「社会問題にどんな解決策があるか、映画をきっかけに考えてもらうことこそが面白い」。そう、ラジ・リ監督は言う。マリ共和国で生まれ、3歳で渡仏。移民家族が多く暮らすパリ郊外、いわゆるバンリューで育った彼は、同地域における若者の鬱屈や警察の暴力といった、知られざるフランスのリアルを描いた前作『レ・ミゼラブル』(19)で一躍有名に。新作『バティモン5 望まれざる者』(5月24日公開)でも、権力に向けるまなざしの鋭さは変わっていない。
『バティモン5 望まれざる者』ラジ・リ監督にインタビュー
パリ郊外の貧困地区で起こる市民vs行政の抗争、そのゆくえは?
──舞台はパリ郊外、労働者階級の移民家族が暮らす一画。そこでは目下、老朽化した団地の解体計画が進み、バティモン5(5号棟)の住民たちも気が気ではありません。そんな中、別棟が爆破により取り壊され、その衝撃波で現市長が急逝するという物語の始まりに驚きました。
団地の破壊、まさにそれこそがこの映画で描いていることだからです。都市再生計画によるジェントリフィケーション(開発などによって、ある地域により豊かな層が移り住むことで、住民の居住環境が変化する現象)が起こり、元の住民たちが立ち退きを余儀なくされていきます。
舞台である架空の街モンヴィリエのモデルは、パリ郊外のモンフェルメイユです。私自身、モンフェルメイユのボスケ団地のバティモン5(2020年に解体)で育ちましたが、1990年前半より、実際に地域全体の再生計画が始まりました。最初は1994年、ボスケ団地のバティモン2が爆破により取り壊されました。当時10代の私はその場に立ち会ったんですが、建物が崩れ落ち、住民たちが涙を流す、その光景が忘れられません。
劇中、急逝した市長の後を継ぐピエール(アレクシス・マネンティ)も、似たり寄ったりの嫌なヤツ。また爆破シーンの直前には、バティモン5で暮らしている主人公アビー(アンタ・ディアウ)の母が亡くなり、人々が苦労して階段で棺を下ろすシーンも登場します。一連の死と破壊にあらゆる課題が集約されていると思い、こういう始まりにしました。
──階段の上り下りのシーンが繰り返し出てくるのも印象的でした。
共用部の階段は踊り場も含め、団地の住民にとっては生活の場そのものです。何か飲みながらおしゃべりするなど、バーやカフェの代わりとして機能します。そして、そもそもエレベーターが常に故障しているために、階段を使わざるをえない。それほど劣悪な場所に押し込められているということを暗に示していると言えるかもしれません。
──臨時市長に就任するピエール役のアレクシスさん、副市長ロジェ役のスティーヴ(・ティアンチュー)さんなど、監督の前作『レ・ミゼラブル』(19)でお馴染みの俳優陣も出演しています。
もともと親しい間柄ですし、プロフェッショナルな俳優たちなので、どんな役でもやってくれるだろうと。アレクシスには、前作は偏った思想の警官、今作は右派寄りの市長と、ともにヒール役を演じてもらいました。誰しもひとたび政治の世界に踏み入れると、どうしても権力からくる全能感に味をしめてしまう。アレクシス演じる市長ピエールも、最初は誠実さが感じられますが、例外ではありません。スティーヴも前作は市長、今作は副市長と、続けてどこか卑劣な役を演じています。
──前作では、警察におけるホモソーシャルな男性社会が捉えられていました。今回、自身もマリにルーツを持ち、フランス語を話さない移民たちのケアスタッフとして働く女性アビーを主人公にしたのはなぜですか?
