南アジアにルーツを持つ、シャララジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。
前回記事▶︎「vol.10 哀れなる色男、踊り出す女たち」はこちら
シャラ ラジマ「オフレコの物語」vol.11
南アジアにルーツを持つ、シャララジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。
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都会で育った私は早い時期からクラブに足繁く通っている。小さい頃から唯一続いてることと言えば、音楽を聴いてるのとクラブで踊ること。
自分と踊りとの関係性は意外と深い。2000年代の南アジアでは映画が全てを包括するエンタメであったことは以前もここで書いた。映画の中にファッションや音楽などの文化が入ってて、音楽には必ず踊りがセットでついている。音楽を聴くと自然と身体を揺らしてしまうのはこういう文化背景からきている。ダンススクールなどはもちろんないが、みんな映画の中のお気に入りの音楽の踊りを完コピする文化があった。意外かも知れないが、東京に来てから中学生になって初めてK-POPなどに触れた時、南アジアのみんなで踊る文化となんとなくリンクした。大陸は踊る。
伝統的な観点でも縁がある。インド舞踊は特徴として足首に鈴輪をつけて音を鳴らしながら踊るのだが、手や頭など踊りの中で揺らす部位のアクセサリーには必ず鈴が付いている。体の動きに合わせて音が鳴るように、音楽と踊りが常に一体となっている。鈴の音は日本でも馴染み深い。鈴の音色は神様が好むものとされ、魔除けとしてお守りなどについている。鈴はアジア全体を象徴するアイテムだと思った。
東京のクラブで踊っている時、わたしたちは一体なにをしているのだろうという気持ちになる。音楽に合わせて一心不乱に体を動かし続ける中で、電気グルーヴの石野卓球が言っていた「テクノは都会の民族音楽だ」という言葉をいつも思い出す。音楽のジャンルの名前とかテクノとかクラブとかってワードは都会的に聞こえるけど、実際現代版の民族音楽でしかないと思う。踊っている時の私たちはまるで、なにかの儀式のよう。皇居ランナーが同じ方向で走っているのは、東京の結界を強めてるとネットのコピペで言われてるように、たぶん踊る私たちも都会に飲み込まれないように結界を張っている。
南アジアと日本のルーツを掛け合わせたアイテムを作る、〈HOLY BLEU〉というプロジェクトを始めた。都会的だけど、少しオリエンタルな要素が感じられる世界観を表現していきたいと思っている。シグネチャーアイテムは、音楽と踊りに繋がる、鈴をつけたアンクレット。都会で踊る、生きる私たちの魔除けとしてみんなに届けたい。
Photo&Text_Sharar Lazima