冒険家・南谷真鈴さんは、中学生のとき山の魅力に取り憑かれ、自ら資金を集めて19歳でエベレストに登頂。世界七大陸最高峰登頂の日本人最年少記録を更新し、さらに翌年、探検家グランドスラム世界最年少記録も樹立した。これだけ聞くと、途方もない物語のように思うが、「どんな人にも叶わない夢はない」と、彼女は断言する。見通しの悪いいまの世の中に、この先どうなってしまうだろうと不安に思う人は少なくない。そんなときを、彼女はどう過ごしているのか、話を聞いてみた。
23歳、不安な時代を生きるには。冒険家・大学生/南谷真鈴インタビュー
──新型コロナウイルスの感染が拡大し始めたころは、どのように過ごしていましたか?
2月、3月は大学が春休みで、EY Japanという会社でインターンをさせていただいていました。初めてプロフェッショナルな場で働くという経験が、自粛要請が始まり自宅で仕事をすることになって、びっくりする転換でしたね。本来なら大学の授業が始まるはずだった日がきても、どんどん延びていき、そんな不安定な状況に対してこれからどうなるのか少し心配にもなりました。ですが、メンタルをいいバランスへ持っていくために、本を読んだり、自己分析をしたり、日記を書いたり、試行錯誤しながらたくさん勉強をして過ごしました。
──どんな勉強をしましたか?
起業の世界に興味があるので、ピーター・ティールさんという投資家の『ゼロ・トゥ・ワン』や、『祖国とは国語』という言語を深堀りする本、また吉田松陰さんやニーチェの言葉などを読みました。あとは「認知行動療法」といって、自己分析をすることで自己認識を高めていき、心の在り方も変わっていくというマインドセットを、ワークブックを使って勉強しました。
また、インターンをしたEY Japanでは、女性アスリートに対する「ビジネス支援プログラム」というのがあって、今年の日本代表に選抜されたのです。大変ありがたいことにメンターが二人つくのですが、ひとりはEY Japanの会長さんで、もうひとりはイノベーションコンサルティングを推進しているスペインのリーダーであるベアトリスさん。お二人のコーチングを通じ、「ライフフューチャーバイデザイン」といって、いまから30年後までの人生を、1年単位でデザインしました。
自分はどういう人生を送りたいのか、どういうことをやっていきたいのか。これから30年間の道筋が明確になりました。将来のビジョンが見えてきたから、それを実行するのみなので、わくわくしています。
──エベレスト登頂をはじめ、これまでにも多くの挑戦をしてこられていますが、どうしたらそんなにやりたいことが見つかるのでしょうか?
いろんなことを積極的に挑戦することですね。恐れや照れる気持ちは抱かずに、自分をさらけ出してみるといいと思います。好きなことを見つける簡単な方法として、おいしいものを食べたらちゃんと「おいしい!」って口に出してみる。また、天気が良かったら「空がきれいだな」とかポジティブな感情は全部言葉にする。
「言葉」は「行動」に繋がって、「行動」が「習慣」に変わり、「習慣」は「運命」を司っていきますので。そうすると、幸せに感じる瞬間が増えていき、願いを引き寄せる確率と速度も上がる。すると、自ずとハッピーでいられる瞬間や場所が増えていくんですよね。
──「探検家グランドスラム」を達成されたあと、ヨットで航海をする「セイリングプロジェクト」を目標に掲げていらっしゃいましたよね。それにも、いま取り組み中ですか?