前作では警察の暴力性を描くというテーマ上、男性社会にフォーカスしました。ただ、フランスのメディアでもよく「女性が出てこないじゃないか」と指摘されたんですが、まったく登場しないわけではありません。女性警官や母娘など、登場時間こそ短いですが、自分としてはそれぞれに存在感の強いキャラクターだと感じています。
その上で今回アビーを主人公に据えた理由ですが、貧困地区には実際に彼女のように、さまざまな市民活動に従事している女性たちがたくさんいます。でも、その声はなかなか社会に届きません。だからこそ私はこの作品を通して、そういった女性たちの存在を世の中に伝えるとともに、オマージュを捧げたいと思いました。
──ピエールの妻ナタリー(オレリア・プティ)もメインキャラクターの一人ですが、彼女がシリア移民の若い女性にフランス語の文法を教えるシーンも興味深いです。
かつてフランスは植民地政策を打ち出してアフリカなどへ進出したわけですが、当時は“現地の野蛮人を、私たち文明人が啓蒙してあげよう”といった思想を掲げたキリスト教伝道者たちが実在していて。その精神がナタリーの中にも無意識に残っているのかもしれませんね。女性支援に尽力しようという誠実な面もあるんでしょうけど、同時に何かきな臭さも感じさせる人物だというふうに想定しました。
[*これ以降、クライマックスについて直接的に触れています。ご注意ください]
──アビーは市政の腐敗ぶりに失望し、次の市長選での立候補を決意します。よくある映画なら選挙結果まで描くと思うんですが、そうしないのが意外でした。
オープンエンドにすれば、観た人たちの間で議論が広がると思うから。『レ・ミゼラブル』にしても、「あの後どうなるか」という問いに関して、何十通りもの解釈が可能ですよね。すると、どんな解決策があるか考えるきっかけになる。そういう点にこそ面白みを感じるんです。
──今回も、誰が副市長ロジェの車を炎上させたのかわからないですよね。アビーなのか、アビーの幼なじみブラズ(アリストート・ルインドゥラ)なのか、それとも……。
誰が火をつけたと思います?
──えっと、2回観た上でアビーかなと思いました。監督の中で答えはあるんですか?
ええ。脚本はアビーが犯人だという前提で書いたんです。アビーは怒りに燃えていますが、望んで暴力に手を染めたわけではありません。車に火をつけるシーンも撮影しましたが、やはりあえてカットして曖昧にすることにしました。
──そうでしたか。でも、誰が火をつけてもおかしくない状況というか……、この映画においては犯人がわかることにあんまり意味はないですよね?
はい、そのとおりです。
──監督、それとアレクシスさんもですが、Kourtrajmé(クルトラジメ)というアーティスト集団に所属しています。フランス映画界で活躍するクルー揃いですが、これまでどんな影響を受けてきましたか?
自分にとっては始まりの場所です。たとえば集団の創設者である監督のキム・シャピロン、ロマン・ガヴラス、トゥマニ・サンガレは、私が30年近くつるんできた友だちであり、仕事仲間でもあります。いわゆる映画学校には行っていませんから、この集団が最良の学校でした。すべてを学んだと言っても過言ではありません。
──仲間内はどういう雰囲気なんでしょう。政治スタンスなど共通項も多いと思うんですが、時には意見を戦わせたりも?
もちろん! 政治的には似た立場だけど、個々の課題について考えがぶつかることはありますし、クリエイションにおいても当然そうです。というか、そんなのいつもですよ。脚本一つとっても、どこかおかしいと思えば遠慮せずはっきり言い合います。私自身、コテンパンにされたことも(笑)。でも、そうやって意見をぶつけ合う方がむしろ面白いと思います。
──クルトラジメのことも支援してきたマチュー・カソヴィッツ監督の『憎しみ』(95)は、パリ郊外の人々が抱える問題を描いた映画において、記念碑的存在です。以降、郊外についての映画というのは、ラジ・リ監督からするとどんな変遷を辿り、今どんな位置にあると思いますか?
『レ・ミゼラブル』はよく『憎しみ』と比較されます。両者の間には20年弱のスパンがありましたが、社会はほぼ変わっていません。『憎しみ』が訴えた警察の暴力も相変わらずだし、なんなら悪化している感じさえあります。それが悲しいやら、情けないやら。またその間も、郊外を舞台にした映画自体は生まれていますが、外部の人がよく事情を知りもせず撮ったものばかりで、注目に値する作品は少ないです。
──エコール・クルトラジュメ(ラジ・リ監督がボスケ団地で立ち上げた、映画制作の入門授業を無料で提供するスクールプロジェクト。学歴不問で、18歳以上であれば誰でも出願できる)から、ラジ・リ監督の思いを継ぐ次世代の才能が誕生するといいですね。
うん、そういうことです。私もそう願います。
Photo_Yuka Uesawa Text& Edit_Milli Kawaguchi