台湾人の両親を持ち、3歳の時に台北から東京に引っ越して、以来ずっと日本で暮らしてきた作家の温又柔さん。自身の出自をテーマにしたエッセイや、それを彷彿とさせる小説は、大きな注目を集めている。温さんの最新作『「国語」から旅立って』は、幼少期から小説家になるまでの、悩みや迷い、うれしかったこと、つらかったことが丁寧に綴られた、刺激的な一冊だ。
ダイバーシティが話題に上る現在、アイデンティティのこと、異なる人同士のコミュニケーションなど、私たちが慣れていないことがたくさん求められている。温さんのお話には、そんな今を、ポジティブに楽しむためのTIPSが詰まっていました。
温又柔『「国語」から旅立って』インタビュー|私が、ニホン語に住むようになるまで
──温さんが自身のことを書いたエッセイは本(『台湾生まれ 日本語育ち』白水社)にもなっています。今回はどんなところが違うのでしょう?
今回は、最初から若い読者を意識しました。というのも、前の本(『台湾生まれ 日本語育ち』)で「わたしは日本語に住んでいます」と書いたところ、「もっと早くこの言葉と出会いたかった」と何人もの方から言われたんですね。考えてみれば「あなたの居場所は日本語だよ」って10代とか20代の頃に誰かに言ってもらえていたら、私もこんなに遠回りしなかったなって(笑)。言葉との関係を軸にした自分の生い立ちを示すことで、こういう考え方もあるんだよ、と伝えられたらいいなと思ってこの本を書きました。
悩み始めたティーンの頃
──ここまで網羅的に、自分の過去を振り返るのも大変ですよね。
字が書けるようになったばかりの頃の興奮や、自分が書いた文字で1冊のノートを埋め尽くしたいと胸を弾ませた記憶などを書くのは楽しかったんです。その調子で第4章にあたる高校時代のことを書こうとしたら、急に苦しくなった。というのも、その頃の私は小説家という存在に強い憧れがあったんです。小説家になりたくてたまらなかった頃の自分のことを、小説家になっている自分が振り返って書くなんて、ちょっとどうなの?って不安になってしまった。いまの自分が16歳とか17歳の自分にとっての輝かしいゴール地点にいる、みたいな意識が、文章に滲んだら気持ち悪いよなって。だから、そうならないような書き方を模索するのに苦労しました。まあ、ティーンの頃の自分を直視するのが恥ずかしくて、書きづらかったというのもあったんですが。
──ティーンの頃って、あれこれめんどくさく悩むし、できれば振り返りたくないような部分もありますよね(笑)。
わかってくださいますよね……しかし、そこを避けては先に進めない本なんです(笑)。それで、第4章を苦労しながら書くことで、自意識過剰だったティーンまっさかり、同時に、中国語を勉強していたときの自分の感情と、じっくり向き合いました。そして、当時の自分にとって、台湾人が中国語を話すことになった歴史的な経緯や中国と台湾の政治的な関係などは、ほとんど二の次だったんだと思い出したんです。単に、子どもの頃からなじみのあった言葉としての中国語に、私は興味を持った。要するに、出自を含めた自分自身への興味から中国語を始めたんだなって。
──誰しもが通る思春期の悩みに、言葉や出自が関わってきたんですね。
それよりも、この時期はまだ、こんなふうに見られたいという“理想の自分”と、こんなふうにしか見られていないであろう“現実の自分”の間にあるギャップのほうが大問題でしたね。小説と称して色々書いていたのも、理想的な自分を、おはなしの中に実現させたかったからだと思います。
──その後、大学に進んで、上海にも留学されています。その間も葛藤は続いていたんですか?
