1937年生まれ。57年に三木鶏郎(とりろう)の劇団「冗談工房」に入り、60年頃から新宿コマ劇場などに出演。その後ラジオやテレビに出演し、70年代以降は『時間ですよ』『ムー一族』でお茶の間の人気者に。73年には「ヘイ・ユー・ホワッチャネーム?」というギャグが流行語になる。現在も名バイプレイヤーとして多数のテレビドラマ、舞台で活躍中。
【スター日記】左 とん平:笑いあり感動あり。元祖喜劇人の交友録

笑いあり感動あり。
元祖喜劇人の交友録
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左 とん平

事務所のスタッフが誕生日会をやってくれるっていうんでなじみの中華料理屋へ。行ってみたら喜寿のお祝いだからって、歴代の弟子が勢ぞろいしててびっくりしたね。20代から弟子を取っていたから、一番最初の弟子はもう70歳になる。今の弟子は14年目。俺の弟子は長続きするやつが多いな。どうも居心地がいいらしいんだ。

舞台『おしずの恋』の最終日に大阪の新歌舞伎座のロビーで記念撮影。今回の俺の役所は江戸日本橋で名の知れた彫金師、来助。亜矢ちゃん演じるおしずと、田中健さん演じる貞二郎の結婚を取り持とうと奔走するキューピッド的な存在だ。亜矢ちゃんはともかく歌がうまい。演歌はもちろん外国の歌もうまいんだから感心しちゃうよ。

ダメ亭主を売りに出すというドタバタ劇『売らいでか!』。これまで500回も上演してきた名作だ。浜ちゃんと俺はなんとも呼吸が合うんだね。家が近所なこともあって、プライベートでもよく食事に行くほど仲が良い。浜ちゃんは焼酎が好きだけど、実は俺はほとんど酒を飲まない。飲んだとしても焼酎のお湯割1杯ってとこだ。

20年近く前からコロッケってのを知ってるけど、あいつはモノマネは一流だけど芝居はもうひとつだと思ってたんだ。だけど数年前に棟方志功を立派に演じきって驚かされたね。それからもどんどんうまくなっている。本人に言わせれば、俺をよく観察して、俺のマネをしているかららしい。やっぱりモノマネの技はすごいんだな。

車検のタイミングで新車を調達。最初は白なんてどうかなって思ってたけど、実物を見てみたらなかなか良い。機能もハイテクだよ。アイドリング防止とかでやたらとエンジンが止まるから、毎回故障かと思っちゃうけど(笑)。なのに突風で飛ばされた看板がドアに激突して穴が空いちゃったよ。買ったばかりなのに運が悪いな。

日本の喜劇人として、俺もそろそろ最年長の部類に入ってきた。そんな俺の人生を本にまとめたいと、ライターの長谷川晶一さんから取材依頼が来たのはちょうど1年前くらい。それから頻繁にお会いして、俺の生い立ちから今までの話をしている。昨日のことはすぐ忘れちゃうのに、昔のことは鮮明に覚えているんだから不思議だよな。

実は長谷川さんと俺の息子は大学時代の友人同士。長谷川さんを俺につなげてくれたのも息子なんだ。今日は取材の後にみんなで飯を食った。息子は雑誌の編集長をやってから、今はコンピュータ関係の会社を経営している。俳優を目指してみたこともあったみたいだけど、オヤジを見てたら、やりたくなくなっちゃったのかな(笑)。

長谷川さんや息子と飯を食ったのは、ここ最近よくお世話になっている清澄白河の「焼肉本店ドラゴ」。元大相撲力士の貴闘力さんの運営しているお店で、この日もご本人がお店に立っていらした。「横綱盛り」「大関盛り」なんていう相撲にちなんだメニューがあって面白い店だ。分厚い肉が名物で、若手たちを連れて行くこともある。

俺の生き様に興味があるとかで、山本くんに雑誌の対談を申し込まれた。呼び出されたのは銀座7丁目の洒落たワインバー。彼のお父さんは“伴淳”こと伴淳三郎という有名な喜劇人だったから、お父さんの話もたくさんした。今日は少しかしこまったジャケットを着てみた。俺は舞台衣装以外の服はぜんぶ自分で選んでいるんだ。