〝世界一過酷なスポーツ〟ともいわれる〈トライアスロン〉。日本の競技人口はアメリカに次いで世界第2位ともいわれ、女性の愛好者も増え続けている。自分には無縁だと感じてしまいそうだが、トライアスロンは、ただストイックさを競うスポーツではない。日本では数少ない女性のトライアスロンコーチ中村美穂さんも、その魅力に取り憑かれたひとり。トライアスロンを通じた彼女の人生から、大切なことを教えてもらった。
トライアスロンコーチ・中村美穂/二者択一じゃない生き方
「日本での競技人口は男性が約9割を占めるなか、わたしが代表を務めるトライアスロンのコミュニティ〈TRIMING〉のメンバーは、4割近くが女性。バリバリ働いている方もいらっしゃるし、3人のお子さんをお持ちの方もいらっしゃいます。もちろんチャレンジ精神が旺盛だったり、身体を動かすことを目的に始めることが多いと思うんですけど、トライアスロンは体力や根性以上に、論理的に頭を使うスポーツなんです。たとえば、もっとも走行距離の長い〈アイアンマン(※)〉に出るとなると、1回のレースで約1万kcalが必要なんですが、その足りないカロリーをすべて食べながらレースをするのは絶対に無理なんですよね。なので、事前に自分のことを調べ抜いて、1時間にどれくらいの汗をかき、どれくらいの心拍で、どんなペースで何時間キープできるのか。自分のエネルギー残量と必要なカロリーの計算をしていくんです。根性論だけじゃ決してゴールできない戦略に富んだ知的なスポーツだからこそ、タイムマネジメント能力に長けた忙しいビジネスウーマンや、子育てをするママたちが熱中するのかもしれません」
(※)スイム3.8km、バイク180km、ラン42.195kmを続けて行うトライアスロンの種目。
もともとランニングをやっていて転向する人も多いが、3種目すべてゼロから始める人もいるという。なかには、泳げないし、ランニングもしたことないし、学生時代は帰宅部だったという人もいるのだとか。中村さん自身は、トライアスリートとして活躍をしながら、コーチとして指導も行っている。幼少期から選手として競泳をやっていたことがきっかけだった。
「子どものころは身体が弱かったので、4歳のときに母の勧めで水泳を始めました。泳ぐことがとにかく好きになって、雨でも雪でも嵐でも、松葉杖をついていたときも練習に行きました。風邪を引いても〝泳げば治る〟と言われた昭和の教育もあったので(笑)。毎日、水の中にいるということが当たり前でした」
「メイクはしないので、ファッションの一部としてアクセサリーにこだわっています。ゴールドとシルバーのバランスが大切」上から〈NORTHWORKS〉〈203 jewery〉〈Cody Sanderson〉。
7歳で選手コースに入り、それからはオリンピックを目標に練習を続けた。ジュニアオリンピックやインターハイで優勝、国体では準優勝を飾るなど、輝かしい実績を残した。2004年、18歳のときにアテネオリンピックが開催。しかし、ずっと目指してきた夢は叶わなかった。
「そこまでやってきて、自分の限界や、見えた世界があって。ちゃんと区切りをつけて、競泳は大学4年生まででやりきろうと決めました。学生のうちは、自分のために泳いでいられると思うんですけど、社会人になってトップレベルでスポーツをするのって、担うものがまったく変わってくるんですよね。エンターテイナーにならなくてはいけないし、広告塔も務めなくてはいけない。自分にはそれを担う覚悟はなかったので、切り替える準備をしました」
引退レースの前に、ほかの学生と同じように就職活動をはじめ、大手の化学系企業に総合職として内定が決まり、就職。競泳に対する未練はなかった。
「入社した当初はすごく自信がありました。仕事ができるっていう自信じゃなくて、あんなに辛いスポーツの世界で生きてきたから、あれ以上辛いことはもうないと思って社会に出たので、大抵のことは越えられる精神力は絶対にあると思っていたんです。だからどんな勉強でも、どんな役目でも務め切ることができる、どこでも順応できる自分がいるって思っていました」
専門的な知識はゼロからのスタート。そこで、とにかく片っぱしから勉強をした。高圧ガスや毒劇物、危険物の取り扱いなど、仕事に役立ちそうな資格も積極的に取得。持ち前の精神力で、会社のために、社会のために、やれることはとにかくやろうと努力した。しかし、どこかで少しずつ歯車が狂い始めていた。
「たぶん自分を周りの誰かと比較し始めたんでしょうね。この人っていう特定の対象者がいるわけじゃないんですけど。というのも、競泳っていつも必ず同じ環境下でレースをするんです。同じ室温と水温で、無風の中で、波も立たない50mのコースをひとり1レーン与えられて、同じ高さから同時にスタートする。他人に評価されるわけじゃなく、1/100秒負けたなら、1/100秒分の努力をそのライバルはしてきたって証拠だから、誰に負けたとしてもものすごく気持ちはクリアなんですね。もちろん悔しい気持ちはありますけど、負けたことに対してマイナスな気持ちになることはなくて。結果というのはすべて〝自分の責任〟っていう考え方が小さいころから植え付いていて。でも、社会に出たら明確に白黒がつかない世界があって、グレーが生まれた瞬間に、わたしは自分の中で受け入れられなかったんだと思います。自分に対する劣等感とか、誰の役に立っているんだろうっていうのを感じたときに、〝なにをがんばってきたんだろう……〟って。いまだけじゃなくて、スポーツで培ったこともぜんぜん役に立たないって。自分のなかでモヤモヤし始めたのかもしれないです」
なにかが崩れ始めてしまった。すると、だんだん味覚を失い、食べる楽しみを失っていった。みるみるうちに体重が落ち、気がついたときには、摂食障害に陥っていた。
