『ムーンライト』『レディ・バード』などを手掛けるスタジオA24製作の長編デビュー作『ヘレディタリー/継承』が今世紀最恐のホラーと世界中で話題になり、ハリウッドが今最も組みたいクリエイターとして注目を集めるアリ・アスター監督。彼が再びA24と手掛ける長編2作品目は、太陽の沈まない白夜の最中、花々に満ち、楽園のように美しい村で巻き起こるスリラーだ。不慮の事故で家族を失ったダニー(フローレンス・ピュー)は、大学で民俗学を研究する恋人のクリスチャン(ジャック・レイナー)と男友達と、スウェーデンの奥地で開かれる、“90年に1度の祝祭”に参加するが、やがて不穏な空気が漂い始める。確かに恐ろしく不安な気持ちにさせられるのだが、美しくときにユーモラスで最後にはなぜか感動さえ覚える。自分の中に渦巻く感情に名前が付けられずに困惑すること間違いなしの傑作を生み出した本人が、映画の主題となる彼自身が取り憑かれていることについて語ってくれた。
『ミッドサマー』アリ・アスター監督インタビュー「最高のストーリーテリングは、人を不快にさせるもの」
──ホラー映画という売り出し方はされているものの、かなりジャンルを特定するのは難しい作品ですが、監督自身はジャンルをどう捉えていますか?
今この部屋にいるような、配給や宣伝をする方たちにとっては重要ですよね(笑)。手に取る人がわかりやすいような方法で売ることができるから。ただ僕自身にとって、ジャンルは重要じゃないですね。でも、ジャンルは大好きだし、ジャンルについてかなり理解しているので、ストーリーテラーとして、そのジャンルにどんな罠があって、どんな方式があるのかを知っていることはすごく役立つし、自分の都合に合わせて寄りかかることも、ルールを破ることもできる。いずれにせよ、僕が気にしているのは、登場人物と世界だけです。登場人物に忠実であること、そして可能な限り正直にストーリーを伝えることですね。
──じゃあ、どんなジャンルにはめられても構わないんですね。
そうですね。そもそも『ミッドサマー』のジャンルは何かと聞かれても、僕もわからないですから。ホラー映画とも言えるし、失恋映画とも言えるし、おとぎ話とも言えるし、ブラック・コメディとも言えるし、居心地の悪い映画とも言えるし、成長物語とも言える。いろんな解釈ができるのにひとつのラベルをつけることは、人々から映画への興味を失わせる気もするので、偏見なしにそれぞれの言葉で関わってもらえたほうがうれしいです。
──混乱は混乱のままで楽しんでほしいと。
みんな混乱するのが嫌いだから、事前にそれがホラー映画なのか何のジャンルかを知りたいんでしょうけど、実は、腹の底では混乱することが好きだと思うんです。ただ、多くの観客がそのことに気がついてないだけで。ほとんどの人は、自分が対処していることを事前に知りたいと思う傾向があるし、だから、ヒーローもののような一定の映画は、何がなんでも想定できることしか起こらない。彼らが何者かも明白ですよね。観客も、何を求めて来ているかわかってるから、何かしらの安心感もある。ただ、僕はそういう映画って、何も残らないとも感じていて。期待していた通りのものを手に入れると、すーっといつもの生活に戻れちゃうので、特に振り返って考えることもなくなってしまう。僕は、人に取り憑いてなかなか離れないような、簡単には解決できない映画をつくるというアイディアが好きなんです。
──短編映画「Munchausen」と「The Strange Thing About the Johnsons」に続いて、『ヘレディタリー/継承』でも家族の姿を描いてきて、最新作『ミッドサマー』も失恋映画ではありつつも、家族を見つける映画とも受け取れます。家族を描くことは、監督のテーマなんでしょうか?
