大滝詠一、井上陽水、松本隆、筒美京平らのブレーンを務めるかたわら、「平井夏美」名義で『少年時代』(井上陽水と共作)、『瑠璃色の地球』(松田聖子)などを作曲。プロデューサーとして中森明菜の音源制作にも関わってきた川原伸司さんに、いまこの時代に聴きたい音楽についてうかがう新連載。Vol.1は中森明菜さんについての前編。歌謡曲好きライターの水原空気がインタビューします。
中森明菜、90年代に見せたアーティストとしての進化
いま再び聴きたい音楽の旅Vol.1 中森明菜 前編
90年代の中森明菜
水原 川原さんの仕事録を記した『ジョージ・マーティンになりたくて』で最初に驚かされるのが、ビクターの社員でありつつもCBS・ソニーの松田聖子さんに『Romance』という曲を提供するなど(『風立ちぬ』の両A面)、違うレーベルのアーティストと自由に関わっていたことです。
川原伸司さん(以下敬称略) 当時の上司の飯田久彦さんが、入社前に歌手として紅白歌合戦に出場していたり、ピンクレディーを発掘してヒットさせた方で。とても柔軟な考えだったんです。「名誉なことだから、ぜひやったほうがいいよ」と。
水原 明菜さんと初めてお仕事されたのは1991年3月発売のシングル『二人静-「天河伝説殺人事件」』(作詞・松本隆、作曲・関口誠人)ですよね?
川原 あの頃、明菜さんが事務所を移籍したばかりで、レコード会社の座組みも不安定な時期だったので。それで新しい事務所から、音源制作の依頼が私個人のところに来て。かなりイレギュラーなことだったけど、私としてはやってみたいと思った。松田聖子さんのアルバム『Supreme』(1986年6月発売)に曲を提供して大きな手応えを感じていたし、同時代のライバルである中森明菜さんとのお仕事に興味を持つのは、音楽制作に携わるものとして自然なことでしたからね。
水原 聖子派か明菜派か、いまでも話題になります。
川原 音楽は対極にあるものが存在するときこそ面白い。たとえばビートルズとローリング・ストーンズだったり。今の日本も48グループが全盛だけど、「新しい学校のリーダーズ」なんかがブレイクするとさらに盛り上がるはず。ただ、あのときの明菜さんの件だけは上司にも秘密にしていました(笑)。
水原 世の中全体が明菜さんの動向に注目していましたからね。半年くらいリリースのブランクがあって、週刊誌にも色々な憶測が書かれたり。
川原 なので外苑前のビクタースタジオでオケだけ録って。でも結局バレちゃうんだけど(苦笑)。ヴォーカル録りは外のスタジオで。
水原 初めて明菜さんと会われたのはいつですか?
川原 そのレコーディングの時です。明菜さんはファルセットの表現力も豊だし、低音も幅がある。思った通り、音合わせを事前にしなくても全然大丈夫でした。
水原 そのときの印象は?
川原 これは本でも書いているのだけど、明菜さんが「まず3つの歌い方をしてみますね」と言って、ビブラートが強いものや、ウィスパーを多用した歌い方をそれぞれ歌ってくださって。で、「どれがいいですか?」と。さすがだなと思いました。
水原 まさに表現者なんですね。
川原 そう。でも松本隆さんもすごくて、「もう1テイクだけ桜吹雪の中にいるような幻想的なイメージで歌ってみて」と。それがすごくよかった。
水原 天才同士の勝負ですね。そもそも『二人静-「天河伝説殺人事件」』はどんなふうに松本隆さんにオファーされていたんですか?
川原 松本さんとは以前からよく音楽談義をして親しくさせていただいていたので、いつものようにご自宅におじゃましたら、C-C-Bからソロになった関口誠人くんの作曲で、ちょうど角川映画の主題歌を制作しているところだったんです。そのときに「この曲、中森明菜のイメージにぴったりだね」という話になり。松本さんも明菜さんのことは前から気になっていたようで。聖子さんのプロジェクトに関わっている間は作詞をお断りしていたけど、タイミングがピタリと合って。
水原 それで映画『天河伝説殺人事件』のCMや予告編では明菜さんバージョンが流れて、映画のラストでは関口さんバージョンが使われていたんですね?
川原 そう。南佳孝さんの『モンロー・ウォーク』と郷ひろみさんが『セクシー・ユー』や、来生たかおさんの『夢の途中』と薬師丸ひろ子さんの『セーラー服と機関銃』のように。関口さんも、競作してヒットさせたら作曲家として大成するいい機会になるんじゃないかと。
Text&Edit:Kuuki Mizuhara