見たことも聞いたこともない、モロッコ伝統のおいしそうなパンの数々。アラブ調のおしゃれなインテリアや洋服。日本で劇場公開される初めてのモロッコ映画『モロッコ、彼女たちの朝』は、目にも楽しいシスターフッドムービーでした。この国で未婚の母はタブー。保守的なモロッコ社会で“普通”からはみ出してしまった女性たちを、長編デビュー作となる今作で取り上げたのが、ジャーナリスト出身のマリヤム・トゥザニ監督です。リアリティのある物語をどのように紡いでいったのか、聞きました。
北アフリカ発シスターフッド映画『モロッコ、彼女たちの朝』監督、マリヤム・トゥザニにインタビュー。

──モロッコ・カサブランカを舞台に、未婚の妊婦サミアと、かつて夫を亡くしたシングルマザーのアブラという、二人の傷ついた女性同士の心の触れ合いを描いた今作。サミアというキャラクターは、実際に監督のご家族が家に招き入れて世話した、未婚の妊婦との思い出を元に作り上げたそうですね。一方で、アブラについてはどのように編み出したのでしょう?
脚本を書き進めている間は無意識だったのですが、書き終わってから、アブラは父が亡くなったときの記憶から生まれたキャラクターだと気づきました。劇中のセリフでも少し触れたように、モロッコで女性は伝統的に、正式に埋葬の場に同席することが許されていません。たとえ愛する人が亡くなったときでさえ、です。とても暴力的な伝統だと思います。さいわいなことに、私自身は自分が希望するやり方で父を悼むことができました。でもそれは私に社会の圧力に負けない強さがあったからで、誰もがそうできるとは限りません。この伝統が女性たちの人生に、どれほど深刻な影響を与えうるか考えざるをえませんでした。
──アブラは夫の死後、パン屋を一人で切り盛りしている自立した女性ですが、どこか頑なな印象も受けます。
アブラは強い女性です。その強さを保ち、一人娘のワルダと自分自身を守るために、自分の感情を閉ざしているんです。また彼女は愛する夫を突然亡くし、その遺体に触れることすら許されなかったことにより、心に深い傷を負ってもいる。その傷は、私や私の母が父を亡くしたときに負った傷に近いものです。私は当時、憔悴した母を再び「生きる」ということに立ち戻らせなければいけないと感じていました。
──序盤では、まったく化粧っ気がなかったアブラ。でも後半、おしゃれ好きなサミアの影響か、心を開き始めたアブラがアラブ女性の伝統的な方法でアイラインを引くシーンが素敵でした。さらにブラウンのリップを塗り、花柄のヘッドバンドをつけ、ブルーのトップスを着ておしゃれをし出しますね。
アブラは再び誰か愛する人に出会うという可能性から、あえて自分を遠ざけていました。自分のことを女性として見るのをやめ、色さえも彼女の人生にはもうずっと存在していなかった。だからこそ、このシーンで再びメイクをするんです。女性が少しずつ生き返っていくということ。それを視覚的に見せたいと思っていました。
実は、このシーンが自分にとって持つ意味にも後から気づいたんです。父が亡くなってから、母は長い間メイクをしていませんでした。彼女が再びアイラインを引いた姿を見たのは、私が父の死をきっかけに作った、最初の短編映画の上映イベントのとき。まさに感動の瞬間でした。というのは、母が自分自身の姿を取り戻したような気がしたからです。
──この映画には、登場人物たちが何か/誰かに触れるさまを、クローズアップで印象的に描いたシーンが多数登場します。監督にとって、今作における「触れる」という行為はどういう意味を持ちますか?
私は今作を、感覚的な映画にしたいと思っていました。パン生地をこねるシーンでは、観客も生地に手が触れた感覚を追体験できるようにしたくて、(臨場感のある)クローズアップを多く使っています。キャラクターの感情をセリフで表現するのではなく、沈黙の中から、あるいは触れるという感覚の中から立ち現れるようにしたかったんです。
私は触れるという行為が、人間同士を深く結びつけると考えています。たとえばパン作りが上手なサミアが、アブラの手に触れて生地のこね方を教えるシーンは、私にとって重要でした。アブラは当初、機械的に生地をこねていました。そんな彼女へ、サミアが改めてこね方を教えると同時に、アブラの閉ざしていた感情や身体的感覚を再び開かせるんです。シンプルな仕草を通して、二人の感情がすべて伝わってくるシーンです。
──一方のサミアも、「“普通”の女性に戻るために、子どもを出産したらすぐに養子に出す」と決心しつつも、湧き上がる母性と葛藤し続けています。終盤、アブラとサミアがお腹を押し付け合いながらダンスするシーンはまさに、言葉にならない感情が迫ってきました。即興にも思えるほどのダイナミックさでしたね。
ダンスに厳密な振り付けはしていませんが、完全な即興でもありません。現場で技術的なリハーサルはしましたが、 “感情のリハーサル”はしないように気をつけました。本番で、リアルな感情を捉えたいと思っていたからです。それが今作全体で、特にこのシーンで達成したかったことです。
──監督は元々ジャーナリストで、映画作品においても、モロッコの女性を取り巻く社会問題をテーマに取り上げてきました。映画監督としてのキャリアをドキュメンタリーからスタートしましたが、フィクションへ移行したのはなぜでしょう?
