水曜オールナイトニッポンのパーソナリティを務める乃木坂46の新内さんが、もともとニッポン放送の関連企業で働いていたことはファンの間で有名な話。そのきっかけや現在とのつながり、今後の密かな願望をたっぷりと語ってもらいました。
乃木坂46・新内眞衣さんに聞く、アイドルとラジオの化学反応〈前編〉

OL兼アイドル時代が
人生の分岐点になりました
ワンピース ¥63,800(ラム・シェ | ブランドニュース) その他*スタイリスト私物
— 2013年に乃木坂46のメンバーとしてデビューを飾った1年後に、ラジオ業界に新卒で入るという変わった経歴をお持ちです。アイドルと会社員の二足のわらじで活動するきっかけはなんだったのでしょうか?
「ちょうど同級生が就活をする時期に、ニッポン放送の制作会社で働いてみない?と事務所のスタッフさんから声をかけてもらったんです。当時はまだ研究生で時間もありましたし、大学の奨学金も返さないとだし、タイミング的には今だ!とすぐ決意しました。職場は、有楽町にあるニッポン放送の本社。多いときは週に5回、普通に出社してました(笑)。学生のメンバーも多かったので、夕方からレッスンやリハーサルが入ることがほとんど。ちょうど会社終わりに活動ができました。アンダーライブや他の仕事が忙しくなるまではフルで働いていましたね。ANNプロデューサーである冨山さんは、隣のデスクで一緒に仕事していたんですよ!今思えば、なんだか不思議です」
—周りからの反応はどうでしたか?
「スタッフさんやお仕事で会う人は、面白いねと言ってくれることが多かったです。ファンからは、最初は前向きじゃない声もありましたね。〝アイドルとしての姿を期待しているのに、なんでOLをやるの〟って。でも続けていると風向きが変わりました。今は9割近くの人が、ラジオから私のことを好きになってくれたんじゃないかな。あくまで新内調べですけど(笑)」
—そして会社員として働いていた2016年3月に、ANN0の水曜パーソナリティへと抜擢されました。
「私でいいんですか?って感じでしたね。オールナイトニッポンは歴史ある看板番組で、錚々たる方々がつないでいる。うれしいけれど、不安もたくさんありました。普段のお仕事は絶対にセーブしたくないから、体調管理はとにかく万全に。でも、朝早くから予定が入るとやっぱりハードなんですよね。『シークレットグラフィティー』のMV撮影(2016年6月)は、ラジオ生放送後に現場へ直行した思い出があります。2018年3月まで会社には勤めていましたが、ANN0の始まった2016年は人生の分岐点になりました」
—1人体制で番組はスタートしていました。もともとトークは好きでしたか?
「全然得意ではありませんでしたね。学生時代に友達が多い方ではなかったので、身の上話を面白く話すことが苦手で…。初回は恥ずかしくて絶対に聴き返せない(笑)。今はしゃべることに対して、恐怖心はなくなりました。回数を重ねて、自信がついたんだと思います。私のパーソナルな部分を知っているリスナーが聴いてくれていると想像すると、気持ちが落ち着きますね」
—毎週フリートークのエピソードを集めるのは大変ではないですか?
「自覚がないだけで、1週間に1回は絶対に何かがあるんですよ!ラジオを始めて気づいたんですけれど、些細なことでも身の回りの出来事をメモするようにしたら、結構事件が起きている。そういう日々の気づきの面白さを知ってくれたらうれしいですし、皆さんの身に起こっていることも全部ドラマチックなんだよって伝えたいですね」
—ブログとSNSでも自身について発信されていますが、ラジオとの違いはありますか。
「文字って、良くも悪くも温度感が伝わりにくいので、ブログやSNSでは最近あった出来事や心の中のさわりの部分を書くようにしています。言葉は声になると感情が乗るので、ラジオではより本音に近い、素の状態でメッセージを伝えられている気がします」
🗣️
新内眞衣
1992年生まれ、埼玉県出身。大学在学中の2013年に乃木坂46の2期生オーディションに合格し、2014年3月より正規メンバーとして活動。パーソナリティ歴は6年目に突入。