恩田陸の最新作『spring』が刊行された。これまで、演劇、ピアノと、言葉で表現し難い題材を小説として昇華してきた人気作家が、次に選んだのはバレエ。踊り、音楽、衣装、舞台美術など多彩な要素から成り立ち総合芸術ともいわれるテーマに向き合った、圧巻の一作に触れる。
天才を描く人。小説家・恩田 陸『spring』インタビュー
《彼の中では何かが猛烈なスピードで「動いて」いたのだ。固定されたスーパーコンピューターの中で、音もなく凄まじい量の演算が行われているように。
最初の発表会から彼の踊りをずっと観てきて、他のダンサーも観るようになったが、卓越したダンサーは、皆そうだった。
ただそこに立っているだけでも、その中では猛烈に何かが「動いて」いる。肉体そのものの持つスピードが、とてつもなく速いのだ。
彼には、幼い頃からその「スピード」があった。》
《彼》の名は萬春。恩田陸さんの最新長篇『spring』の主人公だ。
「筑摩書房の編集者の方から『バレエ小説を書きませんか』という依頼があったのが2014年。構想・執筆に10年かかったことになりますね」という、直木賞と本屋大賞を受賞したピアノ・コンクールが舞台の小説『蜜蜂と遠雷』に迫る年月をかけて完成させた畢生の長篇小説だが、「今まで書いた主人公の中で、これほど萌えたのは初めてです」と語るほど愛着のある主人公にもかかわらず、最初に“降りてきた”のはタイトルだったという。
「springって、いろんな意味があるじゃないですか、バネとか泉とか。だから章タイトルもspringに絡めたものにしたんです。当然、主人公の名前も春だなと」
「Ⅰ 跳ねる」「Ⅱ 芽吹く」「Ⅲ 湧き出す」「Ⅳ 春になる」。全4章それぞれの視点人物は、15歳の頃から春の踊りを間近に見てきたダンサーの深津純、春を幼少期から見守ってきた叔父さんの稔、バレエダンサーから音楽家に転じ、春の振付作品の曲を書くようになった滝澤七瀬、そして春。
「春というキャラクターには特定のモデルがいるわけではなく、純の章を書いているうちにだんだんとその輪郭がハッキリしてきたんです。純と一緒に発見していったというか。じゃあ、春はどんな子供だったんだろう。そう思って書き始めたのが叔父さんの稔の章なんです」
冒頭の引用はその稔から見た春像だ。落ち着きがなくて当たり前の幼稚園児の頃、1時間近くもしだれ桜を見つめている春のことを、《彼はじっと真剣に自分をめぐる世界の姿を見つめていて、その頭の中ではめまぐるしく思索が行われているのだろうな、と感じた》稔。海外の名門バレエ・スクールのオーディションと目されるワークショップで、純もまた、春が《じっと周りを見ながらも、ひたすら沈思黙考している》ことに気づき、《ゆっくりと身体を動かしているだけで、ヤツに目が引き寄せられ、ヤツの中に空気がどんどん吸い込まれていく》求心力が強いその踊りに魅了される。
「天才が好きなんです。というか、才能というものにすごく興味がある。才能って、いろんな方向に発露されますよね。で、この小説に出てくる春をはじめとするダンサーたちのような見える才能もあれば、見えない才能もある。『蜜蜂と遠雷』のために取材した時も思ったんですけど、自分はそんなに名ピアニストじゃないけれど教えるという点ではすごい人がいて、それこそ『あ、この子もこの子もその先生なんだ!』って、そういう名伯楽がいるんです」
『spring』にも、川べりで体操クラブで覚えた1回転ジャンプをしていて、回りすぎて着地に失敗してしまった8歳の春を見かけ、バレエ教室にスカウトしたつかさ先生という名伯楽が登場する。でも、教えるサイドの才能はそれこそ当事者にあたれば、ある程度メソッドを手の内に入れて書けるかもしれないけれど、バレエを自分で踊ったことがない恩田さんがその道の天才を具体的に描くには苦労もあったのではないだろうか。
「それはもう。想像するしかないんですから。わたしは天才を理解不能なモンスターとしては描きたくなくて、まずは3人のキャラクターの目を借りて春をモンスターではない人間・春として描こうと思ったんですね。で、4人目を誰の視点にするかを最後まで迷ってたんですけど、やっぱり外からの視点で描いてるだけだとどうしても春のことが理解しきれなくて。それで4章は本人になって書いてみようと思ったんです」
