──自身の原体験をもとにオリジナル脚本を執筆した本作で長編映画デビューしたセリーヌ・ソン監督とのコラボレーションはどんな体験でしたか?
二つ思うことがあって、第一に、彼女はプロフェッショナルで自分が何を望んでいるのかを細部までわかっていました。それは役者にとって本当にやりやすいんですね。それに、彼女が自分の感情に正直であり、傷つきやすいというところが信頼できると感じました。第二には、脚本が素晴らしかった。とてもシリアスなドラマなので、オーディションを受けるまで、僕自身、本当に努力したことを覚えています。韓国では、「イニョン」という言葉を、日常生活で使う習慣があります。映画の中でもその言葉が使われていますし、彼女との縁で仕事ができることを望んでいました。
──この作品は、12歳で韓国を出てアメリカで暮らしたノラが、自分の韓国人らしさというものと再会するというドラマでもあると思うのですが、ドイツに生まれ育った韓国人であるユ・テオさんは、「韓国人らしさ」というようなものと、どのように付き合ってきたのでしょうか。
ドイツで生まれて20年間暮らしたことは、自分の運命で宿命だと感じています。その後、ニューヨークへ留学して7年間住み、今は韓国に暮らしています。ドイツに住んでいた20年よりも、離れている期間の方が長くなりましたが、どこにいても、自分はまだまだだと感じるというか。どういうことかというと、たとえ、自分が属している文化の外側にある世界が、彼らの一部として自分を受け入れてくれたとしても、自分が受け入れられていると思えるかはまた別だなと。だから内面ではいつも何かが欠けていると感じていて、今いる場所のひとつの文化をより理解しようと努め、それらしいものになるために常に努力しています。
──移民としての人生を、「表には見えない憂鬱」として表現されていましたね。
そう、それが僕なんですよね。何に憂鬱さを感じるか、感じ方も人によるけれど、自分の感情は常に憂鬱だったんです。その感情は誰もが知っているから、表現することはそれほど難しくはないですよね。でも、それをどうやって表出させるかは、また別の話で。内側で感じてはいるけれど、外側からカメラで撮られたときに、初めてその表情や感情を伝えることができるというか。
──アウトサイダーとしての憂鬱があっても、いろんな文化、言語を背景から知ることができることは強みにもなりますよね。
悪いことだとは捉えていません。自分はパフォーマーだから。そういう孤独感みたいなものも、特権的な感覚だと思ってます。