かねがね思っていることなのだが、「手抜き」という言い方には抵抗がある。
えへへ。あっけらかんと笑っていればいいのに、「手抜き」というフレーズが頭をよぎった瞬間、微妙にネガティヴな空気が生じてしまう。自分で「これ、手抜き」と申告すると卑下している感じだし、誰かに「手抜きだね」と言われれば責められている気分。考え過ぎでしょうか。
手をかけたものがおいしいもの、という思い込みに惑わされがち。もちろん、長い時間ことこと煮込んだスープやシチューは、そりゃあおいしい。手間ひまと時間を費やした料理には、おのずと熱量があるから。
でも、その反対、手間も時間もかけない直球の一品にも、剛速球ならではのエネルギーがある。たしかに手はかかっていなくても、手を抜いたわけではまったくない。
私の偏愛する海苔かまぼこは、そんな一品だ。なにしろ〈かまぼこを厚く切る〉〈海苔を巻く〉、それだけ。おろしたてのわさびを添えれば味はハネ上がるけれど、なに、なければ省いても問題ない。包丁一本使うだけだが、手でちぎってもノープロブレム、かえって口当たりに変化が出て面白いというところがいっそう手抜き感を煽るわけですが、当の本人にはそんなつもりは全然ない。
黄金の組み合わせです。魚のすり身のおいしさ、それをおおらかに受けとめる海苔の懐のふかさ。何度食べても飽きないし、食べるたびにすごいなあと感嘆する。よく考えれば自然なことなのだ。かまぼこも海苔も、そもそも海育ち。
いつでもおいしい。朝ごはん、晩ごはんにもうひと品欲しいなというとき。小腹が空いたとき。お茶請けにもどうぞ。晩酌にさっと一品添えたいときも、これに頼っている。裏切られたことは一度もない。
これを「手抜き」と言われると、ちょっと違うんだけどな、と思うわけです。たしかにそのまんまだけど、間然するところのないぴっちりとした味わい。
だから、かまぼこは質のいいものを選びたい。うどんや煮物に入れたり、細く切って吸い物に散らしたりすると、なかなかいいだしが出ます。
漆黒の海苔の着物を一枚まとうかまぼこは、ちょっと艶っぽい。それも好き。