台湾人の両親と共に3歳の時に日本に移住して以来、「移民」として東京で暮らしてきた小説家の温又柔さん。自身の立場で感じたこの世界を描いた小説やエッセイは、多くの(日本で生まれ育った)日本人が意識してこなかった、日本像を教えてくれる。新たに出版された散文集『私のものではない国で』(中央公論新社)には、エッセイに加え、他の表現者との対談や作品レビューなど、様々なテキストが収録されている。ginzamag.comで前回行ったインタビューから約4年。彼女の心境の変化や、今伝えたいことを聞いた。
小説家・温又柔インタビュー。「どちらでもない、宙ぶらりん」が楽しくて
「私も日本人」と書こうと思った
──『台湾生まれ 日本語育ち』(白水社、2016)『「国語」から旅立って』(新曜社、2019年)と、これまで2冊のエッセイを出されています。最新版としての本書とこの2冊にはどんな違いがありますか?
『台湾生まれ 日本語育ち』を書いていた頃は、自分が「日本人ではない」というたった一点のせいで、私って「普通」じゃないんだなあ、と思い込まされてきたことや、そもそも「普通」ってなんだろう?みたいな問いを無我夢中で書いていました。続く『「国語」から旅立って』では、1冊目を書いたことによって見えてきた、(「日本人」ではない立場で生きてきた)自分を取り巻くこの国の風景を10代の読者に伝えたいと、できるだけやさしい表現で書きました。今回の本は、前の2冊と違って書き下ろしではなく、ここ4、5年、あちこちで書き、しゃべったことをまとめたものです。だから、小説家として活動しながらその都度そのつど考えてきたことが赤裸々に刻まれていると思っています。
──これまでの温さんのエッセイでは「日本人って何?」「〇〇人って何?」という問いの方が中心にあった気がするのですが、今回「自分も日本人である」ときっぱり書いていることが印象的でした。
これまでは、「私も日本人です」と言うことが、すなわち「日本人と同化します」と言っているような気がして抵抗感がありました。でも、私が「自分も日本人である」と主張したところで、そのことを認めたがらない人はすごく多い。なら、私みたいな人間がいっそのこと積極的に「私も日本人」と言っていく方が、むしろ日本人像を考え直す機会になるのではないか、そんなふうに考えたんです。「いや日本人じゃないでしょ」と言う人に対して、「いやいや、こういうのもありますよ」としつこく言い続ければ少しは考えも変わるんじゃないかなと。もし、宣言したとたんに「はい、あなたも日本人ですよね」という空気が多勢であれば、こうは言わないと思います。
「宙ぶらりんな自分」が楽しい
──台湾に家族で戻った時のことを書いた「ふたつの世界」では、ご両親はいくら長く日本に住んでいても台湾が故郷と考えているのに、温さん自身はそうは思えないという家族間のずれを書かれています。温さんはよく「自分は宙ぶらりん」とお話されていますが、一口に外国ルーツや移民と言っても、細かな違いがたくさんあることに気づかされます。
私は、日本と台湾という二つの国の間で、どちらか一方こそが自分の「母国」なのだと決められずに揺らぎ続ける自分を書き続けたいし、その状態をはっきりと楽しんでいます。その意味では、宙ぶらりんの位置に執着してるとも言えます。例えば、私は3歳までは台北にいて、その後は東京にずっと住んできました。だから私にとっての「原風景」みたいなことを考える時はいつも、日本とか台湾とか「国」としてではなく、台北と東京という二つの都会の風景が混じり合っているんですね。国籍を基準に考えている人からすると、日本と台湾どっちが故郷なの?と思うかもしれないけれど、そもそも混じっている。自分にとってのこうしたリアリティを私が書くことで、外国にルーツのある人の「原風景」って、国と国の風景がそんなふうに混じり合ってたりするんだ、と感じてもらえたらうれしいですね。
台湾ニューシネマや韓流ドラマから学んだこと
──後半は、文学だけでなく映画やドラマなど、別の作家の作品について書いたエッセイが集められています。
侯孝賢(ホウシャオシェン)とエドワード・ヤン監督の作品を中心とした1990年前後の台湾映画について書いた「私と台湾ニューシネマ」を収録できたのがよかったです。90年代といえば、戒厳令が解除されて台湾でやっと様々な表現が許され始めた時期です。この頃の台湾の映画人の多くは、それまでは語ることすらタブーとされてきた素材と向き合うことで、自分たちの国の歴史や社会状況をとても繊細に表現し、魅力溢れる作品を次々とつくりあげました。私が、台湾のことを素材に小説を書こうとする時、これらの映画からの学びは多いですね。
それから、ここ数年の韓国ドラマの社会的モチーフの描き方も、とても勉強になります。DVとか貧困といったハードな社会問題をそのままテーマにするのではなく、それらを背景に置いた上で、独自の物語を展開するところがすごいと思います。韓国の小説もそうです。現実に対するアプローチが成熟しているし、作者が自身を社会的かつ歴史的な存在であると自覚しているところが、日本との大きな違いかもしれません。
エッセイでは、自分のありのままをさらけ出す
──エッセイと小説を並行して書かれていますが、違いは何でしょう?
