南アジアにルーツを持つ、シャララジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。
前回記事▶︎「vol.9 ケミカル・ブラザーズの歌詞」はこちら
シャラ ラジマ「オフレコの物語」vol.10
南アジアにルーツを持つ、シャララジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。
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今年初めに公開された『哀れなるものたち』は鮮烈な記憶だった。あらすじなどはググってもらうとして、かなり素晴らしい作品だったので、英語で本を読んだこともないくせして、思わず原作を買って英語で読む挑戦をしてみたりしている。原題は『POOR THINGS』。なによりジャケがかわいい。この映画については数々の素敵な記事が書かれているのを見かける中、今回私はこの映画の1シーンを取り上げて語ってみるという、少し変わった角度から参入してみようと思っている。
映画前半で登場するとても印象的な人物、自称俺は女の人に冒険しか与えられないという色男、ダンカン。一方、好奇心旺盛にもかかわらず、鳥籠に閉じ込められていて、外の世界を渇望していた主人公ベラ。彼は屋敷の外への大冒険をちらつかせ、彼女が覚えたばかりの性の快楽を利用して、巧みな技で屋敷から連れ出す。自分は一つのところに落ち着くことができないほど引く手数多で魅力的だと言う彼は、巣を作るつもりはないので、連れ出して早々、俺に惚れるな、俺は女の人に夢と冒険しか与えられない自由な男だと主人公ベラに宣言する。へぇ、かっこいいなぁ色男ってやつは。
了解、という感じで自由に外国の街を見て回り、ひとり観察し学ぶベラ。そんな彼女は、自分が自由な割に女は独占したい色男ダンカンの思い通りに動かなくなっていく。
そのことが印象的に表現されていると思ったのが、ダンスの場面だ。素敵なホテルのラウンジは社交する場でもあり、毎晩パーティー会場になっていて音楽に合わせて踊る、型の決まっている紳士淑女のダンスを振り払って、好きに踊り出すベラ。ダンカンという男性からの抑圧を超えて、自由に身体を動かす。色男よ、お前が高らかに宣言していた自由とはこのことではなかったかと言わんばかりに。そのベラことエマ・ストーンの踊る姿は、なぜか私の中でインド映画の『RRR』のダンスシーンとリンクした。まずは型を超えて、他人の思い通りを超えて踊っていると、自分の思い通りさえ超えて身体が勝手に踊り出す現象に覚えがあった。
南アジアで育った幼い頃、テレビは映画も音楽も全てボリウッド一色だった。日本では馴染みがないかもしれないが、インドのボリウッド映画はハリウッドを超える興行成績で、しかも2000’sはその黄金期だったようだと近頃調べて知る。南アジアでは映画と音楽は切り離せないもので、その頃わたしはボリウッドに釘付けだった。物心ついた時には音楽で身体を揺らしていた経験は、後のこのメガロポリス東京でのクラブライフに繋がっていく。もちろんは私はダンスの経験など一切ないが、根源的に踊ることを知っていたかのようにクラブに真面目に通い、音楽で踊ってしまう。運動神経も悪く、部活の概念も意味がわからなかったあの私がなんと、卒業して気がついたらまるで部活のように熱心にクラブへ通い身体を動かしてしまっている。信じられない。音楽にはそんな人智を超えたパワーがある。型を意識して、観客を意識して、踊らされてるうちは踊れていない。音楽が鳴り響くだけで、その心が脳を経由せずに身体が動いてしまった時、本当に踊りが始まったと私は感じるのだが、「RRR」では根源的に身体が動いてしまう踊り自体を、「哀れなるものたち」ではそれに加え、特に型を破ることにフォーカスしつつ、身体が動いていく状態を、まさに私の実感を証明するようなシーンだと感じた。
ベラことエマストーンが破ったその型は、私たち女性にとっては長いあいだ分厚かったものが、いまやっと時代を乗り越えるために必要となった重要な型破りだったように思う。男性から、社会から、フォルムから、作法からすべてを破った先にあるものを見届けたい。
どんなかっこいい色男だって自分が踊らせてると思いきや、案外踊らされたいとも思っていて、それって実は本当は自分自身では踊れないということかもしれない。踊り方、に方法なんてなければもちろん型もなく、誰だっていつだって自由に踊れるということ。そして、特に自分の五感を満たしてくれる美しい鳥ほど一生鳥籠の中には閉じ込められませんのよと、色男に向けて伝えたくなった映画の1シーンだった。
Photo&Text_Sharar Lazima