大滝詠一、井上陽水、松本隆、筒美京平らのブレーンを務めるかたわら、「平井夏美」名義で『少年時代』(井上陽水と共作)、『瑠璃色の地球』(松田聖子)などを作曲。中森明菜の音源制作にも関わってきた川原伸司さんに、いまこの時代に聴きたい音楽についてうかがう連載。Vol.5は筒美京平さんについての前編。日本で最も多くのヒット曲を生み出した作曲家の作品性や素顔について。長年サポートを続けて来た川原さんに、歌謡曲好きライターの水原空気がインタビューします。
作曲家・筒美京平が歌謡界に起こした革命とは?
いま再び聴きたい音楽の旅Vol.5 筒美京平 前編
1997年に作曲家生活30周年を記念して発売された『Kyohei Tsutsumi Hitstory』。こちらは最新曲が加えられた45周年版。アートディレクションは信藤三雄で、レーベルを超えた173曲収録。筒美京平本人の他、大滝詠一、細野晴臣、井上陽水らのコメントも。「最後まで最新の音楽を追究し続けた京平さんは、まさにJ-POPの父なんです」。当時の制作スタッフと川原さんが1年かけてコーディネーションした作品群を聴いていると、それに改めて気づかされる。
●筒美京平/作曲家。シングル総売上は7500万枚以上で日本の歴代作曲家1位。1966年の作曲家デビュー以降、約50年にわたり毎年チャートインした作品数は累計500曲以上。うち49曲が1位獲得。2020年10月7日永眠。
水原 筒美京平さんの作品は、子供の頃から毎日テレビやラジオから流れていましたが、自然に覚えて歌いたくなる曲ばかりなんですよね。
川原伸司さん(以下敬称略) 音楽的にも先鋭的で、常に今の音楽を追究していましたからね。ただヒット曲が多いのに一切表舞台には登場しなかったので、伝説が伝説を呼んで、オファーしにくかった業界の人も多かったんです。でも、異能の人だけれど実は気遣いのある非常に謙虚な方だったので、そういった壁を取り払っていくことが僕の使命だと感じていました。
水原 川原さんは、1994年から京平さんのマネジメントも担当されていたんですよね。初めて会われたのはいつですか?
川原 まだビクターの邦楽宣伝部にいた頃、1976年ですね。ある日Dr.ドラゴン&オリエンタル・エクスプレスという覆面ユニットのレコーディングに呼ばれて覗きに行ったら、矢野顕子さんや林立夫さん、後藤次利さん、鈴木茂さんが演奏していて。日本人の演奏だけど洋楽として売り出そうという企画で。そのときスタジオの隅に、仕立てのいいスーツを着たおしゃれな人がいて、曲と雰囲気から、直感的にその人が筒美京平さんだとわかったんです。
水原 まさに出逢いですね。そして豪華なメンバー!
川原 『セクシー・バス・ストップ』(1976年)というインストだったんですが、当時から矢野顕子さんをはじめニューミュージックと呼ばれていたジャンルの人たちも、京平さんの音楽性をちゃんと理解してリスペクトしていたんですよ。
水原 当時アイドルだった浅野ゆう子さんが橋本淳さんの詞でカバーして、同時期に歌謡曲として大ヒットしているのも象徴的です。同じ曲が洋楽にも歌謡曲にもなるという。
川原 そうですね。京平さんは駆け出しの自分にも気さくに接してくれて、「最近の洋楽でどんな曲が良かったか」といった話で自然と盛り上がり。作曲家になる前はポリドールの洋楽ディレクターとして、僕が大ファンだったラヴィン・スプーンフルも担当していたから実は通じる部分も多かった。そのとき「いつかサシで仕事しよう」と言われて舞い上がりました(笑)。
Photo(record)&Text: Kuuki Mizuhara