以前からコンテンポラリー・ダンスがとても好きで、中でもNoismの主宰をしている金森穣氏の踊りに魅せられていた恩田さんは、いとこがバレエ教室を開いていて、その教え子がNoismに入団したという伝手もあり、執筆に着手する前に金森氏を取材させてもらったのだが――。
「金森さんって、とても明晰でクレバーな方なんですよ。そんなどんな質問にも上手な説明を返してくださる金森さんが、『踊っているところは、ちょっと言語化できないな』っておっしゃって、ガーンという(笑)。しかも、わたしが書こうとしているのは天才ダンサーの話なわけで。でも、言語化できないものを言語化するのがわたしの商売ですから、じゃあ頑張ろうと奮起したことを覚えてます」
以来、直接観られるステージには極力駆けつけ、海外公演や過去の名作はDVDやストリーミングメディアで観てと、ひたすらバレエの視覚的な語彙を増やしていった恩田さん。その成果といっていいのが、振付家となった春による数々のコレオグラフ作品の具体的な描写だ。
見た目も中身も絵に描いたような女王様キャラのヴァネッサ・ガルブレイズ、凄まじい身体能力とビロードの肌の持ち主ハッサン・サニエ、家柄も見た目も「ザ・王子」のフランツ・ヒルデスハイマー・ヘルツォーゲンベルク、そして純。ドイツの名門バレエ・スクールで切磋琢磨する個性的で魅力的な仲間たちに贈った作品だけではなく、この小説には春が振付したたくさんのバレエ作品が登場する。
男性10人と女性10人の2通りのバージョンがある『KA・NON』。プイグの小説をもとにした『蜘蛛女のキス』。ベジャール振付で知られるラヴェルの名曲「ボレロ」を使った『ムジカ・エクス・マキナ』。暗殺教団を扱った全幕バレエ『アサシン』。アンデルセン童話『ある母親の物語』。西暦1000年くらいから約500年間のヨーロッパを歴史絵巻のように俯瞰する大作『ルネッサンス』。そして、恩田さんが「最後に春に踊らせると決めていた」と語る、ストラヴィンスキー作曲『春の祭典』。
などなど15作を超える作品すべてを、恩田さんは具体的に舞台化してみせてくれるのだ。つまり、この小説のコレオグラファーは恩田陸その人なのである。
「大変でしたけど、すごく楽しかったんですよ。普段からバレエの演目の演出や舞台装置、どの曲を使うか、オリジナル曲ならタイトルはどうするかとかを想像、妄想するのが好きなので。『春の祭典』なんかはひたすらスコアを見ながら曲を聴いて、ここで跳ぶとか何とか、頭の中で春に踊ってもらうのが楽しくて楽しくて」
その妄想ぶりを体現してくれているのが、春と作曲でタッグを組むことになる七瀬だ。《今やデューク・エリントンやクイーンまでバレエになっているんだから、パリのオペラ座はミシェル・ルグラン・バレエを作るべきだよね》というフレーズから始まる234ページから236ページにかけての七瀬の脳内バレエ妄想には、恩田さんの「こんなバレエ作品があったらな」という夢が詰まっている。
そうした春オリジナル振付作品の中でも白眉といっていいのが、プロコフィエフ作曲のオペラを題材にとった『三つのオレンジへの恋』。恩田さんはその全幕をつぶさに演出、台本化しているのだ。
「小説に登場させたバレエ作品の中で、現実でも実現してほしいのが『三つのオレンジへの恋』なんです。ずっと前からこの組曲が好きで、オペラがあるんならバレエにしたら絶対に人気演目になるにちがいないと思ってるんですけど、誰も同意してくれなくて。だったら自分で書いちゃえと。すでに楽譜はあるわけで、ここまで具体的に台本にしたんだから、是非どなたかに全幕で作っていただきたいですねえ」
しかもこれらの作品を春と七瀬が作り上げていく過程を描く中、恩田さん自身の創作論も浮かび上がってくる仕掛けになっている。
《モノを作る過程というのは、同じものはこの世にひとつとして存在しないし、いつも違っていて、いつも実に興味深い。(中略)あたしが今作っているものはなんなのか? 何を作っているのか? 世界に受け入れられるのか? 後々どう評価されるのか?》
