恋に落ちたときのドキドキ、相手の気持ちがわからない不安、そして愛の終わり――ある恋愛関係の一部始終を描いた、7月2日公開のフランス映画『シンプルな情熱』。レバノン生まれ、フランス育ちのダニエル・アービッド監督にお話を伺うと、今作を通して「恋をしているときの幸福感を描きたかった」といいます。
映画『シンプルな情熱』ダニエル・アービッド監督にインタビュー。恋に年齢も性別も関係ない
──監督が住んでいらっしゃるフランスでは状況が違うかもしれませんが、日本でラブストーリーというと、10〜20代の若いキャラクターが描かれる作品が多いように思います。今回、40歳に手が届きそうな年齢の女性を主人公に、これほどストレートなラブストーリーを撮られたことに驚きました。
面白い感想をありがとうございます。今まで誰も言ってくれなかったことです。たしかに「年齢を重ねた女性にとって、恋なんてもう過去のものだから語ることはない」などと思われがちですが、年齢も、ましてや性別も関係ないと思うんです。たとえ60歳の女性でも心が若ければ、今作で描かれているような“情熱(パッション)”を持てるはずですから。私としてはキャラクターの年齢や性別以上に、自分を投影できるどうかがとても大事だと思っています。
──年齢を重ねた女性のキャラクターを描くということは、同じように年齢を重ねた女優に活躍の場を与えることでもあります。その意味でも今作は素晴らしいと思いました。
私から見れば、主演のレティシア(・ドッシュ)の世代だって若いんですけどね。今作のようにラブシーンがあると肉体をさらけ出すことが求められるので、60歳以上の俳優にはハードルが高いかもしれません。ただ、レティシアも相手役のセルゲイ(・ポルーニン)も美しい人たちですが、今回は彼らの肉体をただ美しく見せる以上に大切なことがありました。それは、観客の欲望をそそるように描くということ。おそらくそこには、私が昔から多くのハリウッド映画を観てきて、「あの俳優、素敵!」と思った感覚が反映されているのかもしれません。最近はテレビを中心に、リアリズムを追求するがあまり、性描写がやたら赤裸々な作品が横行しています。でも私はそうではなく、うっとり憧れてしまうようなキャラクターを描きたいと思っているんです。
──劇中、主人公・エレーヌ(レティシア・ドッシュ)と、年下で既婚者の恋人・アレクサンドル(セルゲイ・ポルーニン)が愛し合うシーンは何度も登場しますね。
要所要所でセックスを描くことで、移り変わっていく二人の関係を映像化することにこだわりました。まるで(異なる色の筆触を並べることで、光の移ろいを捉えた)印象主義の絵画のように。今作では原作小説と同じように、二人が出会うシーンはなく、序盤から昼下がりのラブシーンが登場します。最初は体だけの関係だったのが、エレーヌに恋心が芽生え、会えない苦しさにさいなまれ、情熱に取り憑かれていく。やがて、関係は終わりへと向かっていきます。
──二人が体を重ねるシーンを撮るにあたり、どんな点に気をつけましたか?
レティシアとセルゲイをより魅力的に見せるために、どんな歩き方や話し方をするかを事前によく観察しました。また、どう撮ってもらうのが好きかもリサーチしましたね。横顔を撮るなら、左右どちら側がいいか。コンプレックスがあって撮ってほしくないパーツはどこか。
撮影現場では、スタッフの人数を少数精鋭に絞りました。私はカメラが回っている間も二人の真横にいて、「左手はこっちに! もっと髪の毛をなでて!」と喋り通し(笑)。まるでダンスの振付のようでしたね。もちろん苦労もありましたが、楽しい撮影でした。私は経験上、わがままな俳優が嫌いなのですが(笑)、レティシアとセルゲイはとても上品な人たちでしたから。
──エレーヌはアレクサンドルに振り回され続けますが、その姿は悲恋ものの主人公にありがちなドロドロした感じではなく、むしろさっぱりと明るい印象さえありました。
恋をしているときはなんて幸せなんだろう、ということを伝える物語にしたかったんです。ラブシーンではガラス窓からたくさんの光が差し込み、レティシアのブロンドの髪と白い肌がますます輝く。光を取り入れることで、エレーヌの幸福感を表現しました。またエレーヌはシングルマザーで、息子がいます。たとえ昼下がりに男性と体を重ねても、息子への愛は変わりません。とても強い親子関係を築いています。「母親が幸せなら子どもも幸せ」とよく言われますが、まさにそんな関係だったなと。レティシアがその表情と知性で、エレーヌを見事に体現してくれたと思います。
──世界的なバレエダンサーでもある、セルゲイ・ポルーニンについてもお聞きしたいです。俳優としての経験はまだ浅い彼によれば、「監督が常に温かい言葉をかけてくれたことが大きな助けになりました」とのこと。やりとりの中で、印象的だったことはありますか?