その頃になると、他人が思い描く「中国(台湾)人」や「日本人」から決定的にずれてしまう自分を、他人に対してどのように説明するのがベターなのかしょっちゅう考えさせられていました。と同時に、そんな自分を自分自身はどう受け入れるべきなのだろう?ということも。
アイデンティティは、揺らいでいていい
──最近、日本に住む外国の人やルーツが様々な人が、よく話題に上ります。温さんは、そういう人たちの立場を率先して表現しているように見られている感じもしますよね。
とはいえ私は、究極的には私自身のことしか“代表”できません。たとえば、ある大学で講演したとき、「私はここにいる誰よりも一番温さんの本に書いてあることを深く理解している」と言ってくれた学生がいました。彼女もまた幼い頃から日本で育った台湾人だったのです。内心すごく嬉しかったけれど、いわゆる“普通”の日本人である他の学生たちの前で、“そう、あなたが一番私をわかっている!”とは言いませんでした。そう言ってしまえば、自分と同じような境遇の読者しか相手していないと公認することになってしまうと危惧したんです。それで授業が終わったあと、自分の本をあなたに読んでもらえてよかったと、伝えに行きました。実は彼女とは今も付き合いがあります。彼女のような読者は私にとってとても大切です。けれど、彼女のようではない読者にも届く言葉を私は書きたいのです。
──もっとひらかれた問題意識としても読めますよね。
そうなんです。私は、台湾人であるとか、日本人ではないといった国籍に関する揺らぎのことだけを書きたいわけではありません。突き詰めていえば、“こうあるべき自分”と“こうでしかない自分”の間にありながら、あるがままの自分を受け入れられずにいる、ということを問題にしている。だからか、自分の中に揺らぎを抱えている方ほど反応してくれますね。
自分の場所は自分でつくる
──日本と台湾とか、相手が見る角度によって、温さんの輪郭が変化するんですね。こういう人だよね、というイメージって、いろんなカテゴライズが積み重なってできあがっていると思いがちだけれど、結局頼れるのは自分自身という感じがします。それは「よりみちパン!セ シリーズ」にもつながりますね。
そう、自分自身のことが信じられるなら、他人が他人であることも素直に尊重できるんですよね。自分が自分であることを肯定できるなら、他人をあるがまま受け入れることも、比較的、楽にできる。そして、そういう他人とともにあるこの世界は、決して自分ひとりのものじゃなくて、だからこそ、自分ではない誰かの視点を意識しようってなれるんじゃないかな。
私自身、元々、「よりみちパン!セ シリーズ」シリーズのファンだったんですが、それはこのシリーズから出ているどの本も、自分にとって未知の視点で、世界を眺め直すヒントを与えてくれるからなんです。
たとえば今回、私の新刊と同時期に刊行された信田さよ子さんの『増補新版 ザ・ママの研究』は、子どもにとっての母親という存在を、あらゆる角度から徹底的に分析しています。
それによって、読者は、自分と母親との長きにわたる固定した関係をときほぐす勇気がもてる。家族との関係って案外、問い直すきっかけがないですよね。うちのママ、昔からずっとこうだしなって諦めがち。国と個人の関係にも近いものがあるかもしれません。自分は日本人じゃないから日本に受け入れられてない、だから日本なんかきらいだ、と頑なになる人もいれば、逆に、自分は日本人なんだから日本が好きで悪いか、みたいな人も最近は増えてる。本当はもっとグレーゾーンがあるというか、あいまいであっていいはずなのに。
今よりもっと居心地をよくするには?
──クラスタとか、線引きして立場を明確にしようとする向きは、最近強いですね。
たぶん、線を引かないと不安なんでしょうね。私の場合、日本人でもなく台湾人でもないという自分の在り方についてずっと考えてきたので、線をうまく引けなかった経験が豊富なんです(笑)。その分、明確な線を引いて安心したい気持ちもよくわかります。ただ、その「安心感」の根拠が、別の立場の人を踏み躙っていたり、線からこぼれ落ちるものを貶めることと繋がってしまうのは考えものです。
──例えば、仕事をしていて、性別とか出身とか経歴といった、カテゴライズが理由のちょっとしたつまづきに出くわすことはあります。そういう時に、今までがのんき過ぎて、考えてこなかっただけなんだと気づかされます。気づいても流すというか、どこか諦めちゃうところもあるし。温さんは諦めずに追求していくのがすごいですよね。
いや、自分ではあまりそのつもりはないんです。できればのんきでいたいと思ってます。ただ、くやしいんです。自分さえ我慢すれば何事もなかったみたいになるのが。そうすることで、いつも特定の誰かがほくそ笑むという状況が。たぶん私、自分が好きなんでしょうね(笑)。大好きな自分自身が、傷つけられるのが我慢できない。それで、ヘンだなあ、と思うことがあったら、とりあえず言葉にしてみます。別に、誰かと対立したいとか、敵対したいとかは、まったくないです。むしろ、その反対。縁あってめぐりあった人たちとともに、自分のいる場所が、今よりも居心地よくなってほしい。可能性が少しでもあるのなら、そこに賭けたいと思っています。
『「国語」から旅立って──よりみちパン!セ』
温又柔 著
定価:1300円+税
母国語とアイデンティティ、歴史と境界線。日本エッセイスト・クラブ賞受賞の台湾生まれで「中国語がへたくそ」な日本語作家のライフワークを、今この国に生きる若い人たちに。「日本語は日本人のためだけのものじゃない」。帯=後藤正文。
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温 又柔
1980年生まれ、台湾・台北市出身。3歳のときに家族とともに東京へ引っ越し、台湾語、中国語、日本語の飛び交う家庭に育つ。09年に『好去好来歌』で作家デビュー。15年に刊行したエッセイ『台湾生まれ 日本語育ち』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞し、17年の『真ん中の子どもたち』は芥川賞候補となり話題になる。最新刊は『空港時光』。音楽家・小島ケイタニーラブとのコラボレーションによる朗読と演奏も行なう。