「自分をごまかさないで、正直に生きたい」家入さん自身が今感じる心の内面を丁寧にすくった連載エッセイ。前回は、vol.114 誕生日の決意。
家入レオ「言葉は目に見えないファッション」vol.115
感情全部使って

vol.115 感情全部使って
今でもたまに思い出すことがある。家から小学校までの通学路。ゆるやかな、けれど、とても長い坂道だった。転入し転校するまでの数年、毎朝あの坂道を登り、学校に行き、学童を終え、坂道を下り家へ帰ったことは当時へなちょこだった私の心と体を多少強くしてくれたと思う。誰もいない家の玄関で「ただいま」を言うと心までがらんとしてしまう。夏場、靴の中で汗をかいた足で家の中に入ると塩化ビニールの木目フローリングに白っぽく浮かぶ自分の足形。貧しさの印みたいですごく嫌だった。教科書がたくさん入った赤いランドセルを下ろし台所で手を洗いうがいを済ませたら夜になるのを待つ。埃っぽい土壁に四方を囲まれた小さな奥の部屋。机の上のリモコンを手に取り、テレビに向けスイッチを押すと賑やかなコマーシャルの音に体がビク付き、慌てて電源を切ると、今度は静まり返った部屋の沈黙が怖くて1人壁に向かって喋った。糸がほつれた座椅子に深く座り、大きな音が聞こえる心づもりをしてテレビをつける。日に焼けた畳の上に年中敷かれたままのオレンジと茶色の炬燵マット。窓は模様が入ったすりガラスで、外の景色さえ見えなかった。窓を開けたところで砂利が敷かれた駐車場と隣の家の塀があるだけだったけど。当時の私の楽しみは小学校から帰ってきて、ドラマの再放送を観ることだった。見たこともない知らない世界が広がっていた。
だけどその日、チャンネルを回していた私の手を止めたのは、ドラマの再放送ではなくアイドルのオーディション番組だった。私よりお姉さんだけどまだ大人ではない女の子たちが、大人の前で自己紹介をし、歌を歌い、踊っている。中には私と同い年くらいの子もいて、笑ったり、緊張した面持ちだったり。私はただずっとテレビの中の彼女たちを見つめていた。
そして、記憶は途切れ、何故かそこには母がいて、私は泣いている。「どうしたの?」「なんで泣いているの?」と理由を尋ねられれば尋ねられる程、私は泣いた。「このオーディションが受けたいの?」と聞かれ、首を大きく横に振り、母は「じゃあどうしたの?」と益々困惑し、私は泣き続けた。私にもなぜ自分がこんなに泣いているのか分からなかった。だけど、すごく怖かった。同い年の子達が何かを始めたり、探したりしているのに、自分は古ぼけたアパートにいて、何もしていないことが。そしてどうしたらいいんだろうと思っていた。
2024年の年末は福岡に帰省し実家で年を越した。コロナで床に伏せったままの東京正月を除いて、多分デビューして以来はじめて母と新年を迎えた。顔馴染みの友人の実家でお母様の料理をご馳走になったり、母校思い出ツアーを敢行したり。そして別の日には約15年ぶりに再会したと友人とキャンプに行ったり。母の手料理を食べ、ゆっくり温泉に浸かり、色んな話もした。
デビューしてからつい数年前までは実家から足を遠ざけていた。ふと気が緩んで熱を出してしまったり、気持ちの糸が切れるのがきっと怖かったんだと思う。楽しいけれど数日過ごすと東京での日常を恋しいと思ってしまっている自分に気づいたり。
だけど今年、2025年のお正月。私は普通の、ありふれた、きっと何処にでもあるお正月を過ごしながら、こういう幸せも良いなぁと多分はじめて思った。やっと自分を許しはじめた、みたいな気持ち。30歳になって、私の人生ってなんとなくこんな感じなのかな?って良くも悪くも客観的で。でも、こんなもんじゃねぇ、もっと、もっと知らないことを知って、生きてる!!って心から思いたいくせに!!って、あの日泣きじゃくっていた少女の私が私に言う。ねぇ、何から始めようか。私はもっとワクワクして、キラキラ、ギラギラしたいよ。そして私がそうやって転がって磨かれていくことで、誰かの人生に光が差したり、傘をさせたりしたら、私の涙は止まるんだよ。2025年は感情全部使っていこう。
Text_Leo Ieiri Illustration_chii yasui