家族はいいドラマが生まれる根源ですし、私たちに一番近い存在です。少なくとも、僕は人生の中で、自分の生まれた場所である与えられた家族について、自分で家族を持ちたいのかどうかとか、家族についての問いとずっと格闘してきた気がします。『ミッドサマー』は、「与えられた家族」に対して「見つけた家族」ってなんだろうという問いと格闘したものとも言えます。僕は人生をかけて家族にまつわる映画をつくることができるだろうし、それでもまだ家族についての話は尽きないとも思うんです。家族って、取り組まなきゃいけないことが多すぎるから。
──そこに生まれれば、当たり前に家族を愛そうとするし、落ち着く場所であると同時に、離れづらいからこその落ち着かなさも正直あるのが家族という関係ですもんね。
その通りで、家は聖域であると同時に罠にもなり得る。でも家族はいつも側にいるし、逃れられない何かがありますよね。
──今後描かれる新作は、家族についての映画になるんでしょうか?
家族についてのものもあれば、家族と全く関係のないものもあります。今ちょうど書いているのはダーク・コメディで、それは間違いなく家族についての話ですね。それが次に公開される映画になるかはまだわからないですが。ひとつ言えるのは、僕はいつも自分が没頭していることに関する映画をつくっているということ。だって、僕らの強迫観念に対して、観客に興味を持たせることがフィルムメイカーの仕事じゃないですか。なので、結果的に全部の作品が僕が取り憑かれていて、格闘していることではありますね。
──『ミッドサマー』は共依存というテーマが描かれる作品でもあると思うのですが、共依存にならないために気をつけていることはありますか?
僕自身が共依存という問題を抱えていて、だからこの映画が生まれたわけで、だいぶましにはなってきています。ただ、僕は、共依存をどちらか一方が常に治すべきものだとは考えていません。時には、共依存から救ってくれた人ともっと酷い共依存関係になることもあったりするし。大人としての解決法は、その関係が健全なのかどうかを自覚して、不健全ならその関係から自分を切り離す方法を見つけることですよね。僕自身、そうできたならと思うけど、あまり得意ではなくて。でも、『ミッドサマー』は確かに共依存関係にまつわる話で、機能していない共依存関係に終止符を打ったとしても、新たな依存先を見つけただけだったりする。関係が機能していると健全に思えるかもしれないけれど、今まで以上に依存度が高い相手だった場合、内面化された共依存性を自覚することもできないかもしれない。となると、そこから離れなきゃいけないときにものすごく大変だろうし、いずれにしても健全とは言えないですよね……。
──確かに、一概に別れればスッキリ幸せ、という話ではないですよね。ちなみに監督にとって、この世の中で一番怖いことってなんですか?
この映画の中で起こってることは、だいたい僕にとって一番怖いことですね。親しい人に酷いことが起きたり、その責任が自分にあるとか、親しい人に裏切られること、病気になること、人間らしい生活を失うこと、アイデンティティを失うこと、正気を失うこと。そういう頭の中にあるたくさんの恐れが、それこそゾンビ映画やアルツハイマー映画のようなかたちで物語られる可能性があって、多くのホラー映画が生まれる源流になってるんだと思います。
──書くことによって、そういう不安や恐れを克服しているんでしょうか?
いや、克服はしてないですね。僕なりの方法で恐怖を通して物語ることで、それについて探求しているというか。自分が恐れていることについて長々と考えるよりも役に立つし、少なくとも生産的かなって。
──生産的だし、出力したものを観てみんな喜びますしね。
一部の人はありがたいことにそう思ってくれてるようですね。大半には嫌がられているので、それは問題ですけど(笑)。
──いや、多くの人が喜んでると思いますけどね。『ミッドサマー』は唯一、依頼を受けて執筆された作品とのことですが、不自由さは感じましたか?
