たわいもない会話やありふれた人間関係の物語から、観る者に思いがけない驚きをもたらし、人生について思考し、自由に解釈する楽しみを与えてくれる監督ホン・サンス。ベルリン国際映画祭で銀熊賞を5度受賞した彼の長編第28作目となる最新監督作『WALK UP』は、都会の一角にたたずむ地上4階・地下1階建ての小さなアパートを舞台に、映画監督のビョンスを取り巻く人間模様を綴る。主役を演じるのは、ホン・サンス組の常連で、韓国ドラマ・映画に欠かせない名脇役としても愛される俳優クォン・へヒョ。来日中の彼が、ホン・サンス作品が持つ力について語ってくれた。
映画『WALK UP』主演クォン・へヒョにインタビュー
「ホン・サンス監督の映画を観ると、私たちは人間について理解できる気がする」

──ホン・サンス監督は、当日朝に書いたその日に撮れる分だけのシナリオを俳優に渡し、撮影するという独特なやり方で映画づくりをされていて、ご自身と関わる人たちが過去の成功体験に頼ることを阻止しているようにも思えます。日本では、自分の時代の偏った成功体験を疑わず、変化を受け入れない人を「老害」と捉える傾向がありますが、クォン・へヒョさんはホン監督の過去への視点をどう見ていますか?
ホン・サンス監督は過去に自分はこうだったというようなことを話したことが一切ないんですよ。ホン監督は『豚が井戸に落ちた日』(96)で映画監督としてデビューされていますが、その時点で韓国の映画史において高く評価を受け、評論家たちからも「韓国映画の世界に新しい幕を開いた」と賛辞を浴びて、大衆からも韓国だけでなく世界でも支持されたんですね。映画人に対してかなり大きな影響を与えたのですが、1回もそんな話をされたことはないですし、自分は過去にこんな作品を撮ったという話を聞いたことがない。ホン・サンス監督は、今日撮った映画が一番好きなんだと思います。
──クォン・へヒョさんは『3人のアンヌ』(12)以降、ホン・サンス監督作の常連となっていますが、当時、『豚が井戸に落ちた日』を観たときはどんな印象がありました?
1996年にデビュー作を観た瞬間、監督の大ファンになりました。全ての縁というのは偶然だとはわかっていつつも、切実に心から願っていれば、そういう縁に恵まれると私は考えているんですね。『豚が井戸に落ちた日』の主人公を務めていた俳優キム・ウィソンさんは友達だったので、すぐに電話して、「ホン・サンス監督の映画に出たい。無料でもいいから出演させてほしいと伝えてほしい」と言ったくらい。私はそれから16年経ってようやくご縁ができて、ご一緒することになりましたが、キム・ウィソンさんは、その18年後にやっと、『自由が丘で』(14)でホン監督と2本目を撮りました。だから、彼は私の話を監督に伝えてくれなかったに違いないなと(笑)。

──クォン・へヒョさんは、ホン・サンス監督作で、映画監督だったり、出版社の代表だったり、そして、女性からモテるダメなところがある役柄を担っている気もします。観ていると、ホン監督自身を投影しているキャラクターなのではと思ってしまうのですが、そこに関してはどう思いますか?
そうですね。ホン・サンス映画の中に出てくる男性の設定の多くが映画監督なのはなぜかというと、おそらく、正直に飾ることなく、ご本人が一番よく知っている役柄だからではないでしょうか。日本の方は、字幕を通して観る方も多いでしょうし、言葉の響きやニュアンスのようなものが全ては伝わっていないかもしれませんが、セリフの中に、ホン監督の口調も少し入っていると思います。私のセリフも、私の口調ではなく、ホン監督の言葉になる。ただ、今、口調と言いましたが、普段、ホン監督がずっと映画のキャラクターと同じようにしゃべっているわけではありません。
──ホン・サンスさん自身の要素がちょっとだけあると。
はい。例えば、ホン監督が繰り返しよく言う言葉に、例えば、「美しいですね」「美しいですよ」とか、「美味しいですか」「美味しいですね」「美味しいんですよね」とか、「そうなのね」「そうですね」といった表現があります。私自身は普段は言いませんし、ホン監督の言葉ではあるのですが、彼も常にそういう口調で話しているというわけではないので、ホン監督の言葉ではないとも言えるわけなんですが、そういう言葉遣いをすることによって、言葉のリズムを生み出しているのではないかなと思いますね。

──反復が少しずれていくというリズムは、セリフや物語の構造にも反映されていますね。
ホン監督の作品が持っている力の一つだと私は思いますが、ご本人の知らないことや好きではないことは描かない。そして、大きな事件も起きないということがありますね。ある空間に人物が登場したり、到着したりして、その中で人間同士の関係が生まれたりする。事件があるとしたら、その空間や関係性にちょっと亀裂が入るくらいのことしか起きない。そういうホン監督の映画を観ると、私たちは人間について理解できる気がするんですよね。だからこそ、監督自身は自分が十分に知っていること、自分の中で考えられることを描いているんだと思います。なので、ホン・サンス映画に出ている人物の中に、彼自身が投影されているかと聞かれたら、「Yes」とも言えますし、「No」とも言えます。「No」と言う場合の根拠は、キャラクターの中に私、クォン・へヒョの姿が半分は入っていることですね。
──確かに。あなたのプライベートでパートナーである俳優のチョ・ユニさんが、本作では恋人としてご出演されていたり、過去作では妻役を演じていたりすることも、ホン監督がお二人のことをよく知っているという背景と関係しそうですが、実際の夫婦で共演するということが、映画にどんな効果をもたらしていると思いますか?
私たちが夫婦だということを知った上で映画を観るのがいいのかどうかは、私自身はわからないのですが(笑)、彼女とは若い頃から一緒に演劇の舞台に立っていたんですね。だから、一緒に出るということは全く不自然なことではないと思っています。そもそも私たちが恋愛を始めたのも、シェイクスピア演劇に男女の主人公として出演したことがきっかけだったので。だから、気まずいというのも全くないですし、妻も監督の映画づくりが大好きなんですよ。『WALK UP』では、私たち夫婦が一緒にお肉を食べるシーンがあります。この映画では、アパートの階を上がるごとに、私が演じた主人公の体と心の状態も違って、階ごとに異なる姿を見せています。例えば、3階ではベジタリアンとして登場して、でも体を動かしたくなくて、「海外に行くのも嫌だ」なんて言っていたのに、上の階に登ったらお肉を食べている。それで、「これからチェジュ島で映画を撮るんだ」と、言っていることも変わっていますよね。3階にいたときの女性との関係は、相手のことは好きだけれど、なぜか一緒にいるのが気まずいようなところがある。4階に上がり、チョ・ユニさんが演じた女性とは、お互い頼れるもの同士として描かれていたので、たぶん、私たちの夫婦という関係性も助けになっていたのかなと思います。ホン監督も、4階で私がそういう姿を見せるために、実生活で夫婦である二人が出るのがいいと思ってキャスティングしてくれたのではないでしょうか。普段、私たちがじゃれあったりしているところを見て、あんなふうに設定してくれたのかもしれないです(笑)。
Text&Edit_Tomoko Ogawa Photo_Eriko Nemoto