東京に数多くある古今の名建築、その見どころを紹介するこの連載。今回は、もうすぐその歴史に幕を下ろそうとしている品川の小さな美術館のお話です。
閉館前の今なら間に合う!秘密の宝物のような原美術館:東京ケンチク物語vol.3

Hara Museum of Contemporary
飴色の木の床を歩く度に鳴る、きゅっきゅっという音。少し低めの階段の手すりの、使い込まれたすべすべの手触り。青々とした庭の芝生に落ちる、やわらかな太陽の光。とても親密でとても美しくて、秘密にしておきたい大切な場所。「原美術館」はたぶん、多くの人がそういう愛し方をしてきた処だ。品川駅からゆっくり歩いて15分ほど。ごった返す駅前とはうって変わった静かな住宅街に、築80年のクラシカルな邸宅を使ったこの個人美術館はある。
建物はもともと、実業家・原邦造の住居として1938年に建てられたもの。設計は渡辺仁。銀座の「和光本館(旧服部時計店)」や上野の「東京国立博物館本館」などの設計で知られる、大正から昭和初期に活躍した建築家だ。広さは1階と2階で200坪超、敷地は1000坪以上。住宅としてさすがは実業家というしかない規模だけれど、いわゆる〝豪邸然〟とはしすぎないそこはかとない品のよさがある。
周囲の緑に映える白壁が印象的な建物は、芝生の敷かれた中庭を囲むように円弧を描く。広すぎずちょうどいいサイズの各部屋が、カーブに沿ってつながっていく。中庭とは反対側の庭に向けて、小ぶりの半円形の部分が張り出してガラス張りのブレックファストルームになっていたり、階段室に格子状のはめ込み窓がしつらえてあったり。隅々まで気配りの行き届いた、初期モダニズム建築の名作だ。
原邦造の一家がこの家に住んだ期間は、実はそれほど長くない。太平洋戦争が始まると一家は疎開。戦後には、建物は進駐軍に接収されるのだ。返還後しばらくして、取り壊しの話が持ち上がったものの、普請があまりに頑丈で壊せなかったのだとか。そうして1979年に、邦造の孫にあたる原俊夫が指揮を執り、当時としては珍しい現代美術専門の美術館としてこの建物を生まれ変わらせた。
ゆったりとした緑のなかで、モダンな洋館と現代美術の組み合わせの妙を味わえるこの美術館は、残念ながら2020年末に閉館が決定している。今ある美しさを保ったまま、より現代的な機能を備えた建物にするのが難しいからという苦渋の判断なのだそう。今ならばまだ間に合う。平成から令和へと時代が移る今だからこそ、見ておきたい建築だ。