世の中には、働くことに幸せを見出し、必要な稼ぎを得て毎日を生きている人たちがいる。一方で、自分の夢が見つからない。やりたいことがない。何のために働くのかわからない―。そんな疑問や迷いを胸に抱きつつ、毎日を過ごす人たちもいる。いったいこの差は何なのか? 働くって何なのか? 労働時間、適正な賃金、コンプライアンス…… 「働き方」が問われる今、職種も生き方も異なる6人の中に、その答えを探ってみることにした。
働くって何? フリーター 高𣘺裕玖さんに聞く – 成果物を自分のモノにしても 人の心は満たされない

Revolution: 06
フリーター
高𣘺裕玖
たかはし・たすく≫ 1984年、東京都出身。フリーター。スマホやネットを手放し、質素な暮らしを送っている。ヨーガ、瞑想、インドやネパールへの旅、小説の執筆などを通じて、自己探求を続ける日々を送る。
成果物を自分のモノにしても 人の心は満たされない
「仕事において重要なキーワードは奉仕です」。白い服に身を包み頭を丸めた男性が語る。高𣘺裕玖さん、33歳、フリーター。保育園や老人ホームで調理師のバイトをしながら都内のアパートにひっそりと暮らす。部屋には祭壇があり、リンゴ、ハッサクのお供えものと3枚の絵。
左はヨーガの師であるマハリシ、中央はシヴァ、右はグルデヴの写真を祀っている。
「ヨガの神様です。7年前に始めたのですが、ヨガの世界では果物や花、つまり仕事の成果や得たものを神様に捧げるんです」
高𣘺さんの生活は非常にシンプル。毎朝6時に起きてヨガと瞑想を2時間。フルーツを少し食べ、小説を書く。
午後はバイト。夕方に再びヨガと瞑想。仕事は1日4時間、週5日、月収12万円。出費は家賃5万5000円、水道光熱費(家電込)1万円、食費4000円。出費が少ないため月5万円ずつお金が貯まっていく。
1週間分の野菜を買いためる。「お肉を食べるともう少しお金がかかるけど、ベジタリアンなので週に1000円もあれば十分」
その貯金で三ツ星フレンチレストランの数万円のコースを食べたり、海外を旅したりする。女の子との食事は必ず奢る。「貧乏はいいけど、貧乏臭くはなりたくなくて」
お金を節約する部分と使う部分のバランスが絶妙。稼ぎは少なくとも、生活に不足を感じたことはない。
高𣘺さんは学生時代からどんなバイトも要領よくこなしてきた。コールセンターでは人が1日平均1件契約をとるところ、何十件もとり社長からボーナスをもらっていた。某焼肉チェーン店では営業成績トップ、配達員の仕事でも営業成績全国1位を獲得。「社員になってくれ」との誘いもあった。稼ごうと思えばもっと稼げるはずなのに、なぜ〝必要最低限〟に留まるのか?
高𣘺さんは「人があらゆるものを捨てた時に必ず向き合わなきゃいけない領域。そこに自分を落とし込みたい」と言う。
10年前、高𣘺さんは六本木のキャバクラのボーイとして働いていた。お店のママは月400万円を稼ぐ高所得者。だが彼女が幸せそうに見えなかった。
「お金がなくなったらどうしようとか、いつか女としての商品価値を失うのでは、と恐怖にとらわれていたんです」
いつも何かを恐れビクビクしながら生きる人たち。高𣘺さんはそんな人たちを至るところで見かけた。この恐怖はどこから来るのか。人は何があれば大丈夫で、何がなくても大丈夫なのか。金や名声を自分のモノにしても心は満たされない。死後の世界にも持ち越せない。ならばとスマホやネットを手放し、あらゆるものを削ぎ落とした。2年間で4000冊の西洋哲学や文学作品を読み、自分に向き合うためヨガや瞑想も始めた。自己探求の末、高𣘺さんは「その行為でしか満たせない心の領域がある」という1つの解を得た。
通算4000冊の本を読んだが、深く心に残ったのは20冊程度という。
「すごく簡単なことでした。家族と過ごすとか食事をするとか、そういう行為に無上の幸福を感じる心があるかどうかなんです。たとえば家に誰かが来た時に一杯のお茶を淹れて出す。これも〝仕事〟だし、そこから幸せは十分得られます」
高𣘺さんは毎日小説を書く。自己表現を通してその成果物を人に捧げたいと話す。やっと見つけた自分らしい働き方。稼ぎを得る部分と生の歓びを得る部分。1日にこの2つの時間を上手に使い分けるのもまた新しい働き方だ。
小説はテラスに机を出して書く。執筆時間は午前中のみ。雑念のない時間は、朝起きてヨガと瞑想をし、少しの朝食をとったあとの数時間だけしかないという。