南アジアにルーツを持つ、シャララジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。
前回記事▶︎「vol.13 はじめての神輿と祭りのループ」はこちら
シャラ ラジマ「オフレコの物語」vol.14
南アジアにルーツを持つ、シャララジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。
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美食と食い意地の違いはなんだろうか?おいしいご飯が大好きで(音楽、美しいものも)とにかく五感に響いてくるものは好奇心の赴くままに貪欲に摂取してきた。血肉となるようにゆっくり噛みしめながら、味のレイヤーを360°ぐるりと探すのが好きだ。音も美しいものも全ての角度から体験したいと思う。美味しいもののことは言葉で書くのが馬鹿らしく感じることがある。こんなにも体験型のものを私の虫食い状態のファンタジーな文章力で果たして伝わるのかと。
中学の頃覚えた食い意地張ってるという言葉。それは給食で八宝菜をおかわりする際に、うずらの卵を選別してたくさん入れた時に友達から言われて知った。うずらの卵でバレる我が食い意地、、、くやしい!フィーリング的にその言葉は良い意味ではなさそうだったので、なんとなく食欲がバレないようにその存在を薄く引き延ばして誤魔化してきてた。
そんなわたしの食い意地には理由がある。生まれ持った経験と育ちに裏付けされていると考えてる。ここまでのわたしの語り口からは想像できないかもしれないが、こう見えて生まれたての私はミルクさえ飲まなかった。未熟児で生まれた影響か、人一倍小さく生まれたにもかかわらず食べ物を一切口にしかない、たいへん親泣かせの子どもだった。現在自分が飼っている猫の健康状態でさえ、動物病院ではご飯を食べてさえいれば大丈夫ですと言われるのに、人間の子どもだった私は口をこじ開けてスプーンを入れられても食事を断固拒否していた。抵抗と戦いの日々。強い反骨精神はこのあたりから生まれてしまったのか?
うっすら覚えているその頃の感覚を思い出して、分析してみるとこれはただの好き嫌いではなく原因らしきものがあると考えてる。それはなんとなく物心ついたあたりからでも薬を飲み込むにも悪戦苦闘してる記憶があって、実は自分の食道は人より細かったのではないかと思う。今でも急いで食べるとよく詰まらせる。わたしは昔から今現在でも、無理に何かを飲み込むことができなかった。食べ物も、誰かの命令や指図も。ゆっくり、よく噛んで咀嚼し、自分のペースで飲み込まないと機能しなかった。そうしないと繊細な喉によって自身を痛めつける。自分のペースを守ることは私の場合死活問題だと学ぶし、人に言われたことも物理的に飲み込めない作りをしていると確信、それは今の人間性を形づくる。身体と性格はこのように繋がっていると思う。
あまりにも食べないので、病院で栄養系の点滴を打ってもらう状況は4歳まで続いた。だがここからまさかの大逆転劇が起きる。この年齢のある日、おばあちゃんがたまたま作ったインスタント麺になんだこれは!?と食いついたのだ。それは南アジア地域でよく見かけるなんてことない、チキンカレー味ガラムマサラ風のインスタント袋麺だった。人生がはじまってすぐ覚えた味はまさかのスパイシーヌードル。とんでもない偏食。それからは家族総出でいかに、私にバレないようにその麺の中に野菜や必要な栄養素を隠し入れるかの試行錯誤が始まった。一度食べることを覚えた私はあくまでそのインスタント麺を中心にだが、他のご飯も少量食べるようになっていった。野菜を一から育て、自分でスパイスを調合するおばあちゃんの食育は今考えると奥深いものだった。小さく生まれて半端ない偏りのあった私を豊かに育てて、好奇心の詰まった人間にしてくれた。詳しくはまた別の記事にてお話ししようと思う。次なる転機は思春期だった。長い間食べていなかった分をまるで取り戻すかのように、美味しいものへの興味関心が強くなっていく。
Photo&Text_Sharar Lazima