私にとってジャーナリズムの本質は、人の話を聞き、伝えること。ジャーナリストとして文章を書くところから、ドキュメンタリー映画に移るのは自然な流れです。ドキュメンタリーにも非常にやりがいを感じていましたが、父の死をきっかけに、私は初めてフィクションの短編映画を撮りました。フィクション以外に、自分が感じたことを表現する方法が見つからなかったんです。
相変わらずドキュメンタリーも大好きですが、フィクションの魅力もわかってきました。それは、自分の感情や経験からインスピレーションを得て、ストーリーをゼロから作り上げることができるということです。『モロッコ、彼女たちの朝』を書き始めたときも、フィクションのかたちでしか想像できませんでしたね。
──今作が初公開された2019年、モロッコではジャーナリストのハジャー・レイソーニさんとパートナー男性が、国内で違法とされている人工妊娠中絶をしたとして、証拠もないまま実刑判決が言い渡され、国中で抗議活動が行われたそうですね。まるで映画と現実が連動しているかのようです。
間違いなく、すべてはつながっていると思います。ハジャー・レイソーニさんのために行われた抗議活動には、多くの市民が参加しました。市民社会全体が彼女を守るために立ち上がったんです。みんなが街頭で声を上げる姿には、自分たちの運命を自分たちの手で切り開こうとする気持ちが溢れていました。モロッコでは長い間、女性の権利を巡る闘争が続いてきましたが、レイソーニさんのことがあり、そのエネルギーはどこか新しくなった気がしていて。そんな変わり目の時期に今作が公開されたのは、何かとても美しいことだと感じます。
──観客からもらって印象に残っている感想はありますか?
たくさんありますが、たとえば……ある女性が私のところへ来て、こう伝えてくれたんです。彼女はモロッコ出身で外国に移住した人だったんですが、「あなたの映画を通して、モロッコの社会と向き合う勇気をもらいました。いつの日か帰国して、女性の権利を勝ち取るための戦いを主導したい」と。またある男性は、子どものいる人でしたが、今作を観て大泣きしたそうで! 初めて自分の中に母性を発見したと話してくれました。
あとモロッコで、今作を一般公開する前に、若い未婚の母たちの前で上映したんです。妊娠している人、すでに出産した人、子どもを連れている人、子どもを手放した人、様々な人が集まってくれました。上映後、彼女たちが口を揃えて「人間としての尊厳を返してもらった気がする」と言うんです。会場は熱気に包まれ、私がようやく帰宅したのはなんと深夜3時。記憶に残る美しい夜でした。
『モロッコ、彼女たちの朝』
臨月のお腹を抱えてカサブランカの路地をさまようサミア。モロッコでは未婚の母はタブー。仕事も住まいも失い、故郷で暮らす両親に頼ることもできない。路上で眠るサミアを家に招き入れたのは、パン屋を営むアブラだった。アブラは夫の死後、娘のワルダとの生活を守るために、心を閉ざして働き続けてきた。伝統的なパン作りが得意でおしゃれ好きなサミアの登場は、孤独だった親子に光をもたらしてゆく――。
アブラ役には『テルアビブ・オン・ファイア』(18)、『灼熱の魂』(10)などで知られ、ヨーロッパを拠点に活躍するルブナ・アザバル。サミア役には日本初紹介のニスリン・エラディ。モロッコでは出演作が続く人気女優で、今作の役作りのために体重を増やしたという。カンヌ「ある視点部門」正式出品であり、またアカデミー賞モロッコ代表に女性監督作として初選出された。
監督・脚本: マリヤム・トゥザニ
出演: ルブナ・アザバル、ニスリン・エラディ
製作・共同脚本: ナビール・アユーシュ
提供: ニューセレクト、ロングライド
配給: ロングライド
2019年/モロッコ、フランス、ベルギー/101分/1.85ビスタ/5.1ch
8月13日(金)、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開
©️ Ali n’ Productions – Les Films du Nouveau Monde – Artémis Productions
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Maryam Touzani
1980年生まれ。モロッコ・タンジェ出身。映画監督、脚本家、女優。故郷タンジェで過ごした後、ロンドンの大学に進学。初めて監督を務めた短編映画『When They Slept』(12)は、数多くの国際映画祭で上映され、17もの賞を受賞。2015年、2作目となる『アヤは海辺に行く』も同様に注目を集め、カイロ国際映画祭での観客賞をはじめ多くの賞を受賞した。夫であるナビール・アユーシュ監督の代表作『Much Loved』(15)では脚本と撮影に参加、さらに同監督の『Razzia』(17)では脚本の共同執筆に加え、主役を演じてもいる。今作がマリヤム・トゥザニ監督の長編デビュー作となる。
Photo ©️ Lorenzo Salemi