(うれしそうに)セルゲイがそんな風に言ってくれたんですか? 彼はすごく優しい、愛すべき人です。人の話をよく聞くから、演技も正確。こちらを質問攻めにしたり、もちろん文句をこぼしたりもしない。精神的にタフで、リスクを取ることをいとわず、何が起きても受け入れる、そんな人なんです。それは彼が従順だからではなく、私たちスタッフや共演者へのリスペクトがあるから。時間どおりに現場入りしますし、たとえば「ウイスキーを持ってきて」なんてわがままは決して言いません。緊張を抑えるためにと、コニャックの瓶は自分で現場に持ち込んでいましたけどね(笑)。
──バレエ界きっての異端児といわれ、破天荒なイメージがあったので、少し意外です……!
彼はこれまでSNSで挑発的なことを発信してきましたが、それは特定の誰かを攻撃したいのではなく、むしろ自分自身に試練を与えている感じがするんです。彼の中には「自分は名声に値しないんじゃないか?」という疑念、というか、自信がない面がある。そんな自分を試すために、あえて挑発的に振る舞っているのではないかと。そういう繊細さに、私は惹かれるんです。
──ラストシーンは、エレーヌとアレクサンドルの決定的な別れを描いていながらも、どこか希望を感じます。原作者のアニー・エルノーは以前「本には、人々を、その人々の生活から遠ざける本と、その生活へ連れ戻す本があります」「私には、人々を彼ら自身に立ち返らせたい、そういう思いがあるんです」と語っていました。まさに今作のラストにも、観客自身を励まし、人生において前を向く勇気をくれるような印象がありました。
そう言っていただくととてもうれしいです。レティシアが舞台挨拶のときに「この映画にはアニーの秘密と、監督の秘密と、私の秘密が入っているんです」と言っていました。つまり、スタッフ・キャストのみんながそれぞれ自分の中にある密やかな何かを表現し、それが映画に収められているんだと。素敵な考え方ですよね。そういえば、助監督に入ってくれたカミーユなんて、完成した今作を観て影響を受けたのか、なんとこの物語をなぞるような体験をしてしまったそうなんです! 観客のみなさんには、ご自身の密やかな部分を体感するかのように、今作の世界に入っていってほしい。そして観終わったときに、たとえば「私も恋してみようかな」と思ってくださったらいいなと思います。
『シンプルな情熱』
数々の文学賞に輝くフランス人作家アニー・エルノーが自身の愛の体験を綴ったベストセラー小説を映画化。出演は『若い女』(17)でリュミエール賞最有望女優賞を受賞したレティシア・ドッシュと、元英国ロイヤル・バレエ団プリンシパルで、俳優としても『オリエント急行殺人事件』(17)などに出演するセルゲイ・ポルーニン。
「去年の9月から何もせず、ある男性を待ち続けた」と追想するエレーヌ(レティシア・ドッシュ)。パリの大学で文学を教える彼女は、仕事や家事もしたし、友だちと映画館へも行った。だが、彼と抱き合う以外のことには現実感がなく、なんの意味もなかったのだ。彼の名前はアレクサンドル(セルゲイ・ポルーニン)。あるパーティで出会った、年下で既婚者のロシア人だ。アレクサンドルからの電話をひたすら待ちわびるエレーヌだったが、あるとき彼から「次にいつ会えるかわからない。3週間フランスを離れる」と告げられる。彼の不在に耐えられないエレーヌは、息子とフィレンツェへの旅に出る。そして3週間後、アレクサンドルからの連絡を待つエレーヌの元に、1本の電話が入るが……。
原作: アニー・エルノー『シンプルな情熱』(堀茂樹訳/ハヤカワ文庫)
監督・脚本: ダニエル・アービッド
出演: レティシア・ドッシュ、セルゲイ・ポルーニン、ルー=テモー・シオン、キャロリーヌ・デュセイ、グレゴワール・コラン
配給: セテラ・インターナショナル
2020年/フランス・ベルギー/99分/ヴィスタ/5.1ch
7月2日(金)Bunkamuraル・シネマほか全国ロードショー
©2019 L.FP. Les Films Pelléas – Auvergne – Rhône-Alpes Cinéma – Versus production
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Danielle Arbid
1970年生まれ。レバノン、ベイルート出身。1987年、レバノン内戦の頃に17歳でパリへ。文学やジャーナリズムを学び、1997年から映画制作を始める。これまで各国の30以上の映画祭に作品が選出され、16以上の賞を受賞。2001年、レバノン内戦を振り返るドキュメンタリー『Seule avec la guerre』でロカルノ国際映画祭銀豹賞(ビデオ部門)、またフランスの優れたジャーナリズムに贈られるアルベール・ロンドル賞を獲得。初の長編劇映画『戦争の中で』(04)と、続く『ファインダーの中の欲望』(07)はともにカンヌ国際映画祭監督週間に選出された。2016年、パリに暮らすレバノン人の女学生を描いた『わたしはパリジェンヌ』は、フランスの外国プレスが選ぶリュミエールアカデミー賞を受賞。長編劇映画4作目となる『シンプルな情熱』は、カンヌ国際映画祭公式作品に選ばれた。