ギュッと抱きしめればふわふわに癒されて、黙って話を聞いてくれたり、 空想を広げる遊び相手にもなってくれる私たちの“ともだち”。『気狂いピエロ』のヒロイン、マリアンヌ・ルノワールが持っていた“ぬいぐるみ”。
ゴダールの傑作『気狂いピエロ』から垣間見る”ぬいぐるみ”とレディの関係

ピンクのワンピースを着た彼女の名前はマリアンヌ・ルノワール。ヌーヴェル・ヴァーグの頂点といわれるゴダールの傑作『気狂いピエロ』(撮影1965年)のヒロインである。演じるのはゴダールの元妻でミューズでもあったアンナ・カリーナ。J=P・ベルモンド扮する本好きの恋人と不可解な殺人&盗難を繰り返しながらの逃走劇。難解と評されるが、横溢する色彩、洒落た引用、南仏の陽光、その中でしなやかに動くアンナ・カリーナのコケティッシュな顔と肢体を見れば、それでよしとすべき映画である。
盗難車のオープンカーで逃走中の2人はあらゆる荷物をポイポイ捨ててしまうのだが、捨てずに持ちつづけるものがひとつずつある。男は1冊のバンドデシネ(漫画)、そして女は犬のぬいぐるみなのだが、彼女はそのシッポをもってブンブン振り回したりするだけで、ちっとも大事にしていない。映画中盤でようやくフォーカスされ、それがマヌケづらのダックスフントであることが判明。さらには背中にジッパーがついていて、そこから小さな鏡と口紅を出して塗る場面で、ダックスフントはただのぬいぐるみではなく、リップポーチという「機能」をもつ小物であることがわかり、密かにマリアンヌに子どもじみた同胞意識を感じていた我らは肩すかしをくらう。 「犬」だと思っていたものが、ただの「モノ」になる感じ。最後まで一緒だったのは「ともだち」だったからじゃないのね、おしゃれのためだったのね。
いくつになっても、ぬいぐるみ好きな女子はけっこういる。たたずまいの可愛さ、抱き心地のよさ、大切な人からの贈りもの等、離れがたい理由はさまざまだが、いつでもそばにいて嫌がらずに話を聞いてくれて(なにしろ動けませんし話せませんから)、何があっても自分の味方(と思い込める)というのは無敵。いのちと意志ある生きものは思いどおりにはならないけれど、非生物であるぬいぐるみは好きなようになる。いわば、その存在の半分は自分自身と言ってもいいのだ。
ただの布と綿とファーのかたまりとわかってはいても、やはり人間、自分たちと同じ造りの顔を見ると、ついつい感情移入をしてしまう。心配そうに私を見つめるふたつのお目々に、私の話を根気よく聞いてくれるふたつのお耳。さらに私たちには所有しえないシッポもマジカルポイントで、ぬいぐるみのうしろ姿フェチは意外に多いようだ。
大人になると、子どもの頃のように正々堂々とぬいぐるみを抱いて出歩くことができなくなるのが淋しくて、だからこそマリアンヌが羨ましかったわけだが、もしかしたら、と想像してみる。彼女(かアンナ・カリーナか)が「親友」のダックスフントの背中を無理やり切り裂いてポーチに改造し、ぬいぐるみをもち歩く方便にしたのでは、と。彼女ならやりかねない。
恵比寿の雑貨店「ジェニオアンティカ」が80年代後半に作って販売していたマリアンヌのポーチのレプリカ。このマヌケづら、たしかに振り回したくなる。
Photo: Jun Kato
Text&Edit: Rumiko Suzuki