大滝詠一、井上陽水、松本隆、筒美京平らのブレーンを務めるかたわら、「平井夏美」名義で『少年時代』(井上陽水と共作)、『瑠璃色の地球』(松田聖子)などを作曲。中森明菜の音源制作にも関わってきた川原伸司さんに、いまこの時代に聴きたい音楽についてうかがう連載。Vol.3は大滝詠一さんについての前編。川原さんもバックアップした『A LONG VACATION』について、歌謡曲好きライターの水原空気がインタビューします。
大滝詠一、仲間たちも大奮闘した永遠の名盤『A LONG VACATION』
いま再び聴きたい音楽の旅Vol.3 大滝詠一 前編

水原 大滝詠一さんの『君は天然色』PVがすごい人気です。YouTubeで1500万回再生。世代を超えた魅力とは?
川原伸司さん(以下敬称略) 大滝さんはアメリカン・ポップスを筆頭にポピュラー音楽全般に誰より詳しくて、その黄金率もしっかり押さえてました。発売当時、大滝さん自身も「『A LONG VACATION』は永遠に古くならない」と。
水原 生の楽器の重なりは、80年代当時もすごく新鮮でした。
川原 あの頃YMOが大ブレイクして、みなさんシンセサイザーを多用し始め、ドラムも「ゲート・リバーブ」が全盛でしたからね。
水原 ビシー!という加工ですね。
川原 もちろん先鋭的なサウンドの探究も非常に大切なことなんですが、『少年時代』も実は生のピアノや弦、管楽器だけで作っていてノン・シンセサイザー。だからクラシックと同じく古くならない。ずっと残る歌を目指して音楽制作をしてきたので、それは大滝さんも同じだったと思います。
水原 大滝さんは録音方法も非常に凝っていたのが有名。一度にたくさんの楽器を鳴らす音の厚みや残響音が新鮮でした。今は北欧やメキシコのスタジオの音も簡単に設定できる時代で、グローバル・チャートのサウンドも均質化してます。大滝さんの「ナイアガラ・サウンド」のようなAIスイッチもありそうですが…。
川原 機材やソフトが全世界で共通だからね。ただAIもプログラムした人の解釈が入るから本物とは違う。やっぱり、ちゃんと空気に響かせた音には敵わないんです。だから大滝さんの音楽は今も支持され続けている。
水原 川原さんが大滝さんと親しくなられたのは70年代後半ですか?
川原 当時の大滝さんは、作品性はすごいのにどこかマニアックでセールスにつながっていなかった。それで日本コロムビアとの契約が切れるタイミングで音楽評論家の中山久民さんに紹介していただき、最初はビクターのスタッフとして会いに行ったんです。当時レコード会社の契約が無くなるのはプロでなくなるのと同じで、でも大滝さんは自分と同世代で、日本のポップスを変えていってくれそうな予感がした。ただ、話をしていると文化的知識量がすごいから、洋画ばかり観ていた自分に小林旭の映画「渡り鳥シリーズ」でヒール役の宍戸錠がいかに素晴らしいかを解説したり、浅丘ルリ子の泣くシーンばかり集めたビデオを見せてくれたり。なかなか音楽の話にならない(笑)。
水原 いまそれを大滝さんがYouTubeでやったらすごいフォロワー数になりそうです。ご自宅もおしゃれでしたか?
川原 当時の福生は、デザイナーや作家などが米軍ハウスに移り住んで、アメリカン・カルチャーが溢れてましたよ。大滝さんの家には、まだ高価だったビデオデッキや音響機器もビックリするくらいに揃ってて。
水原 その後『A LONG VACATION』のリリースはCBS・ソニーに決まるわけですが。川原さんがビクターの社員でありつつもバックアップし続けた理由は?
川原 とてつもなく才能がある人だったから、なんとか世に出したいという気持ちが強かったんです。もう友達になってたしね。元はっぴいえんどのメンバーの中でも、松本隆さんは作詞家、細野晴臣さんはYMO、鈴木茂さんはミュージシャンとして大成功していたから。周囲の人もみんな、この才能を埋もれさせるわけにはいかないと。
水原 松本隆さんとのタッグも、川原さんが後押ししたそうですね。
川原 1979年にCBS・ソニー出版から『A LONG VACATION』(文・大瀧詠一、絵・永井博)というイラストブックが出て。その世界観でアルバムを作りたいと大滝さんの中では決まっていて。そこに松本隆さんの詞があれば、一気にすごい作品が完成することは間違いなかった。でも、1972年のはっぴいえんどの解散のときに色々あり、お二人はしばらく没交渉で、大滝さんの口から松本さんの名前は出てこない。本当は誰よりも松本隆さんのファンなのに、すごくシャイなところもある人で。「絶対に松本さんに頼んだ方がいい!」と、自分からじゃなく周りに言わせるんです(笑)。
Photo(record) & Text: Kuuki Mizuhara