さまざまなフィールドで活躍する、新進気鋭のクリエイターにインタビュー。その独創的な発想力と、人を惹きつける魅力とは?創造の源に迫る。
作曲家、坂東祐大にインタビュー
シーンを塗り替える表現者たちvol.04
坂東祐大
作曲家、音楽家
日常にはない知的な刺激を
現代音楽で届けたいんです

音楽によって、自分のいる世界が今まで触れていた現実と異なるものに感じられる、そんな瞬間を体感したことがあるだろうか?あるいは、脳みそやハートが刺激され、無性にざわざわする経験を。坂東祐大さんは、現実を異化する体験をもたらす作曲家だ。
近作「花火」は、打ち上げ花火を用いたインスタレーションから発想したピアノ協奏曲。人工的に調律を狂わせた楽器の音色や、音のない空白の時間に、一瞬で強烈な印象を残しながらも消えゆく花火が思い浮かぶ。後に残る音像まで美しく作曲されているのだ。
2015年、24歳で芥川作曲賞を受賞した現代音楽界のホープは、ジャンルを超えたフィールドで活躍中。米津玄師の楽曲アレンジや、テレビドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』の劇伴、詩人の文月悠光とのパフォーマンスなどでその名を知った人も多いだろう。
幼少期よりピアノを学び、小学6年で始めたのが作曲の勉強。すなわち、「西洋音楽の中で体系化された作曲の基礎文法を学ぶことです。テーマや編成に沿った曲を理路整然と作れる能力とそれに紐づく文法的な音楽理論。文章に例えるなら正しい〝てにをは〟の使い方。オリジナリティや創造性以前の基礎体力を身につける術なんです」。
東京藝術大学の音楽学部作曲科で学んだ現代音楽は、西洋クラシックの延長線上にある〝最新形〟だとよく言われるけれど、坂東さんから見た現実は?
「もはやマルチバースのように多元化し、ひとくくりで語れるものじゃなくなっている。みなさんが触れたことのないような音楽が次々生まれている世界線が存在するんです。ただ、アクセスしづらい音楽なのでニッチな聴き手だけに留まっているきらいもある。作曲家の創作が主体となる分野があることを少しでも知ってもらえたら」
どうすれば今の表現として社会に投げ入れられるのか、と日々考える。
「いまは音楽があふれすぎていて、消費されるスピードも本当に早い。そもそも、音楽を消費するという考え方が好みではないのですが。そのような中、録音ではなくホールで、その公演でしか体験できないことをみなさんにどう投げかけたらよいのか日々考えています。最近は日本のルーツでもある伝統楽器に創作の萌芽があるんじゃないかとも思うようになって。22年、23年と箏曲の新作を書きましたし、24年は尺八の独奏曲に挑戦する予定。藤井風さんの『へでもねーよ』のイントロで尺八を吹いている若手ミュージシャン、長谷川将山さんからの委嘱作品です」
どんな時も、やるからにはよいものにしたいのだと坂東さんは言う。
「触れる機会の少ない音楽だからこそ、出合えた時の驚きや喜びがいっそう強くなる。めまいがするほどの衝撃を受ける可能性があると思うんです。なので、あえてハードルを下げて共感しやすく作る、みたいなことを絶対にしたくない。それって聴く人を軽んじている行為ですし、音楽の強度がどんどん低くなってしまうと思うから」
最後の一言にドキリとする。わかりやすい音ばかりで耳を満たすことが、未知の音楽をキャッチする能力を弱らせてしまうとしたら、哀しい。
「よく〝音楽は世界の共通言語である〟とか〝言葉や解説は要らない〟っていうじゃないですか。でもそれは違う。音楽にも、地域や文化園やコミュニティや時代によってスタイルがあり、その時に生成された音楽言語みたいなものがある。それをわかろうとした時に、もっと広い世界が見えるんです」
そんな坂東さんが机の上に出したのは、自身の作品の楽譜。ここには作曲家の頭の中で鳴っている現象が、100%落とし込まれているのだろうか。
「楽譜はコミュニケーションツールなので、すべての情報を伝えるコードであるべきだ、と言われています。でも僕はよく、演奏や録音のリハーサルに立ち会って『楽譜を読み込んだうえで、こう崩してください』みたいに伝えます。先日は『坂東くんの曲って、坂東くんがいなくなったら誰も演奏できないんだよね』と言われました。現場でしかわからないニュアンスや、時には身体表現などの非音楽的要素も含め、音符の記録にはのせきれない刺激を、僕の曲は求めているのかもしれないです」
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坂東祐大
ばんどう・ゆうた>> 1991年大阪府生まれ。オーケストラや室内楽、サウンドインスタレーションなど幅広く活躍。2024年3月20日に現代音楽と現代詩の演奏会『坂東祐大&文月悠光 音楽と詩と声の現場2024』を静岡GRANSHIPで開催。
Photo_Miyu Yasuda Text_Masae Wako