毎日、たくさんの本と出会う書店員と読書カフェの店主がよりすぐりの1冊をセレクト。
達人がリコメンド 街の本屋のこの一冊 Vol.5

岩渕宏美
『異なり記念日』
齋藤陽道/医学書院/¥2,000
ともにろう者の写真家夫婦の間に生まれた聞こえる男の子、樹さん。著者である夫は聴者の家庭に生まれ、妻のまなみさんはろう者の両親に育てられた。ここに綴られるのは異なる3人の、愛おしい試行錯誤の日々だ。
夜泣きに気づけるよう触れながら眠る。樹さんもお腹が空くとまなみさんの髪を引っ張って知らせたりと頼もしい。家族の会話もそう。樹さんはバナナを食べても、遊んで大笑いしたあとにも、叱られたあとのごめんなさいにも「好き」の手話をする。踊ったり跳んだり、または目に涙を湛えながら繰り出される手話は、既存の意味以上に多くの表情を伝えてくれる。
目を合わすのも触れるのも、声を出すのも手を動かすのも、相手を思う先に生まれるものはすべて「ことば」なのだろう。この本はたくさんのことばであふれている。私たちはみな異なる。異なったまま一緒にいるためにことばを選ぶ。心が触れあえたすべての日が、それぞれの「異なり記念日」だ。
≫いわぶち・ひろみ=渋谷のジュンク堂で海外文学を担当。
阿久津 隆
『ぼくの兄の場合』
ウーヴェ・ティム/松永美穂訳/白水社/¥2,200
戦争を扱った作品を前にするとつい、人類の犯した過ち……二度と繰り返してはならない……のような、行儀がいいだけの言葉を出力しそうになるが、ナチ・ドイツの武装親衛隊に入隊し、19歳の若さで戦死した兄が残した日記や手紙、家族の記憶を手繰りながらあれこれと考え続ける本書の語り手は、言葉にすることの危うさを自分に言い聞かせるようにたびたび、書き記す。「危険なのは、そのときの衝撃や驚愕、恐怖などが、くりかえし語るなかで次第に理解可能なものに変わっていき、体験がゆっくりと色褪せて決まり文句のようになっていったことだった。」
ではどうしたらいいか。描かれたことを性急に別の言葉に置換することなく、そのまま受け取ること。たとえば1941年3月21日、「ドネツ川にかかる橋のたもと。七五メートル先でイワンがタバコを吸っている。俺の機関銃のえじき。」と書かれたこと。小さなノートに、鉛筆書きの不ぞろいな文字で、ごく普通の、家族思いの若者が、こう書いたこと。それをたくさん想像すること。
≫あくつ・たかし=東京初台にある本の読める店「fuzkue」店主。『読書の日記』発売中。
花田菜々子
『恋はいつもなにげなく始まってなにげなく終わる。』
林 伸次/幻冬舎/¥1,400
渋谷に実在するバーのマスターによる、恋愛小説……のような、お店での実話エピソード集のような、恋愛の悩みに効く実用書としても使えそうな、なんとも不思議な本だ。
舞台はとある街の静かなバー。客が次々と現れては、マスターにままならぬ恋の苦しさや二度と戻らない季節の特別な思い出を語り、マスターは石を投げ込まれた湖のようにやさしく彼らの想いを受け止め、彼らの気持ちに寄り添うようなカクテルを差し出す。
素敵なバーに一人で立ち寄り、初対面のマスターに恋の相談をすることは、現実世界ではかなりハードルが高い。だが、この本を読むと、自分が遠い昔に憧れた大人たちを思い出す。この世界はどこかなつかしくて新しい。
恋愛していなくても楽しくすごせる時代だからこそ、少しクラシックなこの恋愛賛歌のまっすぐさが、思いのほか胸にしみる。私たちは恋愛を美しく育み、人知れず涙するような気持ちを忘れすぎてはいないか。シンプルに、「恋愛っていいな」と思わせてくれる久しぶりの読書だった。
≫はなだ・ななこ=日比谷コテージ店長。実体験を綴った自著『であすす』(略)が発売中。