クォーター・ライフ・クライシス。それは、人生の4分の1を過ぎた20代後半〜30代前半のころに訪れがちな、幸福の低迷期を表す言葉だ。27歳の家入レオさんもそれを実感し、揺らいでいる。「自分をごまかさないで、正直に生きたい」家入さん自身が今感じる心の内面を丁寧にすくった連載エッセイ。前回はvol.52アイスクリームとダンデライオン
家入レオ「言葉は目に見えないファッション」vol.53分かった気でいない為に
vol.53分かった気でいない為に
コーヒーを飲みながら読書していた朝。読めない漢字をググった後、サイドボタンを押すのももどかしく物語に戻ったせいで、机の上にはウェブサイトが開いたままのiPhoneが放置されていた。あと数秒で自動ロックされるだろう、と本のページを捲っていると、暗くなりかけていた画面がパッと白く光った。おもむろにiPhoneを手繰り寄せタップすると「午後から雨予報だから出かけるなら傘持って行きなよ」と私の性格をよく知る友人からのメッセージだった。「はーい」と返事を打ち、読書を再開しようとして、私は開いた状態で伏せてあった本の表紙をじっと見つめてしまった。「訳」と書かれた文字をじっと。
数日前のこと。LINEで韓国ドラマにハマっているらしい友人におすすめを尋ねると、作品名と共に「U-NEXTの訳し方がなんか好き」とメッセージが返って来た。「私も好きな翻訳者の方の小説を買い求める」とその友人の意見に同意し、同じ作品でも言葉ひとつで世界観が変わってくるから不思議だね、と表現の面白さについてラリーしていた。不意に心の奥にあった疑問を指が喋り出していた。時々海外のインタビューを読んでいると、「〜なの、〜なのさ」と英語を英語っぽく過剰に訳しているように感じてしまう事があり、インタビューを受けている人が伝えようとしている事を果たして受け取れているのだろうかと心細くなることがある、と私が一気に送ったメッセージ全てに既読マークが付き、今度はその友人から立て続けにメッセージが送られて来た。「英語が得意な子にこれ訳してみて?と伝えても、うーん、これは訳せないみたいな現象が起こったりするじゃない?同じ言葉でも読み取る側のその時の状況で意味や捉え方が変わってしまう」「Helloも、こんにちは!って訳す人もいれば、やあ!と捉える人もいる。だから大事な話はメールやSkypeでもなくて会って話そう!になるのかもね」
確かに…と頷きながらその文面を読み、両手でそれに応えていく。「そう考えると我々同じ日本語で普段話してるけど、話の流れや表情で、相手の言葉を自分流に訳して解釈してるってことだね」「本当はやあ!ってテンションで相手は私に伝えたつもりでも、私はそれを、こんにちは!ご機嫌いかがですか?ってとても丁寧な印象として受け取っていたりして…」そこまで送って私は手を止め今度は心の中で思った。「だから同じ言語を話してるからって分かり合えてるって思っていたら大間違いなんだ」そして数分前に友人が送ってきたメッセージが改めて身に染みた。「だから大事な話はメールやSkypeでもなくて会って話そう!になるのかもね」私は以前より主流になりつつあるオンライン打ち合わせが正直あまり得意ではない。もちろん便利で助かっていることもあるけれど、初めましてや関係がまだ築けていない人とは感染予防に配慮した上でできるだけ会いたいと思ってしまう。言葉から得るものも大きいけれど、それ以上にその人が発している空気感や眼差しに宿るものを私は信頼している。日本語でも英語でも、言葉を介して取るコミュニケーションは全て、言葉の奥に在る何かを感じ取ろうとする時間。だからこそ、同じ言語で話している時には注意が必要なのだ。分かってくれている、伝わっている、と、つい甘えてしまう。異国で母国語が違う2人がコミュニケーションを取る時、必死で伝えようと、受け取ろうとする時の方が返って分かりあえている気がしてしまうのは、あながち間違っていない気がする。と言いつつ結局私もあなたも、自分が思ったように、感じたいようにこの世界を見て、生きてる。
🗣️
家入 レオ
leo-ieiri.com
@leoieiri