出張料理人 岸本恵理子さんに聞いた「あなたが尊敬するワーキングウーマンを教えて!」働く女の流儀 #05

岸本恵理子
料理は人におだてられて始めたんです。大学卒業後に就いた広告の仕事は多忙で、そこからの解放のように休日には夏の海の家で料理を作ったり、大切な友人のためにウェディングケーキを作ったりしていました。やがて私の料理を味わい喜んでくれる人々の笑顔を見て心満たされる自分に気がつくように。「広告の仕事よりも料理をしている方が楽しそうだし、美味しいし、向いてるんじゃない?」という上司の勧めもあり、10年間続けた仕事を辞め、料理の道に進む決心をしました。そこで各地方に根付いた、マンマが家族のために作り出す料理の国、イタリアに行くことを選び、3年間修業をしたんです。
出張料理人は、いつも違う場所、キッチンで料理をするのが当たり前。あると聞いていた道具がなかったり、経験値が通用しないオーブンだったりします。材料は現地調達で作ろうとメニューを組んでいたら、素材の味わいが思っていたものと違ったりも。でも、どんなきっちりとしたレシピでも、作る場所、道具、素材、そして作る人が変われば味が変わるのは当たり前のこと。その“今”しかない唯一無二のライヴ感をまず自分が楽しみ、お客さまにも楽しんでいただくのが出張料理人という仕事だと思っています。そして、私の仕事場は、そのほとんどがある意味閉鎖的な個人宅です。でも、時間が経つにつれて、集まったお客さま同士、そして料理をしている私とお客さまの距離感が食べ物を通して家庭的な温かさに惹きこまれていき、高揚感を得られます。それはなんともいえず心地よく、誰にでも開放されたレストランという空間では得られないものなんです。
どこかで私が体験した“食べる”ということから得た感動の記憶を伝えられたら。その片鱗を匂わせることしかできないけれど感じようとしてくださるお客さまのもとに出張して料理ができるのは本当に幸せです。
出張料理人として仕事を始めた年の誕生日に妹がくれた包丁のブローチ。愛用のコックコートによくつけている。
イタリアで最後に修業したお店を辞める時、お母さんシェフがくれたピアス。「お守り代わりに毎日つけています」
次のバトンは・・・
フードコーディネーター
寺本りえ子さん
「懐の深さは地球レベル。 すべての活動の根源に大きな母性愛を感じます。」
by 岸本恵理子さん
きしもと・えりこ≫ 出張料理人として活躍するかたわら、4月にオープンしたばかりのホステル「WISE OWL HOSTELS SHIBUYA」のダイニング「FARMER’S TABLE MOTHER」のメニュー考案も。