1980年の長編デビュー以来、NYのインディペンデントフィルムシーンを引っ張ってきた映画監督のジム・ジャームッシュ。そんな彼が絶大な信頼を置くプロデューサー、カーター・ローガンとともに音楽を務めたのが、『RETURN TO REASON/リターン・トゥ・リーズン』(1月24日より公開中)だ。美術家マン・レイによるサイレント短編映画4本の4Kレストア版にスコアをつける試みだが、100年前のシュルレアリスム作品を、なぜ今よみがえらせたいと思ったのだろう?
芸術+瞑想:ジム・ジャームッシュ流“今ここ”の楽しみ方
『RETURN TO REASON/リターン・トゥ・リーズン』ジム・ジャームッシュ&カーター・ローガンにインタビュー

——『RETURN TO REASON/リターン・トゥ・リーズン』は、マルチな美術家、マン・レイのサイレント短編映画4本の4Kレストア版で、お二人のバンド、SQÜRL(スクワール)によるオリジナル楽曲が使用されています。マン・レイの映画をスクリーンで観たのはこれが初めてでした。クールな機会を与えてくれてありがとう。
ジム こちらこそ、こうやってインタビューしてくれて本当にありがとう。マン・レイにも感謝しないとね。短編はすべて今からおよそ100年前のもの。すでにこんなにもクレイジーなものを作っていたなんて、とても興味深いよね。
——作品のアイデアが生まれたのは15年ほど前。サイレント映画にライブスコア(生演奏で音楽をつけること)をつけたくて、対象作を探していたとのことですが、それはなぜですか?
ジム 私が映画作りを大好きなのは、音楽的な形式をもっているから。映画は、その動き方自体が音楽のよう。それをストーリーを語るために使えば、物語的な形式にもなる。フレーミング、スタイル、色彩、色彩の欠如(モノクロ)。それはデザインであり、文学である。世界を観察すること。夢を見ることでもある。音楽のついたサイレント映画を作る場合、イメージとサウンドの割合は半々だ。マーク・リボーなど、尊敬するミュージシャンがサイレント映画につけた音楽も好きで、繰り返し聴いてきた。そんな流れで興味を持ったんだ。
ただルネ・クレール監督作とか、ジャン・ルノワール監督の『水の娘』とか、いろいろ検討してみたものの、なかなか決定打がなかった。そんな時、自作に資金援助してくれたフランスの映画会社、ル・パクトを率いる友人ジャン・ラバディの娘、アリス・ラバディと話す機会があって。当時15歳ながら、すでに映画についてかなり博識だったから、一緒にいる時はいつも映画話で盛り上がっていたんだ。それでアリスに相談してみたら、彼女は毅然とこちらを指差し、「ジム、マン・レイをやらなきゃ」って。即座にそのとおりだと納得し、カーターにも話した。その時点で観たことがあったマン・レイの短編は2本だけ。ポンピドゥー・センターが唯一、今回の短編4本をまとめたDVDを出していたけど、レストアはまだだった。カーターがDVDを取り寄せ、私たちはあまり話し合いもせず、なんの楽器を使うかだけ決めて、スコアの“マップ”が見つかるまで、即興で演奏を続けたんだ。
カーター ただ映画を観て、音楽的に反応する。その過程でいろいろなことを試し続け、どれが心に響くかを突き詰めていった。(2017年に全米ツアーからスタートした、SQÜRLが短編4本に即興で音楽をつけるライブステージにおいて)特定の瞬間にお互いの息を合わせるための方法として、マップを準備したんだ。ライブ中、観客がスクリーンで映画を観ているのと同時に、私たちもモニターで観ている。そして映画に対するのと同じように、私たちはお互いにも耳を傾け、見て、反応し合うようにしているんだ。反応とは、ある動きをとるということ。キーや楽器の切り替えだったり、「ここで暗闇に光が差してくる」「ここはリズムを濃密に、ここはまばらにしよう」といった具合だったり。だから私たちはスコアを「マップ」と呼んでいる。少しの間スコアを放棄し、記憶にもとづいて、あるいは今起きていることにもとづいて進むこともできるから。一般的な楽譜にしなかったのは、そういうわけなんだ。
ジム マン・レイはシュルレアリストなので、彼の作品は劇映画ではない。散文というよりも詩のような、“夢の映画”なんだ。カーターと私は年齢は違うけど、ともに10代でシュルレアリスムやダダイスムに出合っていて。そのコンセプトが、自分たちの人生において重要な位置を占め続けてきたんだ。だからマン・レイは最高のアイデアだったというわけ。
Text&Edit_Milli Kawaguchi Photo(SQÜRL)_Sara Driver