《常におのれの能力と課題の大きさにいかに折り合いをつけるかに七転八倒しており、当然ながら折り合いのつかなかった仕事というのも往々にして存在するわけで、思い出すと「ぎゃっ」と叫び出したくなったり凹んだりするが、もはや過去のことと割り切って、ひたすら前に進むのみ》
「あと、師であるジャン・ジャメと叔父さんの稔、この2人が自分の踊りを理解してくれればそれでいいと春が考えるシーンがあるんですけど、クリエイターにとっての『理解してほしい』という欲求も難題なんですよね。『理解している』のも『理解されている』のも当人の主観にすぎないし、賞賛=理解ではないわけだから。その欲求とどう向かいあうかも、モノを作る人間には課題なんだと思うんです」
この小説には、ダンサーが「踊る」とはどういうことなのか、「踊りたい」という気持ちはどこから生まれるのかというテーマが、春というギフテッド・チャイルドの成長を通じて描かれている。《バレエは基礎が命。「パ」が踊りをつくるレンガのひとつだとすれば、そのレンガはきちんとした規格品でなければならない。レンガのひとつひとつの長さが異なっていたり、形が歪んでいたりすれば、積み上げることはできない》。そういう厳格な《カタチ》の先に、風通しのいい自由な場所があることを信じて、春は踊る。春にとって《踊りの種は、街路樹の陰にも、雑踏の中にも、どこにでもある》、「踊りたい」という気持ちはいつでも《身体の表面に浮かぶ機会を窺っている》。そして、踊ることによって、春は《この世のカタチ》を見ようとしている。では、恩田陸は小説を書くことで何が見たいのか。
この質問に対して恩田さんは長考した末に、「……なんだろう、なんですかね。わかんない、わからないですね。完成したら『さっ、次、次』と思って、書き終えた作品のことは忘れてしまうたちなので。ただ、デビュー以来ずっと自分に課しているのは、縮小再生産だけはしないということです。その時その時、自分がやれることを精一杯やりきって、その時点での最高作品を完成させる。その繰り返しなんだと思います、これからも」と答えてくれた。
そして、『spring』を読んでくれた読者には「クラシック・バレエでもコンテンポラリー・ダンスでもいいから観てほしい」と。「おすすめしたいダンサーは大勢いて、今は日本のバレエ団のレベルもすごく高いんですけれど、わたしがこの小説を書くにあたって、春たちの踊りに求めたのはパリのオペラ座のクオリティです。クラシックもコンテンポラリーも超一流。最先端の演目をあれだけ完璧に踊れるのは、たぶんオペラ座のバレエ・ダンサーだけだと思います。……あ、そういえばNDTっていうオランダのコンテンポラリー専門のバレエ団があって、もうとにかく面白いのでおすすめです。ちょうどこの6月に来日公演がありますから、是非ご覧になってみてください」
《俺ね、何か腑に落ちると、》胸のあたりが《カチッて鳴るの》という春。小説を書く時はいつも見切り発車で始めるという恩田さんにも執筆の最中、時々そんな瞬間が訪れるという。今回のそれをもたらしたのは、七瀬視点の第3章の最後に引用した『遠野物語』の序文で柳田國男が述べた一節。
《この書を外国に在る人々に呈す。
国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ》
「明治の末に初めてバレエを目にした日本人が無謀にも、生活様式も文化も歴史も、なにより残酷なまでに骨格や体型がちがうのに自分でもやってみたいと始めたわけですよね。そこから信じられないくらいの艱難辛苦を重ねて、世代をつないでつないでその先に育ったのが今の日本のバレエなんです」
恩田さんはその思いを春に託し、《戦慄せしめよ》とステージに送り出す。
春、純、ヴァネッサ、ハッサン、フランツ、彼らを見守る稔、つかさ先生、ジャン・ジャメ。バレエを愛し、魅入られた人々の群舞による全幕小説『spring』。稀代のストーリーテラーによる最新の最高作品は、読者を、日本文芸界を、戦慄せしめるにちがいない。
取材・文_豊﨑由美 写真_北尾渉