「自分では生活できるレベルだと思っていたんですけど、内臓がしぼんで身体中の脂肪がなくなり、しまいには手の指の肉がなくなるほど痩せ細って、顔を洗おうと思っても水がすくえないところまできてしまって。とうの昔に鏡を見ることはなくなっていて、気がついたら52kgあった体重も31kgになっていました」
かつて競泳選手としてやってきたプライドも、泳ぐことができる身体も、なにもかもなくなっていた。〝このままじゃダメだ。生きなきゃ〟と強く思った。またスポーツをして、心も身体も豊かになることを決心した。
「〝豊かになる〟ってすごく深い言葉だと思っていて。なにかをプラスして満たしていくんじゃなくて、余分なものや飾りを削ぎ落として、深めていく。本質的に自分にはなにが必要なのかっていうことを深く掘り下げて、最後にたどり着くもの。それだけで満たされているっていう状態が、本当の意味で〝豊か〟なんだと思うんです」
それは「スポーツ」なのではないかと思った。そのとき持っていたすべてを捨て、一念発起。水の中で育ったから、と実家に帰るような気持ちでプールに通いはじめ、スポーツを仕事にすること、水泳の指導者になることを決意した。そうして長い時間をかけて心身ともに回復していき、かつての自分を取り戻していった。
「会社を辞めて独立したんですが、もともとは選手だったので教え方はわからなくて。なにからはじめていいかもわからなかったから、とにかくまず勉強をしました。指導論、栄養学、心理学、機能解剖学、東洋医学、幼児の行動学などいろいろ学び、スイムフォームコンサルタントとして活動を始めました」
質を保ちたいと、生徒は完全紹介制。たったひとりの生徒からはじまって、徐々にその輪が広がっていき、トライアスロンの泳ぎを教えてほしいというリクエストが出てきた。そこで、自分もやっておかないと思い、トライアスロンを始めることに。すると、すぐに大会で優勝をするまでになり、このタフな競技にどんどん魅了されていった。
「トライアスロンって、単なるレースじゃないんです。なにかあったらすべて自分で判断して、すべて自分の手足でこなさなきゃいけない。なにが起こるかわからない冒険に出るっていうのがすごくワクワクして、自分の人生とすごく重なる部分があるんだと思います」
ハードな競技を支える身体づくりのために、週に一度ピラティスに通って、ミリ単位で動作を確認している。「トレーナーは親友でもあるSonoko。彼女の言葉を頼りに導かれるよう身体を整えていくのは、心地よく豊かな時間です。地味な動きに見えて、かなりきついですけどね(笑)」
中村さんが代表を務める〈TRIMING〉は、トライアスロンのチームでもなく、スクールでもない。生徒ひとりひとりが必要なときに、自分なりにアレンジして活用できるような場所〝コミュニティ〟であることを大切にしている。
「それは、すごくこだわっているところでもあって。みなさんの意見を聞いていれば、魅力的なことが自然とできあがっていくものなんですよね。たとえば、この場所でこういう曜日のこういう時間帯にこんなレッスンがあればいいんじゃないかとか、こういう練習はひとりじゃできないから、みんなで集まってやりたいことだよねっていう言葉を形にしていく。そして、自分の知識量がしっかりあって、指導に説得力があって、結果に繋げられる質のいいコーチになればなるほど、レッスンの本質が変わってくる。練習環境は柔軟でストレスなく、みなさんの選択肢を増やしたいという気持ちが強いです」
いまでも完全紹介制を続けているが、生徒数は約650人まで増え続けている。
「有名になるとか、人数を増やすことが目的ではないので、生徒さん全員のフルネームを漢字で書けるような関係性をずっと保っていきたいと思っています。信頼できる生徒さんが連れてきてくれた、信頼できる方たちが集まって、都内近郊での練習だけではなく国内外へ遠征をしたり、ボディケアの講習や事故防止の活動をしたり、情報共有の場としても大切にしています」
最後に、トライアスロンに挑戦してみたいけど、やっぱり自分には無理なんじゃないか……と思う場合、どうしたらできるのか尋ねてみた。
「無理だと思ったときこそ、頭を使ってほしいんです。なにかに挑戦したくてもできない人って、〝無理だった〟で終わらせないことが絶対に必要で。〝無理〟は〝不可能〟じゃなく、解決法が絶対にあると思います。なんで無理だったのかと、それだったらこうすればいいんじゃないかってところまでちゃんと掘り下げれば、絶対にそれは解決策が見つかって〝無理じゃなかった〟ってなってくるんです。わたしは、すべてのことに意味はあるけど、すべてのことに成功しなくてもいいと思っています。トライアスロンを始めてみたいけど、本当に向かないこともあるかもしれない。でも、やってみて得たもので次にいけばいい。やってみなきゃわからないし、わたしも失敗だらけの人生なんで(笑)。失敗してもいいじゃないですか。それはチャレンジをした証拠。そこから得られるものの方がきっと多いですよ!」
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中村美穂
1986年生まれ。トライアスロンコーチ。「美穂コーチ」に由来して、愛称は「Miho C(ミホシー)」。アメリカの自転車メーカー〈SPECIALIZED〉や、〈REEBOK〉、〈SWANS〉など数々のブランドでアンバサダーとなり、安全なトライアスロンの普及活動に務めている。現役選手としても活躍し、昨シーズンは〈IRONMAN703 TAIWAN〉でカテゴリー3位。世界選手権出場権を獲得。海外メディアからも注目を集め、香港、シンガポール、マレーシアなどの東南アジアでもファンが増え、国内外で精力的に活動している。