ナイアガラ・サウンド」。佐野元春さんもブレイク前に悩んでいた頃、大滝さんのレコーディングを見学して影響を受けたと。それが『SOMEDAY』の大ヒットに繋がるわけですけど。
W そうかぁ、なるほど。聖子の『風立ちぬ』のときも大勢のミュージシャンがいましたよ、スタジオに。
M クレジットを見るとギターだけで一体何人いるのかと(笑)。コーラスも生の声で何重にも。ちなみに『風立ちぬ』では最後のサビの直前に大滝さんのファルセットが聞こえます。クレジットはないけど大滝さんが言及されていて。
W おぉ確かにそうだったね。今は音楽もPCで簡単に作れるしCDが売れなくて予算がないという事情もあるけど。でもお金がかかっているということは、それだけアーティストの思いが込められているということです。労力と時間と情熱がしっかりそそがれているからこそ40年経っても新鮮だし、リマスターされた40周年記念盤が出るわけで。
M たくさんの楽器が空気を震わせて鳴っている感じとか、今はもう再現できない世界ですよね。当時100万枚、現在までで通算200万枚売れたのは、ある意味必然だったのかもしれません。