気づいたら懐に入り込み、日常にやさしく存在していた。GINZA5月号に登場したあいみょんの音楽活動を、その礎から鍵となる楽曲とともに振り返る。
シンガーソングライター、あいみょんの音楽の軌跡
あいみょんの音楽の軌跡
音楽との出合いと鮮烈なデビュー
あいみょんのシンガーソングライターとしての〝根っ子〟が育まれたのは、大家族で過ごした子ども時代。PAエンジニアの仕事をしていた父親の影響で、さまざまな音楽に親しんできた。最初に手にとったギターも、父が貸してくれたエレキギターだ。歌手を夢見ていた祖母の後押しも大きかった。
本格的に音楽にのめり込むようになったのは中学3年のとき。アメリカから来た英語教師に帰国のタイミングでアコースティックギターをもらったことがきっかけだった。尾崎豊やスピッツなどの曲を弾き語りでカバーしたり、浜田省吾や吉田拓郎など父親の部屋にあったたくさんのCDを聴きあさったりしていた。作詞・作曲を始めたのもこの頃だ。高校時代には、友達が自分で作っていたYouTubeの番組に誘われ自作の曲を歌っていた。後に所属する事務所のスタッフがそれを観ていたのがデビューに至る最初のきっかけだったという。
高校卒業後はバイトに明け暮れる日々を過ごしたあいみょん。バイト先の先輩に教えてもらったフリッパーズ・ギターや小沢健二もルーツとして大きな存在になった。転機が訪れたのは18歳の夏のこと。事務所から声がかかり、そこから約半年で50曲くらい一気に作った。梅田で弾き語りの路上ライヴも始めた。最初は誰もいなかったけれど、少しずつ人が増えていった。その頃に路上で一番歌っていたのが、インディーズデビュー曲「貴方解剖純愛歌〜死ね〜」だった。
2015年5月にインディーズから1stミニアルバム『tamago』を、12月に2ndミニアルバム『憎まれっ子世に憚る』をリリースする。当時ラジオ局で放送自粛になったという「貴方解剖純愛歌〜死ね〜」や遺書をテーマに作った「どうせ死ぬなら」が前面に打ち出されていたこともあり、この頃のあいみょんは〝過激な言葉や死生観に踏み込んだ歌詞を歌うニューカマー〟というイメージも強かった。2016年11月にリリースされたメジャーデビュー曲「生きていたんだよな」も、飛び降り自殺のニュースをもとに作られた曲。鮮烈なデビューだった。
ちなみに「生きていたんだよな」は20歳で上京する前に西宮の実家で作った最後の曲だという。このシングルのカップリングに収録された「今日の芸術」も、憧れの存在である岡本太郎をテーマにした大事な一曲だ。
「生きていたんだよな」
2016.11
「君はロックを聴かない」
2017.8
Photo: Naoto Usami Styling: Masataka Hattori Hair&Make-up: Kanako Hoshino Text: Tomonori Shiba