エッセイは、自分が世界をどう見ているか?となるべく正直にそのまま書こうと努力しています。というのも、私はカッコつけたとたん、文章がダサくなる(笑)。どう?こんなこと考えてる私って素敵でしょ?みたいな自意識が滲んでしまって。そうならないように、エッセイを書くときは自分を変に大きく見せず等身大の自分に正直でいたい。
一方、小説を書くときは、語り手や中心人物の視点を軸に、その人物を取り巻く世界を構築します。例えば、昨年出版した『祝宴』(新潮社)という小説では、自分の父親世代の男性が主人公ですが、その人にとってのこの世界の肌触りを想像しながら書きました。
──私はたまたま個人的に交流させてもらっていますが、温さんのエッセイは直接お話している時の印象と同じなんですよ。そのズレのなさはすごいのかもしれないと気づきました。
私も今こうして話をしながら、ひょっとしたら私は、書いている自分自身と、自分によって書かれたものの、そのどちらに対しても、可能な限り、正直でいたいというのが理想なのかな?と思いました。その意味では、私が書くものを読んでくださった人たちが、正直に反応しているのを感じるとうれしくなります。けれど、最近は時々切なくなることも。というのも、いわゆる「マイノリティ」という立場で書かれたものとして読まれるせいか、こんな国ですみません、などと言われたりして。私は相手に自分を恥じたり反省してほしくて書いているわけではないのに。
──立場は異なりますが、近年のフェミニズムの浸透によって男性が戸惑う場面を見かけることがあって、それにも通じそうです。
確かに。「(移民である)あなたに対して、日本人として申し訳ない」とひたすら恐縮する態度は、「(女性たちに)自分が男性として変なことをしてると指摘されないように気をつけなければ」と過剰に恐れる男性と似ているかもしれませんね。なんというのか、「マジョリティ」の側が気を遣い過ぎて、かえってこちらとの間に分厚い壁ができてしまうというような……。私が、「マイノリティ」とみなされてしまう自分について正直に書くことや、そんな自分の違和感を素直に晒すのは、「マジョリティ」を怖気付かせることではなく、お互いが気持ちよく愉快な関係をほかでもないあなた(たち)と一緒につくりたいからです。様々な場面で、「マジョリティ」「マイノリティ」が際立ってしまう今だからこそ、そのことをもっと伝えていかなくちゃ、と思いますね。
『私のものではない国で』
温又柔 著
定価:1700円+税
安心して。名まえさえ言わなければ、だれもあなたをガイジンとは思わない――良き外国人?本物の日本人?台湾出身で〈日本語に住む〉著者が問う〈ふつう〉への抵抗。同一化を迫る呪いを解き、束ねきれない混沌に気づく散文集。後藤正文さん(ASIAN KUNG-FU GENERATION)等との対話も収録。
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温又柔
1980年、台湾・台北市生まれ。両親ともに台湾人。幼少期に来日し、東京で成長する。2009年「好去好来歌」ですばる文学賞佳作、16年『台湾生まれ 日本語育ち』で日本エッセイストクラブ賞、20年『魯肉飯のさえずり』で織田作之助賞を受賞。著書に『来福の家』『真ん中の子どもたち』『空港時光』『永遠年軽』『祝宴』、小説家・木村友祐との往復書簡『私とあなたのあいだーーいま、この国で生きるということ』など。