確かに、「アメリカ人が夏至祭の間にスウェーデンの特別なコミューンを訪れる物語をつくってほしい」という依頼から書いたのはこの作品だけですが、当時長年付き合っていた恋人と別れたばかりだったので、それと結びつけてすごく個人的に出力できる方法が見つかったので引き受けたんです。結果的には、これまで書いたほかの作品よりも僕の要素が含まれていますし、より個人的なものになりました。最初のアイディア以外、何か要求されることもなかったですし、自分がしたいようやれるという完全な自由を与えてもらっていたので。
──じゃあ、今後もそういう依頼があれば引き受けますか?
誰かがくれた何かをすごく身近に感じられたり、想像力が広がって、エキサイティングなアイディアが生まれるなら、断る理由はないですよね。ただし、僕の場合、自分のやり方でやれるという自由は必要ですけど。
──日本のホラー映画もお好きとのことですが、どんな部分に惹かれるのでしょうか。
日本の映画と文学に見られる、ごく静寂な空気感。あとはミステリーへの敬意ですね。僕は日本の怪談話が大好きなんですが、西洋のものよりもビジョンの完成度が素晴らしいですよね。小泉八雲みたいにギリシャから日本に移住した作家がいるのもわかるし、日本の怪談話に対する尊敬の念が強いです。僕自身、小さい頃から日本の本や映画や音楽に触れる機会がたくさんありましたし、アバンギャルドで実験的な感性があると思うし、現代の日本映画の大作は昔に比べるとやや商業的になっていますけど、日本の映画人にはリッチでミステリアスな作品を生み出すDNAが組み込まれているし、たくさんの日本映画の巨匠が、西洋の監督や作家に、ミステリーのさらに奥深い天に近いところまで行ける自由を与えてくれたと思う。日本には、密度が濃くて、雰囲気のある実験的な作品をつくってきたという素晴らしい伝統がありますから。
──一般的に、笑いの感覚は世界の国ごとに微妙に異なると言われていますが、監督はどこの国の感覚に近いなと感じますか?
僕のユーモアの感覚は、イギリスかヨーロッパのものが近いのかな。でも、韓国や日本の映画を観て、アメリカの映画よりも全然笑えると思うことも多いんですよね。アメリカの笑いもときに素晴らしいなと思うこともあるけれど、僕は一般的なアメリカ人よりダークな笑いが好きなんでしょうね。同じように、ヨーロッパやアジアのみなさんのほうが、僕の作品によりユーモアを見出しやすいように感じています。
──「存在してはいけない映画を作りたい」とよく話されていますが、存在してはいけない映画とは何を意図しているのでしょうか?
ある特定の権力が俗悪だとみなす映画、それこそが僕が最も興奮する作品なんです。もし、それをなんらかの形で豊かなものにできたなら。僕は、最高のストーリーテリングって、人を不快にさせ、困惑させる、悪戯なところがあると思うんですよね。僕自身、悪戯好きなストーリーテラーが好きなので。
──監督の作品を観ていると、最後にはなぜか浄化されたような気持ちになるんですけど、同時にモヤモヤがかなり長く居座っている感じもあります。これも、監督の悪戯なんでしょうか?
エンディングは常に、セラピー効果をもたらすように設計してはいます。ただ、治療的なカタルシスがあると同じくらい部屋が引き裂かれるように破壊的でもあってほしいんです。いい気分なのに、なぜかしっくりこないような。体内が清められたはずなのに、何か新しい病気が潜んでる……みたいな気持ちになってもらえたらうれしいですよね。
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Ari Aster
1986年生まれ、アメリカ・ニューヨーク州ニューヨーク出身。アメリカン・フィルム・インスティチュートの美術修士号を取得。「The Strange Thing About the Johnsons(原題)」や「Munchausen(原題)」といった短編で注目を集める。そして2018年、A24製作の『ヘレディタリー/継承』で長編監督デビュー。同作は、サターン賞新進監督賞を受賞したほか、ゴッサム賞、ブロードキャスト映画批評家協会賞、インディペンデントスピリット・アワード、オンライン映画批評家協会賞など多数の映画賞にノミネートされた。A24製作の新作『ミッドサマー』が2月21日に全国公開される。