建築史に名を残す世界的な巨匠の作品と聞いたら、ちょっと見てみたいですよね? 興味を抱いて絶対に損はなし。池袋そばの閑静な住宅街へ出かけましょう。
巨匠が目指した理想がここに。自由学園明日館:東京ケンチク物語vol.5

JIYU GAKUEN MYONICHIKAN
池袋駅から歩いて5分ほど。駅前の喧騒が後ろへ遠ざかって現れる静かな住宅街のなかにある「自由学園明日館」が今回のお目当て。夏らしい日差しに照らされる青々とした芝生、みっしりと葉をつけた桜の大木。緑の中庭を囲むようにしてゆったりとコの字を描く平屋建てのこの建物、フランク・ロイド・ライトの設計で1921年に完成したものだ。
1867年にアメリカ・ウィスコンシン州に生まれたライトは、以前に紹介したコルビュジエなどと並び称される、20世紀を代表する建築家の一人。その名を広めたのが、「プレーリースタイル」と呼ばれる建築様式だ。プレーリー=草原・平原になじむ建物、というとちょっと想像しやすいだろうか? 建物の高さをなるべく低く抑え、水平方向に伸びる安定したデザイン、四方に窓を設けた自然と一体になるつくり。地面を這うように、周囲の景色のなかにすっと溶け込むその様式は、今も多くの建築家やデザイナーに影響を与え続けている。私立の女学校として創立した自由学園の最初の校舎であるこの建物も、プレーリー様式をよく表している。水平のラインを強調した屋根、幾何学的パターンが施された窓や室内の壁。入り口の天井はかなり低く、その先のホールは吹き抜けになっていて一気に開放感のあるつくり。教室の窓は椅子に座ると緑の中庭へとつながっていくようで、「周囲の自然と一体になる」というライト建築の真髄が理解できるはず。
折しも旧帝国ホテル(現在は取り壊され、一部のみ愛知県へ移築)の設計で日本を訪れていたライト。新時代の教育理念を掲げて邁進する創立者の羽仁もと子・吉一夫妻に共感し、設計を快諾したという。出身地である青森の訛りが強かったというもと子と英語のライト、あまりの意気投合ぶりに通訳なしでもコミュニケーションできていた、との記述が残るというから微笑ましい。当時すでに大建築家だったライトからすれば決して規模の大きい作品ではないが、実に丁寧にこの校舎に取り組んだのだろう。金具のデザインから手がけたという食堂の照明など、ディテールまで妥協なく作り上げたのがわかる。世界の巨匠が目指した理想の空間。都心とは思えないほど、ゆっくりと時間が流れる稀有な場所だ。