「自分をごまかさないで、正直に生きたい」家入さん自身が今感じる心の内面を丁寧にすくった連載エッセイ。前回は、vol.115 感情全部使って。
家入レオ「言葉は目に見えないファッション」vol.116
私の知らない間に

vol.116 私の知らない間に
2月はどんな気持ちで生活すればいいのか、ちょっと分からなくなる。寒さにやられダウンのポケットに入れた両の手。小石を蹴り蹴り歩く帰り道。白い街灯の光が、2月の寂しさをぼうっと映し出す。とか言うと「なんか悲しいことでもあった?」とハの字眉毛で優しく尋ねてもらえそうだが、そういうんじゃない。そう、そういうんじゃない、んだけど、これって伝わる?もしかして私だけ?
12月はいくら風に吹かれても、足取り軽く、気持ちも温かい。むしろ人と過ごす幸せな時間はその寒さに護られている気がしてしまうことさえある。悴んだ指で押すインターホン。足音と共に近づいてくる人の気配。鍵を開ける音と同時に動き出す扉。何故だかその一部始終が私の目にはスローモーションで再生されており、(私は誰かに出迎えてもらうことが好きで、それは人生の中の好きな瞬間TOP5くらいには多分入る)扉の向こうから聞こえていたくぐもった「いらっしゃい。おかえりなさい」の声が「なさい」の辺りから鮮明な音となり画となり、私の目の前に現れる。家主の笑顔とほころぶ口元。開かれた扉から漏れ出る家の中のオレンジ色の光と微かな料理の香り、鍋の蒸気で湿った優しさ。もう、それだけで人混みの中買い出ししてきた疲れなんて吹っ飛んでしまう。「ただいま。これ、頼まれていたワインとケーキ」紙袋を差し出しながら中に入る幸福。別のシチュエーションだと、「ありがとうございました」とホールスタッフに送り出された店先で。お腹も心も十分満たされているのに、どうしても別れ難く「もう1軒行く?」ってムードの幸福とか。そう、寒さは私の、私たちの敵ではない。味方なのだ。それに12月は自分の誕生日もあるし、クリスマスもある。祝福ムードのまま泣いて笑って何だかんだとありましたが、無事に1年過ごせました、これもひとえに皆様のおかげです、と全てに感謝し手を合わせ、行く年来る年、締め括る。新しい年を迎えてからも、お節にお雑煮、並ぶご馳走。食卓を囲み、挨拶を交わす人々も、普段中々顔を合わせない親族、旧友でお正月気分って良い気持ち。帰京してから会う会社スタッフの皆さんも、人間らしいふくふくとした顔つき心持ちで、ホッとする。しばらくはそのゆるやかな空気の中で手足を動かし、漂い、泳ぎ、貯めていたエネルギーで生活する…んだけど、2月になる頃には、その寂しさ、所在なさ、みたいなものに抗えなくなって。「寝溜め出来ないのと同じか」なんて少しやさぐれた気持ちに喝を入れ。旧正月も終わり、「今年も頑張らねばならんのう」と日々淡々と生きる。だけど先日、日課のランニングコースを走っていると鼻先をくすぐる梅の香り。梅の木の隣でもう桜の花も咲きはじめていてびっくりする。「ここ日当たりがすこぶる良いもんなぁ」と寒さで冴えた身体とまだ起き切っていない頭でぼんやり。あぁ私が寂しくなっている間に、ちゃんと春は近づいてきている。私が今走っているこの瞬間、世界の何処かで未来の嬉しい何かが準備されている。私の知らないところで、私に向かって誰かが、何かが歩いてきてくれている。そんな風に考えると自然とランニングのペースが上がった。3月は日比谷でライブもある。春は近いよ。
Text_Leo Ieiri Illustration_chii yasui