毎日、たくさんの本と出会う書店員と読書カフェの店主がよりすぐりの1冊をセレクト。
達人がリコメンド 街の本屋のこの一冊 Vol.3

岩渕宏美
『日本のヤバい女の子』
はらだ有彩/柏書房/¥1,400
昔々、とたくさんの人の言葉を介すうちに過程がすっぽり抜け落ちて「ヤバい」行動だけが伝承されてきた昔話の中の女の子たち。玉手箱を渡す乙姫然り、無理難題をふっかけるかぐや姫然り。着膨れするほどの意味を後づけされてきた彼女たちの「ねぇちょっと聞いてよ!」という声に耳を傾けたのがこの本だ。
文献とその行間を読み解きながら繰り広げられる著者流の解釈は、まるでガールズトークのよう。悲恋のヒロインというレッテルを剥がされた織姫は途端にひとりの時間も楽しめる自立した女性に見えるし、自分の人生を安売りせず見合うだけの宝物を示したかぐや姫には拍手を送りたい。虫愛づる姫君は小さい命を愛する普通の女の子だ。
「昔々あるところに私がいました」から始まる物語を考えてみる。結婚適齢期を逃したらヤバい?セクハラも流せるようにならないとヤバい?はぁ?どつきまわすぞこら。昔話になるまでなんて待てない。今生のうちに自由になろうよ。私たちはいま、最強の教科書を手に入れた。
≫いわぶち・ひろみ=渋谷のジュンク堂で海外文学を担当。
阿久津 隆
『マザリング・サンデー』
グレアム・スウィフト/真野泰訳/新潮社/¥1,700
「かつてこんな日があっただろうか。この先、こんな日が二度とあるだろうか。」というその一日、ひとりのメイドが過ごした1924年の春のその一日が、少しずつ、絶えず場面を行き来しながら、絶えず迫りくる事態の気配を織り込みながら、しかし非情にも、たしかに前に進みながら、語られていく。
真野泰の静かな、凛とした美しい訳語の選び(「母を訪う日曜」!)、時にフレーズや音をリフレインさせて作られていく文章のリズムは、そんな小説の結構とあまりにぴったりハマっていて、ひたすらよくて、常に泣く直前みたいな状態での読書を余儀なくさせられた。一方、こみ上げる涙をこらえた彼女は、その後の何十年にもわたってこの一日を繰り返し思い出すことだろう。想起とは、その出来事をそのつど生き直すことに他ならなくて、それはたしかにこのようなやり方によって行われるのだよなあ、という実感が強烈に、震えのようなやさしいグルーヴをまとった文章の中に身を置いているうちにやってきて、うろたえた。
≫あくつ・たかし=東京初台にある本の読める店「fuzkue」店主。『読書の日記』発売中。
花田菜々子
『水中翼船炎上中』
穂村弘/講談社/¥2,300
穂村弘といえば、現代短歌の世界にポップさをもたらした短歌界の王者であり、また、エッセイなどで見せた自意識過剰でひ弱なキャラクターは王子のようで、文系女子たちを夢中にさせる、アイドルのような存在だった。と思っていたのだがいつのまにか王子も56歳。えっ?
17年ぶりの歌集(そこにも驚いたが)は、人生を総括するような壮大なスケール。装幀の名久井直子氏の並々ならぬ気合いで、表紙の柄の組み合わせはなんと9通り。豪華な作りで、紙の本が持つ美しさを強く感じる。
背筋を伸ばして、一首一首をなめるように味わう。頻出する「夜」「煌めき」という単語に代表される不安定な美しさを繊細に切り取る魔法は色褪せぬまま、人生を閉ざそうとするような著者の老成した眼差しがそこに差し込み、見たことのないハレーションを起こしている。
シンプルな歌集のようで、ひとたび触れれば、言葉の強烈な力で、映画のような深い余韻をもたらす。こんなにも言葉の美しさに浸れる読書体験は本当に稀だ。
≫はなだ・ななこ=日比谷コテージ店長。実体験を綴った自著『であすす』(略)が発売中。