そうですね。このプロジェクトは、二十歳のときにひらめきました。でも、そのときは一度もヨットに乗った経験はなかったんですよ(笑)。だから技術を学ぶ必要がありました。世界で最も過酷な海峡がある南アフリカにある海洋学校で、一年間ほど過ごしました。
ケープタウンからマダガスカルまでを60日間かけて往復するなど、厳しいトレーニングを経験。人力のみのヨットで、世界一周を目指す。
でもそのとき、そのプロジェクトを焦って実行しようとしているな、というのが自分でわかったんです。当時、ユニクロのグローバルブランドアンバサダーを務めていたのですが、周りにいたのはノバク・ジョコビッチさん、錦織圭さん、アダム・スコットさんとか、ひとつのことに全力投球して取り組んでいるアスリートたちばかりで、自分もそうなくてはならないと勝手に思っていたんです。
でも当時、わたしは冒険家や登山家を目指していたわけではありませんでした。山に魅せられ、成長するために必要な行程だと考えたので挑戦しました。だから、「アスリート」の枠に入ってその肩書きがついたときに、わたしの求めてきた世界なのか自問自答した結果、もう少しだけマイペースに物事を進めたいと思ったんです。
そのために、内省する時間を設けました。その期間は迷走もしましたが、それもまた冒険だと感じました。いまではそんな自分を受け入れて、夢の実現をさせたいという思いが強いです。たとえば、ヨットのプロジェクトでは、世界一周をまわりながらいろんな港に停まって、そこから山にも登りたいなと思っています。
また、各地で孤児院や学校、紛争地域、貧しくてごはんを食べられないような人がいるところにも訪ねて、そういう人たちの暮らしを世界に発信したり、国連や食糧難民を支援する機関と一緒にできるようなことがあるなら参加したりしたいです。その実現にはすべて準備が必要なので、いまはその期間なのです。
──「熱意と行動力があれば、叶わない夢はない」という、ご自身の著書の副題にもなっている言葉が印象的です。貧しい地域に暮らすような、自分の意思ではどうにもならない環境にいる人たちには、そのことをどうやって伝えていきたいですか?
これまでに出版された著書は2冊。『自分を超え続ける』(ダイヤモンド社)、『南谷真鈴 冒険の書』(山と渓谷社)。
わたしがエベレストを登るきっかけとして、インスパイアを受けたネパール人の女の子がいます。彼女は、当時世界最年少でエベレストに登りました。本当に貧しい家庭に生まれて、ごはんもろくに食べられず、国連の給食支援を受けてお腹を満たして育ったような子でした。逆境に強い人って、オセロのように黒をパチっと白に変えられる人だと思うのですが、そういう意味では逆境って新しいストーリーを作るための素晴らしい基盤でもあると思うので、そういったことを伝えていきたいです。
──逆に満たされた環境のなかにいると、なにか失うことを恐れて、新しい挑戦に二の足を踏んでしまう人も少なくないのかもしれませんね。
新しい挑戦を選択して集中するには、その覚悟の分だけ断ち切らないといけないものが増えますよね。それが、覚悟に必要とされる選択の重みだと思います。だから、物事は早くやった方がいいんです。
エベレスト登頂をはじめ、彼女にとって目標とは、次なる高みへの通過点だという。それらの経験を通じ、「夢や熱い想いは必ずなんらかの形で実現できる。世の中は可能性にあふれていることを伝えていきたい」と話す。
いずれは子育てをすることもわたしの大きな夢のひとつです。だから、エベレストに登ろうとプランを立て始めたとき、早いうちに挑戦しようと考えました。なにをするにせよ先延ばしにしないで、そのときの状況にしっかりと向き合う必要があると思います。
──「何事も先延ばしにしない」とは、耳が痛い言葉です……。自信がなかったり、不安になったりするのは、目標に対して意思やその道筋を漠然とさせたままにしているからなんですよね。
自分のやりたいことに対してビジョンが不明確だと、特にいまのような不透明な時代には、どうなってしまうんだろうという不安が強くなってしまいます。わたしは内省的になることによって、将来のビジョンを明確化して、実現させるための道筋をどうやって計画するかがはっきりしてきました。こんなに今後の人生計画をできたことは自粛期間のおかげでもあり、ありがたいなと感じています。不安って、アンバランスな状態からきているので、それを見極めていいバランスに持っていけたときに、さらなる高みを目指せる自分が見つかります。だから、いまでは不安に対して立ち向かう自信がわいてきました。
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南谷 真鈴
1996年12月生まれ、神奈川県出身。探検家グランドスラム最年少記録と七大陸最高峰日本人最年少登頂記録の保持者。1歳半から父親の仕事でマレーシア、中国、香港など海外で暮らし、高3で日本に帰国した後、探検家グランドスラムに挑戦して成功。現在は、早稲田大学政治経済学部在学中。
Text&Edit: Satomi Yamada