大滝詠一、井上陽水、松本隆、筒美京平らのブレーンを務めるかたわら、「平井夏美」名義で『少年時代』(井上陽水と共作)、『瑠璃色の地球』(松田聖子)などを作曲。中森明菜の音源制作にも関わってきた川原伸司さんに、いまこの時代に聴きたい音楽についてうかがう連載。Vol.6は筒美京平さんについての後編。筒美京平が80年代、90年代も進化を続けた理由や素顔について。マネジメントも担当していた川原さんに、歌謡曲好きライターの水原空気がインタビューします。前編はこちら。
J-POPの父・筒美京平が最後まで進化し続けた理由。
いま再び聴きたい音楽の旅Vol.6 筒美京平 後編
1997年に作曲家生活30周年を記念して発売された『Kyohei Tsutsumi Hitstory』。こちらは最新曲が加えられた45周年版。アートディレクションは信藤三雄で、レーベルを超えた173曲収録。筒美京平本人の他、大滝詠一、細野晴臣、井上陽水らのコメントも。「最後まで最新の音楽を追究し続けた京平さんは、まさにJ-POPの父なんです」。当時の制作スタッフと川原さんが1年かけてコーディネーションした作品群を聴いていると、それに改めて気づかされる。
●筒美京平/作曲家。シングル総売上は7500万枚以上で日本の歴代作曲家1位。1966年の作曲家デビュー以降、約50年にわたり毎年チャートインした作品数は累計500曲以上。うち49曲が1位獲得。2020年10月7日永眠。
水原 (前編からの続き)筒美京平さんは70年代から、郷ひろみさんや平山三紀さんなど、鼻にかかった独特の歌声を好まれていたのは有名ですが、1981年末にデビューした松本伊代さんにも通じるものを感じます。伊代さんはビクター所属で、3曲目の『TVの国からキラキラ』(1982年)から川原さんが担当されていたんですよね。
川原 はい。彼女も声域がアルトで、カレン・カーペンターや竹内まりやさんのような魅力がある。デビュー当時にアルバムで平山三紀さんのカバーをしようと準備していたこともあるくらいで。京平さんが多くの曲を提供した一人でした。
水原 80年代はさらに斉藤由貴さんや中山美穂さん、本田美奈子さん、川原さんが担当された水谷麻里さんなど、多くのアイドルが京平さんの曲でデビューして。
川原 この時期になると京平さんとも親しくなって、当時ビクターの社員だった自分のところに、実はほとんどの問い合わせが来ていたんです。京平さんはヒット請負人として駆け込み寺のようなところもあったし。松本隆さんと京平さんの組み合わせは川原に話すのが早いからと、事実上の窓口に僕がなっていたから。ビクターの打ち合わせの後、他社の打ち合わせにそのまま自分が参加することも日常で。場所はいつも、京平さんが好きだったホテル・オークラ。レーベルに関係なく交流して一つのサロンにみたいになっていた。斉藤由貴さんの『卒業』でアレンジをお願いした武部聡志さんが、翌年に松田聖子さんのアルバム『Supreme』で編曲したり、そこから新しいものが生まれて。
Photo(record)&Text: Kuuki Mizuhara