──近頃子どもに見せたいと思えるアニメーションが少ないと感じていたそうですが、なぜそう思ったのでしょうか。
キアラ・マルタ(以下、キアラ) 子どもは、大人が見せなければ、ほかに何が存在しているかを知らないままなんですよね。それはすごく可哀そうなことだし、危険な状態を周りにいる大人がつくってしまっているんじゃないかと。乱暴な言い方になりますが、例えば、暴力をふるう親のもとで育った子は、親はそういうものだと認識します。食べ物も同じで、例えば毎日ひたすら人参を与えていたら、カリフラワーの存在を知らないで育つ。それはやっぱり育てる側の責任であって、色々なものを子どもたちが発見できるような環境をつくっていかないといけないし、それが生きるということで、そういうことを教えてあげないと不公平ではないかと思ったんです。
──直接影響を受けたものでなくても、お二人が子ども時代に観た作品で心に残っているものはありますか?
セバスチャン・ローデンバック(以下、セバスチャン) 子どもの頃、親に映画に連れていってもらうことは少なかったけれど、覚えているのは『バンビ』(42)と『E.T.』(82)かな。世界を知ろうとしている年代に観たものは、それがいい作品でもそうじゃなくても、初めての体験としてすごく残るものじゃないですか。自分がそうやって覚えている映画は、きっといいものだと今も思いますが、大人になって見返すと、なぜこれをいいと思ったのか不思議なものもありますよね。他にはバンド・デシネ(フランスやベルギーをはじめとするフランス語圏の漫画のこと)をたくさん読んだり、両親の友人がやっていた人形劇を観に行ったりもしました。
キアラ 今『E.T.』と彼が言いましたが、よく覚えてるのは、「『E.T.』は観てはいけない」と言われたことです。両親と兄は行ったのに、まだ自分は幼くて、「あなたには早い」と見せてもらえなかった。そのときの不満がすごく残っています。子どものときに観た、イタリアのルイジ・コメンティーニ監督の映画『天使の詩』(65)も、不正義や死についての物語でよく覚えてます。小説だと『若草物語』は、登場人物に自分を重ね合わせたり、心を寄せたりしていましたね。