鉄とガラスの高層建築が多い街並みで、ひときわ目立つ赤レンガの建物。明治完成の由緒ある建物を復元した、作り手の気合がこもる一軒です。
明治完成の由緒ある建物を復元。作り手の気合がこもる「三菱一号館美術館」
東京ケンチク物語 vol.70
三菱一号館美術館
Mitsubishi Ichigokan Museum, Tokyo

江戸時代には大名屋敷が建ち並び、明治半ば以降は日本随一のオフィス街として存在感を保ち続ける丸の内。現代的なビルが立ち並ぶ景色の中で、時の流れが止まったような建築がある。赤レンガが積み上がり、屋根には三角形の塔が載る、ずっしりと堅牢な一軒。2010年に開館した「三菱一号館美術館」だ。ヨーロッパの古い街並みで出合いそうな佇まいなのに築15年とは信じがたいが、それもそのはず。1世紀以上前に作られた建物を仔細に復元したものなのだ。もとは三菱が明治時代後半の1894年に、エリア初の近代的オフィスビルとして建造。設計はジョサイア・コンドル。明治政府の招聘で来日し、外交・社交の場となった「鹿鳴館」などの洋館を設計したほか、教鞭をとった工部大学校(現在の東京大学工学部建築学科)で後の日本の建築界を率いた辰野金吾らを育成するなど、日本の近代建築の黎明期を築いた人物だ。
設計事務所を開設して日本に根を下ろしたコンドルが手掛けたこちらは、レンガによる組積造の地上3階地下1階建て。堂々たる外観のインパクトは相当なもので、周囲にもレンガ造りの建物が建設されていく。壁の厚み70cmという頑丈そのものの建築は関東大震災も生き延びたが、近隣の街並みと前後して1968年には解体されることに。老朽化に加えて、高度経済成長の中で、オフィススペースの需要が急増して高層ビルへの建て替えが進んだためだ。そこから約40年。“オフィス街・丸の内”のスタート地点ともいえる存在を、同じ場所に元の姿で復活するプロジェクトがスタートし、数年がかりで完成にこぎ着けたのだ。復元にあたっては、コンドルの原設計はもとより、解体時の実測図、文献や写真、幸運にも保存されていた部材などをひとつひとつ検討。現代では難しいレンガの組積造で作り上げたのはもちろんのこと、各素材の製法や、仕上げてしまうと見えない部分や、細かな技術に至るまで精巧に再現しているといい、復元に携わった人々の気概がみっちりと詰まる。100年以上の時をまたいで、各時代の建築家同士、職人同士が会話を重ねることでよみがえった、奇跡のような場所だ。
Illustration_Hattaro Shinano Text_Sawako Akune Edit_Kazumi Yamamoto